海霧 上


著者:原田 康子  出版社:講談社文庫  2005年10月刊  \700(税込)  443P


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今日の一冊は、私の出版記念パーティに来ていただいた先輩から紹介された本です。


この先輩にはじめてお会いし、本を読むことの大切さを教えていただいたのは大学四年のときでしたから、もう四半世紀も前のことです。具体的に「この本、読んでごらん」と書名をあげ、読み終わって感想を伝えにいくとまた別の本を推薦される。
個人的な読書塾のような関係が2年くらい続きました。


ともかく読書量の多い人で、長編でもまったく意に介しません。


あるとき、ヘイエルダールの『コンチキ号漂流記』を推薦されました。ヘイエルダールスウェーデンの海洋考古学者で、ポリネシアの人々の祖先は南米から太平洋を横断してやってきた、という仮説を証明するため、イカダを作ってチリからポリネシアまでの航海に乗り出しました。「ワクワクする海洋冒険を描いたノンフィクション」と絶賛されて読みはじめました。
いつ沈むかわからないイカダでの航海、大きなサメと出会ったときの恐怖、さまざまな姿を見せる海、仲間とのユーモラスな会話。
それはそれは面白い……はずなのですが、読みはじめてすぐに退屈してしまいました。


だって、毎日まいにち、ず〜っと海の上なんですよ。
きのうも海、今日も海、あすも海。
ああ、そうだ。「白鯨」を読んだときも、そうだった。ページをめくってもめくっても、ずーっと海だったなあ。


先輩に申しわけないので、いちおう最後まで読み通しましたが、いまだに忘れられないほど辛い読書体験でした。あやうく本を嫌いになりかけたほどです。


さて、なぜ、こんな思い出ばなしを長々と書いたかというと、今日の一冊『海霧』を読みはじめてすぐに、あの辛かった読書体験を思い出したからです(笑)。
今回も、同じ先輩が激賞してくれました。年末にお会いしたときに、「ことし一番の収穫だった!」とおっしゃるのです。
年に数冊しか読まない人に「ことし一番」と言われてもピンと来ませんが、あの読書家の先輩にここまで推されては、読まずにおられません。
いさんで読みはじめたところで『コンチキ号漂流記』を思い出したのです。


長編の苦手な人、起伏の乏しい物語についていけない人には、強いてお勧めしませんので、以下は読み飛ばしてください。
ごきげんよう。では、また来週。



……ということで、ここから先は、長編だいすき! という人しか読んでいない前提で書かせていただきますね。


本書は、400ページ以上もある文庫。しかも上、中、下3冊のうちの1冊目。長編が大好きなあなたには、とても嬉しいボリュームです。
長編を読む楽しみのひとつは、作者が主人公の人格をこつこつ作りあげる過程をいっしょに楽しむことです。
ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』もそうでした。あの情熱のかたまりのような主人公を造形するために、ロマン・ローランが、3巻も4巻もページを重ねたことを思い出します。


本書の主人公である幸吉は、幕末の佐賀に生まれます。米問屋に奉公しながら算術を身につけ、石炭を掘る鉱山でたくましい体を作りました。石炭という新しい時代の産物にほれ込んだ幸吉は、広大なエゾ地へ渡り、明治を迎えるまでのわずかな期間、オソツナイの炭鉱で働きます。
佐賀でお世話になった奉公先を頼っていったん函館にもどった幸吉は、道東の漁場で商売をはじめる商店の責任者となることを乞われ、ふたたび辺境の地、久寿里(クスリ)へ赴きました。


近隣から頼られるたくましい青年となった幸吉は、恋女房との新婚生活を送りながら、いずれ独立する道を志向します。石炭への思いがつのる幸吉は、この先どんな人生を送ろうとするのか……。


裏表紙に「幕末から明治、昭和へと、激動の時代をひたむきに生きた著者の血族を描いた物語」とあります。著者の原田康子氏はことし80歳ですので、主人公のモデルは著者の祖父か曾祖父にあたるのでしょう。
私は北海道の開拓地に育ちましたので、「広大な未開の地にあって、己の力と才覚で新しい人生を切り開いていく」という物語に強くひかれます。


明治初期の厳寒の地を舞台にしており、やや暗い雰囲気を漂わせていますが、淡々と進む物語と、一人ひとりの人物の描写の的確さは、決して読者を飽きさせません。


吉川英治文学賞受賞というお墨付きです。
きっと、中と下も、読み応えのある内容にちがいありません。