我々はどこから来て、今どこにいるのか?

書名:我々はどこから来て、今どこにいるのか? 上
副題:アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか
著者:エマニュエル・トッド 堀茂樹/訳  出版社:文藝春秋  2022年10月刊  2,420円(税込)  380P


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書名:我々はどこから来て、今どこにいるのか? 下
副題:民主主義の野蛮な起源
著者:エマニュエル・トッド 堀茂樹/訳  出版社:文藝春秋  2022年10月刊  2,420円(税込)  316P


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本書は、家族、宗教、教育に着目して人類の歴史を辿ろうとする大著である。


著者のエマニュエル・トッド氏はフランスの歴史人口学者。
まだソビエト連邦が大きな力を持っていた1976年に、乳児死亡率が上昇しているという兆候をとらえてソ連の崩壊を予告した。
その後も米国発の金融危機アラブの春などを次々に予言したことで知られている。


そのトッド氏の研究の集大成といえるのが本書である。


トッド氏はホモ・サピエンス誕生後の家族の推移を研究するなかで、一般的な「家族と個人の歴史」のイメージが誤っていることに気づいた。


一般的な「家族と個人の歴史」のイメージとは、次のようなものである。


かつて「大家族」中心の家族形態のなかから、ヨーロッパ中世になって「核家族」が出現した。そのことによって「個人」の解放が実現する方向に人類は進化してきた。


しかし、トッド氏の研究によると、人類は「核家族」からスタートし、「直系家族」、「共同体家族」へと推移してきたことが分かったという。
自分たちの西洋型社会の方が「進んでいる」と感じるのは誤解で、家族形態から見ると、中国、インド、イラン、アラブ圏などの家族形態こそ「進化した家族形態」だというのだ。


ただし、家族形態が「進んだ」ことによって、かつて文明の発祥地だったユーラシアの中心部は経済的な発展が止まってしまい、家族形態が「未開人」に近かった西洋人が科学技術や経済の面で先を行くようになった。


なぜ、家族形態が「進化」することによって科学技術や経済が停滞してしまったのか。
トッド氏が指摘する重要な要因の一つは「女性の地位の低下」である。


かつて狩猟中心の「核家族」社会だった人類は、農業を発明したあと「直系家族」に移行していく。成長した子どもたち全員が新たに家族を作る「核家族」よりも、親夫婦が特定の子ども夫婦と同居する「直系家族」(多くは長男夫婦と同居)のほうが知識や技術や資本を蓄積しやすかったからだ。


このような家族形態の「進化」の過程で男性や父系の権力が強まり、女性や母系の地位は低下していく。


さらに「直系家族」から「共同体家族」へと家族形態が「進化」することによって、女性は決定権を失い、家の中に閉じ込められるようになった。教育を受けることもままならない女性たちは息子たちの教育にブレーキをかけ、女性だけでなく男性も父系制の親族網の中に閉じ籠もることになる。


男たちは集団としては父系制社会を支配するが、個人としては自律性を失った子どものような存在になってしまう。


こうしてかつての先進地域は停滞し、家族形態の進化が遅れていたユーラシアの周縁部(端っこ)の地域が追い越していく。

トッド氏は次のように語っている。

このような形で成立する社会は、無限に創造的であることができない。起源的文明の中心地に起こった反女権拡張的な退化が、その地域の歴史的発展の停止を説明し、さらには、進歩の遠心的な地理的移動――メソポタミアからイギリスへ、中国から日本へ――をも説明する。


現在の先進諸国のベースとなっている価値観は、人類の原初家族形態である「核家族」に由来している。


日本はどうかというと、中国をお手本に文化を導入してきた歴史を持つものの、明治維新の段階で中国の「共同体家族」には至っておらず、「直系家族」にとどまっていた。


このため、中国よりも早く西洋先進文明へキャッチアップすることができた。


科学技術や経済の面では先進国の仲間入りを果たしたように見えるが、家族の価値観が変わるには時間がかかる。


これから世界に合わせていこうとすると、個人主義的で、自由主義的で、女権拡張的な価値観を受け容れなければならないのだが、そう簡単に新しい価値観に適応できるわけではない。


日本の家族形態は核家族世帯が主流になったとはいえ、まだまだ社会的に「直系家族」の伝統を受け継いでいる。


その証拠に、女性活用が叫ばれていても女性の地位向上はちっとも進まない。
仕事、育児、介護すべてに時間とエネルギーを注ぐことを要求される雰囲気が残っていて、結婚にしても、出産にしても、「家族」に関わる選択が日本の女性に重くのしかかる。


