副題:会社だけの生活に行き詰まっている人へ
著者:上田 紀行 出版社:朝日新聞出版(朝日新書) 2015年4月刊 \821(税込) 212P
このところ、ストレスの少ない生活を送っている。
4月に異動した新しい職場は今のところ残業が少なく、人間関係もうまくいっている。
往復4時間の通勤も、当初は「長いなぁ。早く着かないかなぁ……」と嘆いていたが、本を読んだり、居眠りしたりして過ごす方法が身についてきて、苦痛を感じることが少なくなった。
椎名誠さんのように不眠症に苦しむこともなく、横になったらすぐ寝付き、朝5時半に元気いっぱい起きだしている。
決して会社生活に行き詰まっているわけではなく、むしろ
「ゼッコーチョー!(c)中畑清」
なのだが、一時期に比べるとイベントにでかける回数が少なくなっていて、会社以外の人間関係比率が低い。
いかん、いかん。これではイカン、と手に取ったのが4月30日に発売されたばかりの本書。人生を複線化するためのヒント満載の『人生の〈逃げ場〉』である。
著者の上田紀行氏は、1958年、東京都生まれの文化人類学者。
86年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒し」の観点を最も早くから提示して注目される。
現在、東京工業大学リベラルアーツセンター教授で、池上章氏の同僚である。
本書を読みながら思いだしたのだが、『生きる意味』 (岩波新書)、『かけがえのない人間』 (講談社現代新書)など生き方を考える本も出しており、僕もレビューを書いていた。
「生きる意味」とか「かけがえのない人間」とか、ストレートに生き方を問うタイトルで、この『人生の〈逃げ場〉』を含めると5年に一度のペースではたらく人に呼びかけているのが上田紀行氏だ。
本書は「私たちはなぜこんなに生きにくいのか」という第1章からはじまる。
前回の読書ノートで取りあげた佐藤優著『いま生きる「資本論」』のまえがきにも、
「なぜ日本の社会で私たちが生きにくくなっているのか」
「この本を読むと、あなたの人生がどうして苦しいのかについて、その原因の6割が解明されると思う」
と書いてあった。
少しストレスが少なくなっただけで「ゼッコーチョー!」と思ってしまう僕は実感していなかったが、どうやら日本は生きにくい社会になっているらしい。
佐藤氏は生きにくい社会になっている理由を「資本論」を読み解くことによって解明してくれたが、上田氏は戦後の会社と社会の関係を通して次のように解説する。
- 高度経済成長期以降、学校を卒業したら会社に勤めるのが一般的になった。
- 同時に核家族化が進み、父親が仕事中心、母親は専業主婦という役割分担になる。
- また、伝統仏教が完全に葬式仏教になり、代わりに会社が心の拠り所になった。
- 会社だけが拠り所となる会社単線社会は、それなりに居心地がよかった。
- しかし、高度経済成長が終わってバブルが崩壊すると、会社は変わる。
- 成果主義と新自由主義の台頭が、日本の会社を変質させたのだ。
- 成果主義のおかげで職場から助け合いとチームワークがなくなり、すべての責任を自分で背負って結果を残すことを求められるようになった。
- 「すべてを自己責任で引き受ける」のは人間の生理に合わない。
- ウォール街で働いている人でも、週末に教会に通ったり、プライベートな友人関係を大切にしている。これほど宗教や共同体を解体してしまった国は日本くらいのものだ。
- 日本の会社単線社会は完全に行き詰まり、生きにくい社会になってしまった。
結論だけ繰りかえすと、「私たちがいきづらい理由は、会社単線社会が行き詰まっているからだ」ということだ。
理由が明らかなら、対策も明らか。
一人ひとりが会社依存的な生活をやめることで、会社単線社会から脱却できるのだ。
とはいえ、だれもが会社を辞めてフリーランスで生活していけるわけではない。
会社を辞めるという極端な方法をとらなくても、単線的な生き方を少しでも複線化するようにすれば良い、と著者は言う。
このあと第2章から、人生を複線化する具体的な方法を次のように提案している。
第2章 「できる人」より、「魅力的な人」になる
第3章 勇気を持って休む。すると見えてくることがある
第4章 過去の記憶が自分を助けてくれることもある
第5章 子どもが「私」と「社会」をつなげる
第6章 共同体のしがらみをあえて引き受ける
第7章 絶対肯定できるものを見つけると、人の心は安定する
第8章 人生最後の20年を価値のあるものにする
終 章 私たちの人生を、誰のものでもない私自身のものにするために
僕の書評はネタバレ自粛でお届けしているので、くわしい内容は割愛させていただくが、上田氏の提案レベルはけっこう高い。
たとえば第3章「勇気を持って休む」では、「有給休暇を使って、毎年2週間連続の休みをとろう」と呼びかける。
しかし、2週間の長期休暇はハードルが高い。
本書で引用されているあるアンケート調査でも、「有給休暇をすべて消化しない理由」について17%の人が「同僚から否定的な見方をされるため」と答えている。
「会社を辞める」というほどではないとはいえ、「分かりました。さっそく今月からやってみます!」と即答できるものではない。
しかし、それでも上田氏は勇気を出して休むことを勧める。
1週間程度の休みでは、レジャーを楽しんでいるうちに終わってしまう。
自分の人生を振り返り、これから自分は何を成し遂げたいかを考えて、何か行動を起こすなんてことは2週間つづけて休まないとできない。
だから、ともかく休みましょう! と迫る。
会社生活に行き詰まって、ほんとうに会社を辞めてしまう前に、上田氏の提案を受け入れられるかどうか。
人生のいきづらさをどれだけ本気で解消しようとしているのか、読者の覚悟を問われる場面が、他に何度も登場する。
そのたび、いままでどれだけ会社の常識にとらわれていたかを思い知り、「人生の〈逃げ場〉」の大切さに気づかされる。
ちょっと余談になるが、昔の職場の同僚で、実家が運送会社を営んでいるという人がいた。
彼は、なにかというと「この会社のやり方は、ウチの会社と違う」と言っていたが、彼から「この会社」、「ウチの会社」の定義を聞いてびっくりした。
自分が勤務している会社が「この会社」で、「ウチの会社」は自分の実家のことだというのだ。
自分が勤務している会社への帰属意識が少なく、会社の経営方針や運営方針を少し斜めに見ているようで、こんなに批判的に見ているのだから、そのうち「この会社」を辞めて実家の「ウチの会社」に戻ってしまうのではないか、と思っていた。
結果的にその後も彼は「この会社」に勤めつづけることになったが、上から示される方針に盲従しないことは、仕事の上でプラスになる面もあったようだ。
本書で上田氏が言っているように、会社単線の考え方から距離を置くと仕事にもプラスになる、という実例といえる。
今いる場所から逃げるのは、卑怯なことではない。
交換不可能な存在として自分のことを尊重して欲しい、という上田氏の語りかけがズシン、ズシンと響いてくる一書である。