売文生活


2005年3月刊  著者:日垣 隆  出版社:ちくま新書   \819(税込)  266P


売文生活 (ちくま新書)


文章を書くことによって生活すること全般について、いろいろな角度から解明している「原稿料事情」レポートです。


学校で教わった文学史には、明治以降に文学者と呼ばれる人たちがたくさん登場しますが、文章の対価(原稿料)だけで生活するのは難しかったようです。森鴎外のように国から軍医としての報酬を得ていた作家は恵まれていましたが、他の作家は文章と格闘する前に生活と闘う必要がありました。
東京帝国大学の教授という地位と収入を捨てて筆一本の生活に入った夏目漱石は、朝日新聞の社員(専属小説家)になる時に、詳細な条件(年俸・印税の取り分・原稿執筆の分量・他誌への原稿掲載など)を取り交わしました。漱石が勝ち取った条件は、現在の原稿料相場に照らして、とても恵まれたものでした。
著者は次のように書いています。
  このような執筆直前における契約交渉が、漱石を嚆矢とし、かつピーク
  として、平成に至るまで曖昧模糊たる口約束(ですらない?)という前
  近代的なコースを辿ることになってしまいます


その後、物価は上がるのに原稿料は上がらない、という傾向が続きました。作家の生活はまた苦しくなりますが、筆者は貧乏生活を強調する作家が嫌いです。


著者自身が「売文生活」に入ったのは、突然「書きたいことだけを書くプロになろう」と思い立ったからです。当時の著者は失業中で、新聞や雑誌への書評投稿の原稿料で生活していたのですが、書評のために手にしたある本に刺激を受けて決意したのです。
プロになってからの原稿料にバラツキはありますが、400字詰め原稿用紙1枚あたり1万円前後だそうです。
これを高いと思うか安いと思うか。
仮に注文が途切れずに毎日6枚、年間250日書きつづけたとして1500万円の年収です。取材費などの経費が自分持ちであることを考えると、サラリーマンの年収600万円くらいにしか相当しない、と著者は言います。
逆に、同業者の「キミの場合はちょっと高すぎるのではないか」という反論も想定されますが、「ライターにありがちな自虐的貧乏自慢は、これから参入しようという若者にとって障壁にしかなりません。たいがいにしてもらいたいと思います」とバッサリ。著者は、若い有能な書き手が育つことを本気で望んでいるのです。


ぼう大な参考文献の中から、著者は、過去に活躍した作家の仕事量の分析も紹介しています。1960年代の流行作家トップランナー梶山季之氏だそうで、筒井康隆氏がカウントしたデータによると、毎月800枚以上の原稿を書いていたそうです。福田和也氏が『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』という本を2001年に出版していますが、比較になりません。素人には毎日30枚書くことがどれほどスゴイことなのかよくわかりませんが、著者は「恐ろしいことです。あたまがくらくらします」と言っていました。
それほど売れっ子だったはずなのに、恥ずかしながら、梶山季之という作家の名前は聞いたことがありません。流行作家のはかなさを感じますねぇ。


インターネット時代に生きる著者は、作家の伝統的報酬である原稿料・印税の他に、有料メルマガ、という収入源も開拓しています。本書の末尾には200冊以上の参考文献が挙げられていますが、これだけ多数の参考文献に当たれたのもメルマガのおかげです。有料購読者が大勢いなければ、このような文献を短期間に購入して手元において書くことは不可能でした。
ぼう大な参考文献のリストを見ていると、本書がちょっとした学術論文にも思えてきます。今までにない「原稿料」という切り口から見た作家論・文化論・日本論。
しかも、学者が書いた論文のように退屈な文章ではありません。文豪が書いた文章を添削してみたり、チャチャを入れてみたり。ちょっとシニカルな著者の語り口が秀逸な一書でした。