Coyote No.55 特集旅する二人 キャパとゲルダ


副題:沢木耕太郎――追走
著者:沢木耕太郎、ほか  出版社:スイッチ・パブリッシング  2015年3月刊  \1,080(税込)  159P


Coyote No.55 ◆ 旅する二人 キャパとゲルダ 追走 沢木耕太郎    ご購入は、こちらから


前回紹介した『キャパへの追走』の姉妹編である。


えっ? 『キャパへの追走』が『キャパの十字架』の姉妹編じゃなかったっけ?と疑問に思う方もおられかもしれない。


今日の一冊を僕が「姉妹編」と書いたのは、この季刊雑誌「Coyote」が『キャパへの追走』発刊に合わせて企画されたとしか思えないからだ。


僕が「姉妹編だ」と考えた理由は、まず発刊の時期が近いこと。
『キャパへの追走』の奥書は「2015年5月15日 第1刷発行」で、「コヨーテNo.55」の裏表紙には「2015年3月15日発行」と書かれている。


2番目の理由は、「特集旅する二人」に「沢木耕太郎――追走」という副題が添えられていて、「追走」でつながっていること。


3番目は、書店でとなりあわせに平積みされていたこと。(←これ、重要!(笑))


4番目の理由(これが最大の根拠なのだが)は、『キャパへの追走』と「コヨーテNo.55」に沢木氏の同じ原稿がいくつも掲載されていることだ。


『キャパへの追走』はつぎのような3つのパートで構成されている。
  I 旅するキャパ
  II キャパを求めて
 III ささやかな巡礼


このうち、つぎの4つの原稿が「コヨーテNo.55」に載っている。

  • 「II キャパを求めて」の紀行文40本のうち、15番目の「雨のパレルモ
  • 「II キャパを求めて」の紀行文40本のうち、31番目の「墓地に降る雪」(沢木氏の撮影写真を差し替え、題名も「北霊園」に変更している)
  • 「II キャパを求めて」の紀行文40本のうち、20番目の「最後の一枚」
  • 「I 旅するキャパ」のうち、冒頭の一部(文藝春秋での連載経緯)を除いたほとんど全文


このように『キャパへの追走』の一部を引用しているのだが、ひとつ強調しておきたいのは、「コヨーテNo.55」は『キャパへの追走』の単なる縮小版ではない、ということだ。


特集の題名「旅する二人」が示すように、もう一人の主人公がいる。もうひとりの主人公――もうひとりの旅人――とは、若き日のキャパの恋人、ゲルダ・タローである。


沢木氏がキャパを追走した「雨のパレルモ」、「北霊園」、「最後の一枚」の3本のエッセイのあと、次のように、2人の旅を交互に紹介する記事がならんでいる。

  • キャパが撮った写真4ページと、ゲルダが撮った写真4ページ
  • 年表順にキャパの人生をたどる沢木氏の「旅するキャパ」16ページと、同じ手法でゲルダの人生をたどる沢木氏の「旅するゲルダ」16ページ
  • 地図の上で二人の旅先をたどる「キャパとゲルダの足跡」6ページ
  • 「数字で見るキャパとゲルダ」8ページ


報道写真家として高く評価されているキャパに対し、26歳で亡くなったゲルダ・タローは無名の写真家である。


それでも、同じページ数を割いた対照的な記事でふたりを取りあげているのは、ゲルダが単なるキャパの「恋人」でなかったからだ。



1935年、カンヌで恋に落ちたふたりは、9月にパリにもどって同棲をはじめる。ゲルダ25歳、キャパ21歳の秋だった。


キャパはそれまでも年上のゲルダからさまざまなアドバイスを受けたり、金を借りたりしていたが、同棲をはじめてからは、更にゲルダの影響を強く受けるようになる。


それまで「金のない亡命者風のスタイル」だったのが、ゲルダの言うとおり髪を短くして、「洒落た紳士然とした」服を着るようになった。


また仕事の面でも、ゲルダの豊かな語学力を借りて写真のキャプションをつけることがあったという。


1937年の春にキャパはゲルダに結婚を申し込み、断られたものの協働関係は続いた。


時にはいっしょに、時には別々にスペイン内戦を取材しているさなか、1937年7月24日、ゲルダは暴走する戦車に轢かれ、翌25日に死亡した。27歳の誕生日1週間前のことだった。


キャパの他に恋人がいることを隠そうとしないゲルダは、キャパにとって「掴みどころのない陽炎のような存在だったかもしれない」と沢木氏は書いている。


そんな二人を対比させた「特集旅する二人」を読むと、主導権をにぎっているのはゲルダのほうで、キャパが振りまわされているように見えてくる。


もっともっとゲルダについて知りたくなってくるから不思議だ。



そんな読者のために、「Coyote」編集部は「今、明らかになるゲルダの肖像」という記事で、ゲルダ・タローの伝記がもうすぐ出版されることを教えてくれている。


著者のイルメ・シャーバーは1990年代から世界中を歩きまわり、すでに高齢者となっていたゲルダの友人や同僚らにインタビューを重ねたという。


2013年にドイツで『Gerda Taro / Fotoreporterin』という題名で約250ページの大著が刊行され、日本語版の『ゲルダ』(仮題)が今年の夏に祥伝社から出版予定だそうだ。「監修/解説は沢木耕太郎が務める」とのこと。


