ゲルダ・タローの評伝


書名:ゲルダ
副題:キャパが愛した女性写真家の生涯
著者:イルメ・シャーバー 高田ゆみ子/訳  出版社:祥伝社  2015年11月刊  \2,268(税込)  457P


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書名:ゲルダ・タロー
副題:ロバート・キャパを創った女性
著者:ジェーン・ロゴイスカ 木下哲夫/訳  出版社:白水社  2016年9月刊  \5,832(税込)  322P


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日本でも、世界でも、あまり知られていない女性写真家の評伝を取りあげる。


彼女の名前はゲルタ・ポホリレ。
1910年8月にドイツのシュトゥットガルトで、ユダヤ人家庭に生まれた。


22歳のとき、弟が反ナチスのビラをまいて逃げたことから、ドイツに居られなくなり、フランスのパリに逃れる。


まだ無名だった写真家のロバート・キャパと24歳で出会い、25歳から仕事と生活のパートナーになる。


スペイン戦争が勃発すると、カメラマンとしてキャパと共にスペインへ赴き、各地を取材して回った。


何度かキャパとの共同取材と単独取材を行ったあと、1937年7月、前線の取材中に暴走する戦車に轢かれて死亡した。


27歳の誕生日の一週間前。早すぎる死だった。


ドイツとイタリアのファシズムが勢力を拡げるなか、当時のスペイン内戦はヨーロッパ中の注目を集めていた。


そのスペインの戦況を伝えていたうら若き女性カメラマンの死は、当時のマスコミで大きく取りあげられた。盛大な葬儀がパリで行われ、時の人となった彼女だったが、やがて月日とともに忘れ去られていく。


今日取りあげるのは、彼女の死から50年以上経ってから書かれた2冊の評伝である。


1冊目のイルメ・シャーバー著『ゲルダ』の副題が

  「キャパが愛した女性写真家の生涯」

であり、2冊目のジェーン・ロゴイスカ著『ゲルダ・タロー』の副題は

  「ロバート・キャパを創った女性」

である。


二つの副題が示すように、ゲルダは無名時代のロバート・キャパと知り合い、恋人として一緒に暮らしながら、キャパが写真家として世に出るきっかけを作った。


フランス人はフランス語を話せない人間は相手にしない傾向がある。
ドイツ語は話せてもフランス語の話せないキャパのために、ゲルダは通訳をしたりキャプション作成を手伝ったりした。


服装に気をつけるように助言したり、写真を高く買ってもらうために架空の人物をでっち上げたりもした。
二人で作り上げた人物の名前が「ロバート・キャパ」で、この名前が20世紀を代表するカメラマンとして人びとの記憶に残るとは、当人たちは想像もしていなかった。


ロバート・キャパ」が有名になってくるにしたがって、ゲルダも自分の仕事が認められることを目指すようになる。


本名の「ゲルタ・ポホリレ」ではなく、アーティストネームの「ゲルダ・タロー」を写真のクレジットに使いはじめたのは、1936年9月だった。


当時、雑誌も写真も、まだ目新しいメディアだった。


1936年7月にスペインのフランコ将軍が軍事クーデターを起こし、スペインが内戦状態に突入したとき、多くの取材記者やカメラマンとともに、キャパとゲルダはスペインに向かった。


なかなか本格的な戦闘場面に出会うことができず、民兵たちの訓練のようすを取材していた時期に撮られた「崩れ落ちる兵士」は、スペイン内戦を代表する写真として、後に世界的に知られることになる。


キャパの作品として知られている「崩れ落ちる兵士」だが、実はゲルダが撮影したのではないか、という新説が沢木耕太郎著『キャパの十字架』に書かれているが、この2冊では深追いしていない。


