キャパの十字架(その3)

(承前)


久しぶりに本棚からキャパの本と展示会カタログを取り出してみたら、それぞれ、新聞記事の切りぬきが挟まっているのを見つけた。


ひとつは、『ちょっとピンぼけ』文庫本に挟んであった朝日新聞の記事。「『崩れ落ちる兵士』身元判明」との見出しで、手書きで「1996年9月2日(月)夕刊」との書き込みがある。
記事は、以下のようなものだった。

スペインのアマチュア郷土史家が根気よく記録を調べ、戦死した兵士の親族にも写真を見せて確認したという。(中略)
「崩れ落ちる兵士」をめぐっては、この写真を収めた同じフィルムに、ライフルを握ったまま倒れている兵士も写っていたことなどから、「本当に戦死の瞬間を撮ったのか」との疑問もささやかれていた。


キャパの撮影した「崩れ落ちる兵士」(『ちょっとピンぼけ』では、「斃れゆく瞬間の民兵(ミリチャ)」と名付けていた作品)に写っている兵士の身元が、60年も経ってから判明したことと、この作品にはヤラセ疑惑があったことを報じた記事だ。


もうひとつは、「ロバート・キャパ全作品展」のカタログと一緒に保管してあった、やはり朝日新聞の記事。1998年2月8日(日曜版)の「100人の20世紀」という連載でキャパを取りあげたものだ。
山本健一という記者が、「崩れ落ちる兵士」のヤラセ疑惑を追究した過程を綴っている。1996年にスペイン人郷土史家が倒れた兵士の身元を確認した、という情報を元に、記者はスペインへ飛んだ。兵士の親族に直接インタビューしたあと、撮影場所とおぼしき丘も訪ねたという。


「100人の20世紀」は、朝日新聞創刊120周年を記念した企画らしく、予算も潤沢だったようだ。山本記者は、ニューヨークを訪れてキャパの伝記を書いたウィーラン氏やキャパの弟のコーネル氏に会ったり、アトランタを訪れてDディの写真に写っていた兵士にインタビューしたりしたかと思えば、シャルトルに飛んでナチスに協力して丸坊主にされた女性について話を聞いたりしている。


世界を回った取材の最後に、キャパが日本の撮影旅行をしたときに世話をした元「カメラ毎日」編集部員に聞いた話も載せていた。
「崩れ落ちる兵士」について尋ねられると、キャパは「戦争なんていやだ。思い出すのもいやだ。話をするのもいやだ」と答えたそうだが、そう言いながら、キャパは「ライフ」の依頼で羽田からインドシナ戦線取材に向かい、3週間後に仏領インドシナ(現ベトナム)で地雷を踏んで亡くなった。


最後に身につけていたニコンのカメラを所蔵している東京富士美術館を訪ねた山本記者は、カメラのレンズに今もうっすら血のしぶき跡が残り、革ケースに黒ずんだ血のしみがと見られることを伝えている。


(その4へ続く)