ソクラテスの弁明―関西弁訳


著者:プラトン/著 北口裕康/訳
出版社:パルコ出版  2009年5月刊  \1,260(税込)  160P


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その昔、石ノ森章太郎の『マンガ日本経済入門』という本があった。
日本の歴史や世界の歴史をマンガで解説する監修者つきの本もあった。
難しい内容を、なるべく分りやすい入門書にしてありますよ、というウリだ。


本書も同じ。
今さら岩波文庫で『ソクラテスの弁明』を読むのはシンドイでっしゃろ? だったら関西弁でどうでっか、というノリだ。


乗った! ソクラテスはんの弁明を読ませてもらいましょ。


読みながら、高校の倫理社会の授業で教わったことを少しずつ思い出した。
ソクラテスは対話の名手だったこと。
対話相手は、ソクラテスから「YES」と答えるしかないような質問を繰りだされ、知らずしらずのうちにソクラテスの主張に同調せざるを得なくなっていくこと。


あぁ、本当だ。
この関西弁のソクラテス、冒頭で宣言している。

せやけど、アテナイ人のみなさん、わたしは連中のように美辞麗句で飾り立てた物言いをせずに、簡単な言葉でお話しさせてもらいます。それはゼウスの神にかけて、わたしの話することがほんまのことやからです。


簡単な言葉で、簡単そうに見える論理を積み重ねていく。――これは本当だ。
だけど、「知らずしらずのうちにソクラテスの主張に同調せざるを得なくなっていく」というのはウソだと思った。


柔らかな印象を与える関西弁を使っているはずなのに、このおっさん、どうも鬱陶しくてウサン臭い。


「ゼウスの神にかけて」と言っているからには、多神教に基づいているはずだ。人間的で自分勝手な神々を信じているのだから、この世に絶対の真理など無い! ……はず。
ところがソクラテスは“人間は知恵や真理を追究すべき”と考えていて、真理を探究しようとしない人間を見つけては、「恥ずかしゅうないんかいな」と罵倒する。
真の知恵者を探すことを「神から与えられた使命」と公言して敵を増やし続けている。


「絶対の真理」を追究したソクラテスは、いわば「真理」という一つの神しか認めない“一神教”の教祖だったのだ。


多神教で人も社会も“いい加減”な時代に一神教の徒が「自分は正しい」と自己主張し続けた。しかも、周りの人間に恥をかかせ続けた。


ソクラテスが「民主的」に死刑になったのは、「一神教は許さない」というアテネ市民の意志の現れだったのかもしれない。