ある行旅死亡人の物語

著者:武田惇志 伊藤亜衣  出版社:毎日新聞出版  2022年11月刊  1,760円(税込)  214P


ある行旅死亡人の物語    ご購入は、こちらから


行旅死亡人」という耳慣れない言葉は法律用語で、「こうりょしぼうにん」と読む。旅行中に死亡した人、と勘違いしそうだが、実際は「身元不明で引き取り手のいない遺体」という意味だ。


著者は2人とも共同通信社会部の記者。


遊軍記者として何か記事になるネタはないかと探していて、残されたお金の金額ランキング1位の行旅死亡人に目を付けたのだ。


ちなみに遊軍記者というのは、「裁判担当」とか「警察担当」(俗に言う“サツマワリ”)のように担当する記者クラブが決まっておらず、自分でネタを探して記事を書く記者である。
武田記者は裁判担当から、伊藤記者は警察担当から、それぞれ1ヶ月に遊軍担当に異動したばかりだった。


官報に載るということはまだ身元が分かっていないということなのだが、この女性「行旅死亡人」には残されたお金が3千4百万円もあった。


「相続財産管理人」に選任された弁護士に連絡して訪問のアポをとったとき、弁護士は、

「この事件はかなり面白いですよ」

と言った。


詳しい状況を取材してみると、たしかに興味深い内容だった。

  • 3千万円以上の財産を持っているのに、古めかしいアパートに住んでいた
  • 「田中千津子」という年金手帳は見つかったが、住民票が抹消されている
  • 「田中竜次」(仮名)という名前でアパートの賃貸契約をしているが、ずっと女性が独りで暮らしていた
  • かれこれ40年も住んでいたのに、下の階のおばあちゃん(大家さん)も彼女の素性をまったく知らない
  • 大家さんの記憶では身長150センチくらいだったのに、官報には身長133センチと記載されている
  • スーパーのレシートや領収書がほとんどないし、郵便もまったく残っていない
  • 亡くなったあとていねいに調べたが、部屋の鍵が見つからなかった


警察の捜査と探偵を使った調査では身元が分からず、弁護人として行き詰まっているとのこと。
何か分かったら弁護士に報告する、と約束して、2人の取材が始まった。


ここまでは新聞記者の書いたルポルタージュとして読んでいたが、具体的に身元さがしを始めたあたりから、何だかミステリー小説を読んでいる感覚になっていく。


珍しい名字をとっかかりにして、協力してくれた人の家系図をたどった結果、本書の中盤で「その人は私の叔母さんです」という人に行き当たった。
遺品の中にあった写真が自分の弟に間違いない、というのだ。


しかし、念のために行ったDNA鑑定で行旅死亡人の姉妹と思われる人との関係が「同胞ではない」との結果が出た。
「同じ母から生まれた子ではない」という鑑定結果だ。


では、死亡人は「田中千津子」さんではないのか?
別人がなりすましていたのか?
死亡時の身長が133センチしかなかったのは、別人だったからなのか?
もしかしたら、本物の田中千津子さんは、どこかでまだ生きているのではないか?


謎は深まっていく……。


意外な展開が続くが本書は小説ではなく、あくまでノンフィクションである。
最後に謎解き(取材結果)が示されているので、あとは読んでのお楽しみとさせていただく。



社会部記者といえば、かつて本田靖春氏や黒田清氏などがさまざまな事件取材の経験を元に、日本社会の矛盾や問題点を突く作品を書いていた。


最近、あまり心に刺さる作品に巡り会わなかったが、本を閉じたあともしばらく考えさせられる本に出会うことができた。


ご一読あれ。