キャパの十字架(その9)

(承前)


キャパの自伝を翻訳したあと、「崩れ落ちる兵士」の真贋問題が気にかかっていた沢木は、いつか実際にスペインへ行って取材をしたい、と思いつづけていた。だが、オリンピックやサッカーワールドカップの取材でヨーロッパへ行く機会はあっても、取材日程に追われて、なかなかスペインへ足を延ばすことができなかった。


その間に、「崩れ落ちる兵士」についての新しい情報が、つぎつぎと発表されている。
僕の本棚の『ちょっとピンぼけ』に挟んであった新聞の切りぬきにもあったように、「崩れ落ちる兵士」の身元が分かったという報道もあったが、沢木の疑念は晴れない。
写真撮影の現場を訪問した、という毎日新聞記者の柏木純一氏の記事を読んだり、2007年に発刊されたリチャード・ウィーランの『これが戦争だ』に掲載された、「崩れ落ちる兵士」と同時に撮影された写真を吟味したり、この問題について関心を持ちつづける沢木だった。


2009年7月、「崩れ落ちる兵士」の撮影場所が、それまで伝えられていたアンダルシア地方のセロムリアーノではなく、約50キロ離れたエスペホ付近ではないか、という新しい調査結果が伝えられた。
撮影場所が違うということは、兵士の身元を特定した記事が誤りであり、真贋論争は振り出しにもどったことになる。


今度こそスペインへ行こう、と沢木は決意した。


(その10へ続く)