株式会社家族


著者:山田かおり/著 山田まき/絵  出版社:リトルモア  2010年2月刊  \1,365(税込)  125P


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著者の山田かおりさんは、1974年兵庫県尼崎市生まれ。京都芸術短期大学(現・京都造形大学ファッション科)を卒業したあと、ファッションブランド「QFD」を立ち上げる。CM、舞台、ファッション誌に衣装提供していて、ファッション界ではそこそこ成功しているらしい。


ところが、かおりさんの父は会社に勤めていない娘の将来を心配している。実家に帰ると、かならず「お前はいつまでニートか」と言われるそうだ。
「お前みたいなんがいずれルンペンになる。父さんわかってる」と説教されるのは辛い。


母親も母親である。
かおりさんがデザインして売れ残った服を実家に置いておくと、母親が勝手にリサイクルショップに売りにいく。おまけに「かおりのデザインした服、変やから高く買うてくれへんのよ」とケチをつける。
しまいには、「おまえ、いっぺんユニクロ連れてったらなあかんな」と父が言う。


本書は、クスッと笑ってしまう家族のエピソードが、見開き2ページにひとつづつ綴られたエッセイ集である。



お笑いのダウンタウンもそうだが、尼崎出身者は、アマのビンボー物語をネタに笑いをとるのが上手いようだ。
僕も1年だけ兵庫県西ノ宮市の社宅から尼崎市の会社へ通う生活をすごしたことがあるが、尼崎住民は、ちょっとビンボーで陽気なキャラクターを演じる人が多かったように思う。


いつまでたっても娘の成長を理解できない両親を中心に、本書ではイラストを担当しているニヒルな妹や、ジェームス・ブラウンにそっくりな伯母が登場して、ビンボーだった少女時代の逸話で読者を笑わせてくれる。


たとえば、かおりさん一家がはじめてドライブスルーに挑戦したとき。父はわざわざ車を降り、マイクの前で「ポテトチップ」と言ったそうだ。父はフライドポテトの正式名称がポテトチップと信じているのだ。
同じく、スターバックスのことを「オートバックス」と覚えている父に、そのままでいて欲しいと願っているかおりさんである。


週末になると、ジェームス・ブラウンにそっくりな伯母さんがご馳走してくれるので、毎週のように乗車定員2名の軽トラックで家族で出かけた。
父が運転席、母が助手席に座り、母の膝にかおりさんと妹が乗る。それだけでも窮屈なのに、足元に飼い犬、荷台にケージに入れたうさぎを乗せて、4人と2匹で出発した。


「見つかったら定員オーバーで捕まるで」と母が脅かすので、妹はパトカーの見張り役に徹する。
「来た」という妹の合図でかおりさんと妹は母親の足元にすべりこみ、「行った」という母の合図でまた顔をあげる。ただでさえ狭いところに押し込められている飼い犬が鼻の上にギャザーを作って低くうなっている状態なので、命がけの移動だったという。



屋台のラーメン屋さんのチャルメラの音が聞こえると、母は
  「あの音は聞き分けの悪い子をさらって食べる魔物の音だ」
と娘たちに教えた。


ある夜、人さらいの音が聞こえたあと、かおりさんは父と母が玄関を出ていった気配を感じた。
ふすまを開けてみたら、やっぱりいない。


「自分は今夜、子殺しの危機に直面したうえ親にも見捨てられたのか」と、ゆかりはどん底の気持ちになる。


一大決心で両親を探しに家をでると、初めて目にする不気味な光景を見た。
遠くに見える明かりの方へ進んでいくと、駐車場でどんぶり片手に大勢のおとなたちが座っている。
とつぜん、群集のなかにいた母親が「あんたどうやって来たん!」と叫んだ。


ラーメンデビューした3歳の夜の出来ごとだった。


この「人殺しと両親の家出の謎」を笑いながら読んだあと、そういえば自分にも同じような経験があったことを思い出した。


北海道の片田舎に住んでいた5歳頃のことだ。
その頃、まだ電気が通じておらず、ランプ生活をしていた。


ある夜、目が覚めると両親がいない。夜中に大人がいないというのは初めての経験だ。
かおりさんと同じように、僕は一瞬で絶望した。
「わが家は貧乏だと思っていたが、とうとう親に見捨てられてしまったのか」


3歳下の弟と2人で抱きあったまま、ランプの炎の下で泣いていたことを覚えている。


僕は両親を探しに出かけていかなかったが、あとで聞いた話では、近所で自動車のバッテリで映るテレビを持っている人がいて、大人がたくさん集まって「若い季節」というNHKのドラマを見ていたらしい。
大人はこっそり楽しいことをしているらしい、と気づいた僕は、ちょっぴり大人になった。


長いこと忘れていた、そんな記憶をかおりさんのエピソードがよみがえらせてくれた。


家族っていいなぁ、としみじみ思わせてくれるエッセイ。
めっけもんだ。