著者:三宅 香帆 出版社:集英社 2024年4月刊 1,100円(税込) 285P
本読みにとって身に覚えのある題名だ。
本が売れなくなったと言われるが、「本を読みたいのに読めない」と思っている人の心をグッと掴んだ本書は、よく売れているらしい。
発売1週間で10万部超え! と新聞広告に載っていた。
本書奥付の発行日が2024年4月22日で、僕がこの本を買ったのが5月1日だから、僕も発売後すぐに飛びついた一人だ。
なんで飛びついてしまったかというと、目次の1行目、
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
にびっくりしたからだ。
えーーーっ!!
そんなことで会社やめちゃったのーーーー
この人、すごい。
ぶっ飛んでる!!
さっそく立ち読みしてみると、著者の三宅氏は読書の虫で、本について勉強したくて文学部に入った文学少女だったそうだ。
でも本を買うにはお金がかかるというシンプルな事実に気がついて、文学とは関係のないIT業界に就職。
著者の職場は週に5日、9時半から20時過ぎまで働くのが普通だったらしい。
IT業界に身を置き、忙しいときには過労死ラインを超えたこともある僕から見るとよくある勤務状態なのだが、著者は驚いた。
週5でみんな働いて、普通に生活しているの? マジで?
それでも仕事の内容は楽しかったので順応しかけていたところ、はたと気づいたという。
そういえば私、最近、全然本を読んでいない!!!
空き時間がまったくなかったわけではない。
しかし、電車に乗っている時間や夜寝る前の自由時間はスマホをぼうっと眺めてしまう。
その気になれば飲み会を減らして休日の寝だめ時間を減らせば、時間は作れるはず……。
でも、それができない!
3年半後、「本をじっくり読みたすぎるあまり」会社を辞めた。
今は批評家として本とかかわる仕事に就き、ゆっくり本を読む時間がとれているが、あのまま会社に勤めていたら、やっぱり今のように本は読めなかっただろうなぁ……。
そんな経験をネットに書いたら、「自分もそうだった」という反響が大きかったので、この本を書くことにした、とのこと。
これは読むしかない!
そのまま他の新書2冊と一緒に購入し、他の2冊より先に読み終えてしまった。
まえがき紹介だけで長くなってしまった。
本文に入ろう。
著者の個人的体験で始まった本書は、序章で映画『花束みたいな恋をした』を取り上げる。
僕は見たことがないのだが、ポッドキャストで聞いているTBSラジオの「Life」という深夜番組がこの映画の特集を組んだことがあり、内容は知っている。
簡単にあらすじを紹介すると、小説や漫画などの文化的趣味で意気投合して学生時代に同棲していたカップルが、就職したあと心の距離が遠くなってしまうストーリーだ。
会社の仕事が忙しくて精神的余裕が無くなったカレシは、カノジョが勧めてくれる小説が読めない。
カノジョの、
「読めばいいじゃん、息抜きぐらいすればいいじゃん」
という言葉に、カレシは次のように応える。
スマホゲームはできるけど本は読めない、という悲しいセリフだ。
映画『花束みたいな恋をした』では、長時間労働と文化的趣味は両立しない、「労働と、読書は両立しない」という暗黙の前提が敷かれているのだ。
このあと、第一章に入ると、いきなり明治に時計の針をもどして読書と労働の関係を掘り下げはじめた。
もと文学少女が「疲れると本って読めないよねー」とグチる本かと思ったら大間違い。
本書は、明治以降の勤労者の生態と書物をとりまく状況(各時代のベストセラーの内容や黙読の普及など)を掘り下げることで、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いに答えを出そうとする評論なのである。
巻末の参考文献一覧は9ページに達し、ショウペンハウエル、夏目漱石からパオロ・マッツァリーノ、さくらももこまで、古今東西、硬軟とりまぜた109冊の文献が挙げられている。
明治以降の大量の文献を縦横に渉猟して評論に仕上げる、というと斎藤美奈子氏の『文章読本さん江』を連想する。
本人は嫌がるかもしれないが、三宅氏を2代目斎藤美奈子と(勝手に)認定しておこう。
(ちなみに109冊の参考文献の中に、斎藤美奈子著『日本の同時代小説』が入っている)
詳しくは本書を丁寧にお読みいただくとして、明治から現代までの著者の分析を駆け足でたどってみよう。
明治は労働を煽る自己啓発書が誕生した時代であり、大正はサラリーマン階級と労働者階級を「教養」が隔てた時代だった、と著者は分析する。
昭和前期(戦前・戦中)では知的虚栄心をくすぐる「円本」がブームになり、戦後は「全集」や「文庫」で出版業界の売り上げが拡大した。
司馬遼太郎ブームから高度成長期のサラリーマンの心情を分析し、さくらももこが国民作家になったことや自己開発書ブームから時代のスピリチュアルへの傾斜を指摘し、インターネットの普及を階級の転覆性と喝破する。
とうとう第九章の2010年代の分析に至り、「新自由主義」の思想、自己責任論的な考え方が読書をさまたげる、と断言する。
明治から現代までの労働と読書の関係をたどり、著者がたどり着いたのは、余裕のないときには本が読めないというシンプルな事実。
だから私たちは、働いていると、本が読めない。
ということなのだ。
ちょっと、はしょり過ぎたかも……。
働いていると本が読めなくなる理由が、良く分からなかったらゴメンなさい。
でも、この短い書評で分かった気になろうという姿勢は読書人として恥ずかしいことだ、と強弁しておこう。
「本を読みたいのに読めない」と思っている人は、リハビリと思ってこの本を手にし、じっくりと読んでみることをお勧めする。
そうすれば読書意欲が回復して、本を読めるようになる。きっと……。