トッド氏は、グローバル化少子化の要因になったことを次のように推論している。

まさにこの価値観に適応しようとしたからこそ、ドイツと日本の直系家族型社会は人口面で機能不全を来し始めたのではないだろうか。


「直系家族」の伝統を捨てきれずに完璧な「家族」を求めることが、非婚化、少子化を招き、かえって「家族」を消滅させてしまう、というのだ。


本書は、歴史を動かす底流の流れとして、家族形態のほかに宗教と教育の影響についても、突っ込んだ考察をしている。


アメリカでトランプ大統領が支持された理由や、知能指数と努力だけですべてが決まる「メリトクラシー」が社会の底辺層と上層との断層を広げることなど、興味深くて腑に落ちる内容がたくさん書かれていた。


なんだか賢くなったような気分を味わいながら、以前、同じように人類の歴史が分かったような気持ちにさせてくれる本を読んだことを思い出した。


ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』である。


「貨幣」「帝国」「宗教」が人類にとって普遍的な秩序となりうる、というハラリ氏の主張は「家族」「宗教」「教育」に着目するトッド氏と違っていたが、それなりに面白い内容だった。


しかし、価値観は長い時間をかけて変化していくことを大前提とするトッド氏と違って、ハラリ氏は人類が「科学革命」以降、加速度的に進化している、と楽観的に考えている。


『サピエンス全史』の次に書いた『ホモ・デウス』で、ハラリ氏は「人類は飢餓、疫病、戦争という問題を解決しつつある」との認識を示し、「人類の新たな目標はホモ・サピエンスをホモ・デウス(神のヒト)へアップグレードすること」とまで踏み込んでしまった。


ハラリ氏の予言に反し、『ホモ・デウス』出版後ほどなくしてコロナパンデミックが発生した。
「疫病」だけでなく「戦争」についての楽観も外れ、ウクライナパレスチナが戦争状態になり、今も続いている。


ちっとも「人類は飢餓、疫病、戦争という問題を解決しつつある」わけではない現実を前にすると、『サピエンス全史』に感心してしまった自分が恥ずかしくなる。


トッド氏がハラリ氏をどのように評価しているかは分からない。
ただ、『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 下』の「追伸」の中に、次のような文章を見つけた。

高等教育を受けた者たちを、ホモ・サピエンス種から離脱しつつある変種と見做すような仮説は、真実らしさにおいて、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』に劣る。


これはもう、ハラリ氏の『ホモ・デウス』を名指ししているようなもの。
トッド氏は「ハラリ氏はエセ歴史家だ」と思っているに違いない。


僕は書評を書くときに、まず気になる文章を抜き書きするようにしているのだが、本書から抜き書きした文章は3万7千字を越えてしまった。


ほぼ新書1冊分に相当するボリュームで、とても全部を紹介しきれない。


これ以上内容を紹介するのはやめて、「後は読んでのお楽しみ」とさせていただきたいところだが、合計700ページもある大著である。
もう少し内容をお伝えする方法はないかと考えていたところ、ちょうど良い導入書を見つけたので、そちらを紹介しておく。

  • 参考書籍


書名:トッド人類史入門
副題:西洋の没落
著者:エマニュエル・トッド 片山杜秀 佐藤優  出版社:文藝春秋  2023年3月刊  935円(税込)  207P


トッド人類史入門 西洋の没落 (文春新書 1399)    ご購入は、こちらから


「はじめに」に、佐藤優氏が次のように書いている。

率直に言って、『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』を読破するのは難しい。(中略)
 そもそも太平洋戦争前に新書というジャンルが生まれたときは、それ自体で完結した本ではなく、学術一般書や学術書を読破するための階段としての役割を果たしていた。その意味で、トッド氏の主著につなげるような本書のスタイルは新書の原点回帰と言えるかもしれない。


エマニュエル・トッド本人が『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』についてのインタビューに答えているほか、『未完のファシズム』著者の片山杜秀と『国家の罠』著者の佐藤優氏が『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』について議論している対談や、トッド氏・片山氏・佐藤氏の鼎談など、この大著を読み解く導入書、参考書となっている。


先にこの新書を読んでみて、まだ物足りない場合に『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』の単行本に手をつけることをお勧めする。



  • 参考書籍(つづき)

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』の原著刊行(2017年)後のウクライナ情勢についてトッド氏の見解を述べている新書を2冊紹介する。


書名:第三次世界大戦はもう始まっている
著者:エマニュエル・トッド 大野舞/訳  出版社:文藝春秋  2022年6月刊  858円(税込)  206P


第三次世界大戦はもう始まっている (文春新書 1367)    ご購入は、こちらから


書名:問題はロシアより、むしろアメリカだ
副題:第三次世界大戦に突入した世界
著者:エマニュエル・トッド 池上彰 大野舞/通訳  出版社:朝日新聞出版  2023年6月刊  869円(税込)  192P


問題はロシアより、むしろアメリカだ 第三次世界大戦に突入した世界 (朝日新書)    ご購入は、こちらから



  • 参考書評

・トッド著『帝国以後』  読書ノートは → こちら
・トッド著『グローバリズムが世界を滅ぼす』  読書ノートは → こちら
・トッド著『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』  読書ノートは → こちら