ドイツのファシズムから逃げてきたゲルダにとって、スペイン内戦は単なる取材対象ではなかった。


フランコを阻止できれば、ヒトラーの勢いも止められるかもしれない。そうなればナチスの影響下からドイツが解放され、故郷に戻ることも夢ではなくなる。


キャパの取材姿勢が「立会人」に徹していたことと対照的に、ゲルダは反フランコ側の当事者として戦争に関わっていく。


1937年7月にマドリッドで国際文化防衛作家同盟会議を取材したときも、敵から奪った旗を三人の兵士がトロフィーのように銃口の上に掲げた写真を撮った。


イルメ・シャーバーは次のように書いている。

三人の兵士が銃口を掲げ、上にはためく旗を敬虔な表情で見上げる様子は聖なる印象を与える。しかし、それらの戦利品が実際に制圧地区から来たものかどうかはわからない。このような軍隊の情宣活動の映像化は、会議をプロパガンダの道具として利用するためだった。〈ルガール〉はこの三人の兵士の写真をトップ記事に採用した。
 これはタローが会議場で撮影した最後の一枚であり、悲壮なまでのプロパガンダ写真だった。


男たちに混じって、ゲルダは危険を承知で最前線に向かった。


こうして、戦闘を取材した最初の女性写真家だったゲルダは、最初の殉職した女性写真家になった。
1937年7月、取材先で暴走する戦車に轢かれてゲルダは亡くなる。


美人カメラマンの死は、スペイン共和国軍の指導をしていた共産党の理想的な宣伝材料となった。


ジェーン・ロゴイスカは、共産党系の新聞の扱いを次のように書いている。

「ス・ソワール」紙は、大衆向けの新聞の例に漏れず、評判の取れそうな出来事を目にすればただちにそれを察知し、ゲルダの悲劇的な死を紙面のあらゆる箇所に取り入れ、事件発生の当初から葬儀の日に至るまで、ゲルダに関する情報と写真を小出しに発表しながら、世間の同情と期待を盛り上げようと努め、最後にはヒステリーと紙一重の礼賛にまで調子を高めた。


しかし、人びとは彼女の死をいつまでも記憶していられなかった。


第二次世界大戦で次から次と、新しい死がやってきた。
ゲルダの家族も、ホロコーストによって全員抹殺されたという。


やっと第二次大戦が終わったあと、今度は東西冷戦が始まり、西側のスペイン内戦でコミュニストの指導を受けた元闘士たちが非難を浴びる時代がやってきた。


アメリカでマッカーシズムが吹き荒れるようになった時、キャパもスペイン内戦の取材姿勢を問われることになり、一時パスポートを取り上げられる。


米軍の従軍カメラマンとしてやっていくためには、コミュニストと断定されるわけにいかない。
自分の嫌疑を晴らすためは、ゲルダとの“政治的役割分担”を強調しなければならなかった。


イルメ・シャーバーは次のように書いている。

キャパにしてみれば、自分が中立のドキュメンタリーカメラマンだった一方で、ゲルダヒトラー抵抗運動に荷担していたと説明するのが都合がよかった。


ゲルダ共産党に入党していなかったが、彼女の葬儀が共産党の宣伝材料にされた事実は、消しようがなかった。


こうしてゲルダの存在は、忘れ去られていった。


ゲルダが、再び世に知られるようになったのは、フランコ将軍の死後のことだった。


1985年にリチャード・ウィーランがキャパの詳細な伝記を発表し、ゲルダ・タローにも多くのページを割いた。


1994年にはイルメ・シャーバーの著した伝記がドイツで刊行された。


更に2007年、失われていたネガが大量に見つかった。


ある外交官の遺品としてメキシコシティで見つかったことから「メキシカン・スーツケース」と呼ばれるようになった厚紙製のケースには、スペイン内戦を取材した4500枚分のネガが収められていた。