キャパとゲルダを追走する沢木耕太郎を追いかけている読者として、これは見のがせない。



『旅する二人』の表紙には、カフェかどこかのテラス席でキャパとゲルダの二人が微笑みながら話しているスナップショットが載っている。


若い二人の笑顔からは、屈託のない幸せがにじみ出ていて、「旅する二人」の文字が二人を結びつけているように見える。


これはこれで、良い写真だが、写真家の二人の幸せを象徴するようなもっとよい写真が沢木氏の本のなかにある。


それは、『キャパの十字架』に掲載された50番目の写真だ。


スペイン内戦を取材していたカメラマンが、一本道を着の身着のまま逃げ出した村人を撮影した。
その中の1枚に、偶然撮られていた二人の後ろ姿がある。


まだ駆けだしカメラマンだった二人は、人々が必死に逃げ出しているというのに、その危険の中心に向かっていく。
キャパは斜め左下に視線を向け、ゲルダは背筋を伸ばしてまっすぐ前を向いていた。

キャパとゲルダはこの道の向こうにあるかもしれない「本当の戦場」で、すばらしい写真を撮りたいと思っていたに違いない


と沢木氏は書いている。


カフェのテラス席で微笑みながら話している二人のスナップショットも幸せそうだが、僕は、未来に向かって突きすすんでいく二人の後ろ姿のほうが、もっと幸せそうに感じてしまう。


それは、二人の幸せがながつづきしなかったことを知っているからかもしれない。


二人はこのあとも「本当の戦場」を求めて歩きつづけ、ゲルダは10ヶ月後にスペインで暴走する戦車にひかれて死に、キャパは17年と8ヶ月後にインドシナで地雷を踏んで死んだ。

だが、セロ・ムリアーノのあの一本道を歩いていたキャパとゲルダには、まだその風景に辿り着くだろう未来は見えていなかった。


二人は、未来を切りひらくことだけを考えていたのだろう。


その若さがまぶしく、悲しい。

『キャパへの追走』補足


前回とりあげた『キャパへの追走』の最終章「III ささやかな巡礼」は、沢木氏が雑誌連載をいったん終えたあと、連載中に行きそびれてしまって心残りになっていた土地を訪ねた紀行文である。


4ヶ所を訪ねる「巡礼」のさいごに、沢木氏はニューヨーク郊外のアマウォークという町にあるキャパの墓に向かうことにした。


前日、ホテルに着いた沢木氏は、ボイスレコーダーに録音していたキャパのラジオ番組を聞きはじめる。


それは、1947年10月20日にニューヨークのWNBCというラジオ局で放送されたラジオ番組の録音だった。


以前、テレビ番組でキャパの音声を流そうとして探してみたものの、どうしても見つからなかったのだが、「巡礼」に出発する直前に手に入れたのだ。


録音が見つかったことを教えてくれたのは、日本語版『ゲルダ』(仮題)の翻訳者である高田ゆみ子氏だった。


ラジオ番組の録音がオークションに出品されていて、キャパの弟(コーネル・キャパ)が開設したICP(国際写真センター)が2000ドルで落札した、という記事がニューヨーク・タイムズに載っていた、という。


しかも、ネット記事には録音が添付されていて、キャパの肉声を聞ける、とのこと。


すぐにでも聞いてみたい気持ちをおさえ、ボイスレコーダーに録音して「巡礼」に出発した沢木氏は、キャパの墓参りの前日、マンハッタンの街を眺めながらキャパの声に聞き入る。


録音されていたのは、ジンクスとテックスという夫妻がホスト役をつとめる「こんにちはジンクス」というトーク番組だった。


インタビューに応じて、キャパは「崩れ落ちる兵士」を撮影したときの様子を詳細に語り出した。

「その四回目のとき、僕はカメラを頭の上に掲げ、ファインダーを見もしないで、塹壕を移動しながらシャッターを切りました」


聞きながら、沢木氏は悲しくなる。


沢木氏の取材によると、「あの丘」では戦闘など行われておらず、崩れ落ちる兵士は、偶然、足を滑らせたことろを撮られただけだった。

にもかかわらず、キャパは、ひとつの話を「作って」しまっている。
(中略)
キャパは、持ち前のサービス精神によって、番組を盛り上げようとしたのかもしれない。しかし、間違いなく、キャパは確信犯的に嘘をついている……。


貧すれば鈍するのが悲しい人間の性だとすると、当時、貧しいカメラマンだったキャパがジャーナリストとして重い十字架をかかえてしまったという沢木氏の推定はあたっているのかもしれない。
ほんとうに悲しいことだが……。


さて、「キャパの肉声をインターネット上で聞くことができます」との文字にひかれ、「キャパの生誕100年の10月22日付けのニューヨーク・タイムズ」というヒントを元に検索してみたところ、次のようなニューヨークタイムズの記事が見つかった。
http://lens.blogs.nytimes.com/2013/10/22/finding-a-fearless-photographers-voice/?_r=1


沢木氏は「最初に話されるのはソヴィエト・ロシアについてである」と書いているが、僕がこの記事で見つけたのは、「Audio below」という文字のあとに貼り付けてある 1分59秒の音声と、1分47秒の音声だけで、インタビュー全部の録音は見つからなかった。


それでも、1分59秒の音声の方に、「崩れ落ちる兵士」を撮影したときの様子を語っているキャパの肉声が入っている。


興味のある方は、アクセスして、キャパの声の質を確かめてみることをお勧めする。