著者:ジェーン・スー 出版社:新潮社 2018年5月刊 1,540円(税込) 237P
本書を知るきっかけは、本書を原作にしたテレビドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』だった。
2021年4月10日から6月26日まで毎週土曜 0時12分~0時52分(金曜深夜)にテレビ東京の「ドラマ24」枠で放送されていた。
吉田羊、國村隼の2人が主人公を演じることを知り、録画して楽しみに見始めた。
ドラマは「トッキーとヒトトキ」という番組のオンエア場面からスタートした(ように記憶している。違っていたらゴメンなさい)。
吉田羊が演じるラジオパーソナリティーが、
「TBXラジオから生放送中の『トッキーとヒトトキ』、パーソナリティーは、人生の酸いも甘いもつまみ食いのコラムニスト、トッキーこと蒲原トキコと」
と軽快に話しはじめ、アシスタント役の田中みな実が、
「TBXアナウンサー東七海がお送りします」
と続ける。
「さあ、ここからは皆さまのお悩みについて考える『晴れ時々お悩み』のコーナーです」
と、ほぼ毎回リスナーのお悩みに答えることがドラマの縦軸のひとつとなり、もうひとつのテーマである、トキコと父親の愛憎が入り混じる家族の物語が少しずつ進行していく。
全12話の放送を見終わった僕は、原作者ジェーン・スーをもっと知りたいと思ってラジオを聴いてみることにした。
原作者がパーソナリティーを勤めている番組は、TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』という名前で、月曜~木曜11:00~13:00に生放送している。
番組が始まって1時間後、12時ちょうどに始まるお悩み相談コーナーはドラマそっくりだった。
「さあ12時。ジェーン・スーの『生活は踊る』。パーソナリティーは人生の酸いも甘いもつまみ食いのジェーン・スーと」
「○曜日はTBSアナウンサー○○がお送りしています」
「ここからは『相談は踊る』のコーナーです」
へぇー、「人生の酸いも甘いもつまみ食い」っていうキャッチコピーも一緒なんだー。
「酸いも甘いもつまみ食い」というと、何か中途半端に生きてきたような印象を与えるが、そんなことはない。
番組に寄せられる深刻な相談はもちろん、ちょっとした困りごとの相談に対しても、自分の人生経験をフル動員して答えるジェーン・スーは、人生の達人だと思った。
すっかりファンになってしまった。
ラジコで『相談は踊る』を聴くのが寝る前の日課になり、毎週金曜日に配信されるジェーン・スーと堀井美香のPodcast番組「OVER THE SUN」も楽しみにしている。
前置きが長くなった。
本書の紹介に移ろう。
一人っ子のジェーン・スーが母を亡くしたのは、本書刊行の21年前のこと。
母の生前、
「お母さんお願い、お父さんより先に死なないで」
とお願いしていたくらいジェーン・スーは父と相性が悪かった。
なにしろ、父は全盛期の石原慎太郎とナベツネを足して二で割らないような男だったのだ。
父が残って母が亡くなることは最悪の状況だった。
それでも残った二人で何とか暮らそうと実家にもどってみたこともあったが、2回トライして2回ともダメだった。
母の死後、父は自営業に失敗して「スッカラカン」になり、豪邸だった自宅も手放さざるを得なくなる。
小石川の自宅を手放して5年後、父はその後移り住んでいた要町から出ていくことになり、娘に新居の相談をしに来る。
父が見つけてきた物件は60平米を優に越え、かなりゆったりした2LDKだった。
ある程度の援助を覚悟していたジェーン・スーが、
「で、いくらなの?」
と尋ねたところ、毎月の年金額より1万円多いという。
しかも、まったく悪びれていない。
ジェーン・スーは決めた。
「いいよ」
「いいけど、君のことを書くよ」
父のことを原稿に書いて、その原稿料で家賃を払うけどいいね! という条件を提示したのだ。
「いいよ」と父が答えた。
この本の元になる連載エッセイが決まった瞬間だった。
波瀾万丈の父の人生は、じゅうぶん読み応えのある内容になると思ってはいたが、著者は伝記のような構成はとらなかった。
毎月行っている母親のお墓参りの様子からはじまって、介護施設に入居している母の妹(叔母)を訪ねたり、従姉妹たちに自分が生まれる前の父のことをインタビューしたり、子どもの頃に行けなかった動物園に二人で行ってみたりして、その時々の父の言動から父の人となりが立ち上るようにエッセーを書いていったのだ
父の過去を掘り起こしながら、ジェーン・スーは父と母の夫婦の歴史にも思いを馳せてしまう。
それは、決して楽しい場面ばかりではなかった。
一箇所だけ、「はんぶんのおんどり」を紹介する。
父がC型肝炎で入院し、母もがんで入院してしまったとき、著者は入ったばかりの会社を半年の予定で介護求職した。
手術後、母には僅かながら回復の兆しがあったが、父は母の手術に立ち会えない事実を受け止めきれなかったらしく、心が壊れてしまった。
どうしても家に帰りたいと父が言い出し、週末の外泊が許可された。
ある週末のこと。訪ねてきた兄夫婦が帰るのを見送った父は、そのままうずくまって声を出さずに泣きだしてしまった。
医師からは「とにかく、いまは誰かが必ずそばにいてあげてください」と言われた。
自死を選ぶこともある精神状態だというのだ。
著者は子どもの頃に読んだ「はんぶんのおんどり」という童話を思い出した。
母が全力で死から遠ざかろうとしている最中、父は自ら死へ歩みを進めていくのか。私はどちらの手を取ればいいのか。
(中略)
私はおんどりの気分だった。ここまでなんとか頑張ってきたし、頑張ればなんとかなると思っていた。が、そうでもないらしい。
身が半分に割けるような思いだが、物理的に私を半分に割くことは無理なのだ。別々の場所にいる母と父を、同時に看ることはできない。
母の病院に行かねばならぬ時間は刻一刻と迫っていた。
ドラマの回想シーンで、20代のトキコを演じた松岡茉優の、本当に困ってしまった表情が忘れられない。
自分の無力を思い知らされた著者は、ある決断をする。
しかし、その決断は悔しさと虚しさで胸を掻きむしりたくなるものだった。
心に、一生忘れられない傷が付いた……。
だからといって、著者は父と縁を切ることはなかった。
いまも、毎月いっしょに母の墓参りに行くし、食事をすれば支払を引き受け、家賃も援助している。
ちなみに、父は私の友人から「オレオレガチ」と呼ばれている。「オレオレ」と電話してくるのは偽の息子ではなくガチ(本物)の親で、しかも本当にお金を必要としており、娘である私がまったくうろたえずに振り込むからだ。なにもかもめちゃくちゃだけれど、父と私の関係をよく言い表している。
不思議な距離感の親子が、このエッセーを書くことで新しいステージに立ち至るのだが、詳しくは読んでのお楽しみとさせていただく。