キャパへの追走


著者:沢木 耕太郎  出版社:文藝春秋  2015年5月刊  \1,620(税込)  318P


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2013年2月に刊行された『キャパの十字架』の姉妹編である。


『キャパの十字架』は、おととしこの読書ノートでも取りあげ、その後、第17回 司馬遼太郎賞を受賞して話題になった。


ご存じの方も多いと思うが、姉妹編『キャパへの追走』に興味を持っていただくために、まず『キャパの十字架』の内容を簡単に紹介する。


『キャパの十字架』は戦場カメラマンであるロバート・キャパの有名な作品「崩れ落ちる兵士」について取材したノンフィクション作品である。


スペイン内戦の戦闘の一こまを撮影したといわれているが、兵士は撃たれているのか、本当に戦闘場面だったのか、撮影者はキャパなのか、などの数々の疑問を解決するため、沢木氏はこの写真の撮影現場に足を運び、同時期に撮られた写真を見比べ、関係者にインタビューを重ねた。


沢木氏が達した結論は、キャパがこの作品で大きな十字架を背負ってしまったことを推測するものだった。


姉妹編『キャパへの追走』は、文字どおりキャパの作品を追いかける内容である。


前作『キャパの十字架』でもキャパ作品を追いかけていることに変わりはないが、ひとつ違っているのは、『キャパの十字架』では「崩れ落ちる兵士」だけを追いかけていたことである。


本作「追走」のほうは、38枚のキャパ作品と2枚のキャパ関連写真を追いかけ、撮影現場で沢木氏が撮影した写真をならべて載せることで、時代の移りかわりを感じさせる作りになっている。


キャパの写真家人生は1932年にスタートし、1954年の死によって終わっているから、キャパが撮影してからほぼ60年から80年の歳月が流れている。


写真に映っているわずかな手がかりをたよりに現場を探しても、撮影場所を特定できない可能性もあった。
しかし、ある時は足を棒のようにして歩きまわり、ある時はホテルのフロントマンやタクシーの運転手にあっさり場所を教えてもらうという幸運をたぐりよせ、沢木氏は多くの作品の撮影現場にたどり着いていく。


沢木氏には若き日の海外放浪を題材にした『深夜特急』という作品があり、旅先で出会う人々との交流を印象的に描いている。


撮影現場を探す旅は目的のある旅ではあるが、さほど高くないホテルに泊まり、時には現地の市場で食材を買って料理をしながら滞在する沢木氏の旅のスタイルは、現地の人々と出会う機会をふやしてくれる。


まるで、キャパという通奏低音を聞きながら、『深夜特急』の続編を読んでいるような味わいを感じさせてくれる。



全部で40編ある現地訪問エッセーから、印象に残った2編を紹介する。


1つ目は「ゲルダの死」。


ゲルダ・タローは、キャパの恋人であり、スペイン内戦に何度も同行した撮影仲間でもある。


ゲルダはスペイン内戦取材中に暴走した戦車に轢かれて26歳の若さで死んでしまい、ゲルダの死に目に会えなかったキャパは大きなショックを受ける。


掲載しているキャパの写真は、死の前年のゲルダだ。ゲルダは、道しるべのような四角い石の柱にうつぶせて眠っている。
写真に添えた一文を、沢木氏はつぎのように結んでいる。

 だが、逆に言えば、キャパは、ゲルダが死ぬことで、彼女を自分のものにできたとも言える。ゲルダは、死ぬ間際には必ずしも彼ひとりだけの存在ではなくなっていたように思われるが、その死によって、キャパは彼女を「永遠の恋人」と呼ぶことができるようになったからだ。


2つ目は「あしながおじさん」。


1942年、ロンドンで戦地取材記者任命を待っていたキャパは、兵士が3人の少女と手をつないで散歩している「兵士と少女」を撮影した。


イギリスに派遣されていたアメリカ軍の将校のあいだでは、ドイツの空爆で親をなくした子どもを養子にすることが流行していたらしい。


背の高い兵士は、子どもたちにとって「あしながおじさん」だったのだろう。
兵士の腰までしか背たけのない女の子とのコントラストが微笑ましい。


しかし、見るからにくったくのなさそうな少女たちの表情に、沢木氏は一抹の暗さを感じとる。


ロンドンで撮影場所を探して一日中歩きまわったが、残念ながらぴったり一致する場所は見つけられなかった。


ホテルに向かいながら沢木氏は少女たちの行くすえに思いをはせる。

 生きていれば七十歳を超えているだろう。その七十年の人生はあのときの笑顔のように明るいものだったろうか。それとも、その笑顔の底にほんの少しだけのぞいていた暗さに引きずられたものだったろうか、と。


冒頭に、本書は『キャパの十字架』の姉妹編である、と書いた。
「姉妹編」というのは、帯に書いてあったキャッチコピーなのだが、じつは、僕にはしっくり来ていない。


「崩れ落ちる兵士」という1枚の写真の現場に足を運び、徹底的に追求した結果をまとめたのが『キャパの十字架』だった。


それに比べると、キャパの他の写真の現場も訪ねてみる、というのは重々しさに欠けるように思う。
「スピンオフ作品」くらいがしっくりする。


本書は『キャパの十字架』よりも先に取材がスタートしたのだが、「崩れ落ちる兵士」についての原稿が多くなりすぎたので独立した1冊の単行本として先に出版された、という経緯があるそうだ。


だから、『キャパへの追走』のスピンオフが『キャパの十字架』、という前後関係が正しいのだが、沢木氏も、

芸能の世界での流行の言葉を用いるなら「スピンオフ」の作品ということになるのだろうか。ただ、どちらが「本体」でどちらが「派生物」かを判定するのは難しいところがある。

と言っている。

参考書評


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