佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?


副題:宗教と科学のガチンコ対談
著者:竹内久美子 佐藤優  出版社:文藝春秋  2016年3月刊  \1,620(税込)  255P


佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? 宗教と科学のガチンコ対談    ご購入は、こちらから


キリスト教信者であることを公言している作家の佐藤優氏と、動物行動学を学び遺伝子や生物について多くの著書を書いている竹内久美子氏の対談本である。


対談のテーマは「宗教と科学」。


表紙にも「佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?」と大きく書かれているとおり、竹内氏が「神さまなんていない」とケンカをふっかけ、佐藤氏が「いやいや、天国はあるのです」と応戦しながら対話がすすんでいく。


「科学」の側を代表する竹内氏は、『神は妄想である』などのドーキンスの考えかたを強く支持している。徹底した無神論者なので、知識人であるはずの佐藤氏が“非科学的な”キリスト教を信じている理由がわからない。


一方の佐藤氏は、この世界は「全知全能の神によって造られた」と信じているから、不完全である人間の理性で世界が解明されることはない、と考えている。


正面衝突はさけられない2人だが、まず佐藤氏が、「そもそも、竹内さんはどうしてドーキンスに関心を持つように?」と水を向ける。


お互いの思想的生いたちを自己紹介しあうところから対話をはじめようとするのは、外交官時代のノウハウなのだろう。


京大の研究室でドーキンスに出会ったことを竹内氏が明かすと、佐藤氏は
  「竹内さんもドーキンスも『理性教』でしょう?」
と指摘する。


理性や合理主義を重視するあまり、ドーキンスは科学以外の価値観を認めようとしない。
この「理性的」とはいえない態度は“理性をあがめる宗教”と同じ、と佐藤氏は喝破する。


本書から離れるが、ロックバンド「SEKAI NO OWARI」も「Death Disco」という曲で次のように歌っていた。

君に神はいない
つまり無神論
目に見えるモノしか信じない主義
神の起こす奇跡など、君にとっちゃファンタジーの世界
でも、君は信じてる
宇宙があると君は信じてる
見たことないし、行ったことないけど君は「宇宙」を夢見てる
科学者たちを信じてる
“科学的に証明されたものは「真実」”
だと君は思っている


無神論者も何も信じていないのではなく、「科学」を信じているのだ。


本書の内容に戻ると、非科学的なキリスト教を責め立てる竹内氏と、「理性教」で人は救われないと逆襲する佐藤氏の丁々発止のやりとりが続くのだが、ひたすら押す一方の竹内氏に対して、キリスト教の不合理や欠点を認めて引いたように見せかけて、「それが何か?」と開きなおる佐藤氏のやりとりが面白く、最後まで飽きないで読ませてくれる。


読んでいて笑ってしまった箇所をいくつか紹介させていただく。


ひとつは、「生き方」についての両者の違い。


キリスト教の「最後の審判」はいつやってくるかわからないので、キリスト教信者は、旧約聖書的な「産めよ増やせよ」じゃなくて、神に褒めてもらえる生き方を目指すようになる。


とくにプロテスタントは、「いかに子孫を残すか」ということよりも、「いかに良い生き方をするかと」が大切だ、と佐藤氏は言う。


良い生き方を目指すのはとても良いことのように思うのだが、「生物は遺伝子の乗り物のようなもの」というドーキンスの主張を信奉している竹内氏は、決して賛成しない。

それは困りものですね。人間も含め、動物は遺伝子のコピーをいかに残すかで熾烈な競争をしているのに。そもそも遺伝子の側からすれば、個々の人間が充実した人生を送るかどうかなんて関係ないんですよ。むしろただ食って寝て、子をつくって育てて、適当なタイミングで死ぬ、みたいなのが理想。逆にいかに良く生きるかにシフトしていると、だんだん子孫は減っていってしまう。


えーっ、そうなの〜!
そんなに遺伝子の言いなりにならなくてもいいんじゃないの〜?



次は「いい男の基準」について。


動物行動学の知見からすると、女性から見た「いい男」の条件は、社会的地位や収入と関係がない。


ずばり言うと「免疫力が高い」ことがいい男の条件だそうだ。免疫力の強い男の遺伝子からは、免疫力の強い子どもが産まれ、自分の遺伝子をきちんと残してくれるからだ。


しかも、女は本能的に免疫力の高い男を見抜く能力を持っている。
免疫力の手掛かりになるのは、ルックスがいい、声がいい、スポーツができる、音楽の才能がある等々。


要するに女子が「キャー!」と言うようなものが免疫力が強い証拠で、もちろん精子の質も数も良いのだそうだ。

佐藤 それってジャニーズのアイドルみたいな子?
竹内 まさに、それです。羽生結弦君なんて、あのルックスに、あの超人的なフィギュアスケートのパフォーマンスが加わる。女が、特にいい年こいた女が放っておくはずがありませんよ。


要するにカッコいい男が、女にもモテるし、免疫力も高いし、子孫も繁栄するなんて、なんだかズルイ……。



もうひとつ、佐藤氏のトホホなキリスト教観。


神学を学んできた佐藤氏は、キリスト教を信じる気持ちとキリスト教を客観的に見る視点が共存している。


佐藤氏が言うには、『聖書』では、とうていできないことを信者にもとめている。
これは、全員が神のいうことを守れない罪人であり、自分たちの社会は罪びとの共同体だと認識させることに主眼がある、と客観的に分析している。


佐藤氏は竹内氏に次のように愚痴を言う。

佐藤 なんでこんなキリスト教みたいな因業なものと付き合ってしまったのか、自分でも納得できないですよ。
竹内 あらら。神学を学んだ佐藤さんにして、その思いはあるんですか。
佐藤 そりゃそうです。こんなもの、できれば御縁がないほうがいいに決まってますよ。
(中略)
佐藤 プロテスタント神学はそうじゃないんですね。死ぬまで働け、みたいな感じだから。とくにカルヴァン派は、自分の力はただひたすら神の栄光のために使いなさい、そうすれば成功はあとからついてきますよ、というわけ。それでも成功しないと、それは試練ですよと。
竹内 くたびれないですか?
佐藤 くたびれますよ。永久にそういう状態が続く論理なんですよ。まさに資本の論理。ただし逆境には強い。
竹内 ブラック企業みたい(笑)。でも、それだけ頑張っても、「天国のノート」の名簿に載っていなければ救済されないんでしょ?
佐藤 そうです。なんでこんな宗教と縁ができたんだか。


キリスト教を信じるのも、けっこうたいへんなんですね〜


この水と油のような二人が、最後はある共通点に達し、竹内氏は

おお、ついにここまで到達しましたね。

と感嘆するのだが、あとは読んでのお楽しみとさせていただく。


佐藤氏は「はじめに」に、

私は竹内久美子氏と私が信じるキリスト教の神に感謝している。

と書き、竹内氏は「あとがき」に、

何と幸福なことであっただろうか。

と書いた。


対談した二人が、共に満足に達した対談である。
安心してお読みいただきたい。