撮影者はキャパ、ゲルダ、シムの3人で、この中に1937年2月から亡くなるまでのゲルダのネガもほぼ網羅されていた。


ゲルダの作品情報が一気に増えることで、それまでキャパが撮影者と思われていた写真の一部が実はゲルダの作品であることも明らかになった。


イルメ・シャーバーは2013年にゲルダ伝記を新版に改め、高田ゆみ子訳の日本語版が2015年に出版された。


同じ2013年、英語で書かれたジェーン・ロゴイスカ著『ゲルダ』が刊行され、木下哲夫訳の日本語版が2016年に出版された。


再評価されたゲルダは、単なるキャパの恋人ではなかった。


では、ゲルダはいったいどのような人物だったのか?
答えとして、2冊の著者と翻訳者の言葉を引用させてもらう。


ゲルダ キャパが愛した女性写真家の生涯』著者イルメ・シャーバー

スペイン内戦の写真取材記者として、タローは劇的な瞬間をとらえ、多くの写真を発表してきた。彼女は戦闘を取材した最初の女性写真家だった。撮影対象にできるだけ接近する姿勢は、戦争ジャーナリズムの規範とされた。しかし、それは自らの命を失う結果となった。
(中略)
戦闘の最中での取材活動の末に殉職した最初の女性写真家であるタローは、戦争報道のパイオニアとして大きな影響を与えた。彼女はエスプリとカメラを武器に、時代を注意深く観察した批判的目撃者であった。


ゲルダ キャパが愛した女性写真家の生涯』訳者高田ゆみ子

この新版では、移民やユダヤ人問題、ワイマール時代の芸術や写真、ジェンダー問題などの多様な切り口からゲルダ・タローの生涯に光を当てることで、彼女の素顔が浮き彫りにされていく。級友の目を気にするユダヤ人少女、最新モードに身を包んだお洒落な娘。大胆で、奔放で、愛らしく、ルーズで場当たり的な行動。自己中心的だが思いやりもある振る舞い。そして快活で勇敢な写真家。私たちはゲルダのさまざまな顔に触れる。


ゲルダ・タロー 副題:ロバート・キャパを創った女性』著者ジェーン・ロゴイスカ

ゲルダは芸術家ではなく報道写真家であり、本人もそのことに強い誇りを抱いていた。ゲルダは美を創造したいと願ったことはない。ゲルダがなりたかったのは証人であり、その点ではまさに称賛に値する。不正な戦争の真実を伝える強烈な写真を証拠として世に送り出し、その戦争のために命を捧げ、戦争の最前線から事実を伝える道を選んだ一握りの貴重な比類ない女性写真家、ジャーナリストのひとりとして、ゲルダは讃えられてよい。


ゲルダ・タロー 副題:ロバート・キャパを創った女性』訳者木下哲夫

本を書くより先に映画を作っていたと知って、なるほどと思い当たることがありました。訳しながら、よく映像が目に浮かんだのです。冒頭のゲルダの葬儀の描写からは映像だけでなく、音声も聞こえてきます。ゲルダとキャパを主人公とする映画の脚本も書いているということは、映画のシーンを思い浮かべながら、それを文章にしたのかもしれません。段落の終わりに「カット」の声が聞こえたこともありました。

以下、余談ながら


ゲルダについて書かれた本を手にとるきっかけは、ぼくが長年のキャパのファンだったからだ。


ロバート・キャパ著『ちょっとピンぼけ』の文庫本を買ったのは1982年。社会人になって初めての夏のことだった。


その後、何度かキャパの作品展示会を見に行って、キャパの作品をたくさん鑑賞した。
キャパが地雷に触れて亡くなったときに持っていたカメラの実物を見たこともある。


2013年に沢木耕太郎著『キャパの十字架』を読み、初めてゲルダの存在を知った。


キャパの十字架    ぼくの書評はこちらから


ちょうど「ロバート・キャパゲルダ・タロー 二人の写真家」という展示会が横浜美術館で開かれていることを知り、スペイン内戦の取材が二人の共同作業であることを示す、貴重な写真が載ったカタログを購入した。


2015年、写真ムックの『Coyote No.55 特集旅する二人 キャパとゲルダ』を読んだ。


Coyote No.55 ◆ 旅する二人 キャパとゲルダ 追走 沢木耕太郎    ぼくの書評はこちらから


ゲルダは単なるキャパの恋人ではなく、主導権をにぎっているのはゲルダのほうだったことを知った。
キャパが振りまわされているように見え、もっとゲルダのことを知りたくなった。


沢木耕太郎の取材協力者のひとりである高田ゆみ子氏がドイツ語のゲルダ伝記を翻訳中で、2015年8月に祥伝社から刊行予定、とその本に書いてあったので、楽しみに待っていた。


しかし、8月を過ぎても、9月を過ぎても、なかなかゲルダの伝記は出版されない。


無名の女性カメラマンの評伝なので、なかなか出版できないのかなぁ……。


もう諦めかけていたとき、2016年1月10日の朝日新聞書評にイルメ・シャーバー著『ゲルダ』の書評が載っているのを見つけた。(朝日新聞に掲載していた大竹昭子氏(作家)の書評はこちら


さっそく買って読み始めたのはいいものの、異動したばかりの新しい部署がものすごく忙しい職場で、450ページ以上もある厚い本を読み通すことができない。


そうこうしているうちに、なんと! もう1冊ゲルダの評伝が出てしまった。


2冊目のジェーン・ロゴイスカ著の『ゲルダ・タロー』も300ページ以上あったが、翻訳者の木下氏が解説しているとおり映像が目に浮かぶ文章で、今度は読みすすめることができた。


ゲルダ・タロー』を読みおわってみると、最初に手にした『ゲルダ』も最後まで読むことができた。


やっと読みおわって、2冊を比べてみると、たしかにイルメ・シャーバー著『ゲルダ』はとっつきにくい。
著者の肩書きが歴史学者、作家、キュレーターなので、ゲルダの生涯についての情報量も多く資料写真もたくさん載っているのだが、事実を淡々と積み上げる学術書に近い書き方になっている。


ジェーン・ロゴイスカ著の『ゲルダ・タロー』は、さすが著者が映像作家で、2人を主人公にした映画の脚本も書いているとのことで、ゲルダの生涯がドラマチックに描かれていて、物語に引き込まれる。


その代わり、イルメ・シャーバー著『ゲルダ』に比べると、省略が多く、多面的なゲルダの生涯を単純化している嫌いがある。


とっつきやすいのは『ゲルダ・タロー』で、より詳しくゲルダの生涯を知りたい人には『ゲルダ』がお薦め、というところだろうか。


そのほか両者の違いを挙げるとすると、あと3つ。


まず判型と紙質。
ゲルダ』が19センチ×13センチで軽い紙を使ったソフトカバーなのに対し、『ゲルダ・タロー』は縦・横とも約2センチずつ長く、重い紙を使ったハードカバーである。


2番目に資料写真の使い方。
ゲルダ』がすべて白黒写真で、写真のサイズが小さいものが多いのに対し、『ゲルダ・タロー』は作品として鑑賞できるようサイズの大きい写真が多く、「メキシカン・スーツケース」写真のように、ここぞという資料をカラー印刷している。


3番目はお値段。
ゲルダ』も税込み2,268円で、そこそこいいお値段なのだが、『ゲルダ・タロー』の税込み5,832円に比べると、お手頃価格に思えてくる(笑)。


ご興味があってサイフに余裕のある方は両方お読みいただくとして、ほかの方は、いろいろ比べて買う、買わないを判断してもらいたい。


もう一度、Amazon のページを紹介しておこう(笑)。


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困ったことに、今回、書評を書きながらネット検索していて、またまた関連資料を見つけてしまった。


『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』という2013年6月公開の映画だ。


このYouTube の予告編を見ると、ぜひぜひ見たくなってしまった。


日本語字幕版が定価 5,184円のところ、Amazon で2,940円で売っている。


もう、これは買うしかない!