エッセイ脳 800字から始まる文章読本


著者:岸本葉子   出版社:中央公論新社  2010年4月刊  \1,470(税込)  201P


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著者の岸本葉子氏は、エッセイを書くプロライターとして20年以上エッセイを書きつづけてきた。
誰からもエッセイの書き方を教わる機会はなかったが、書きつづける中でエッセイの勘どころを会得するようになったという。


エッセイを書くときの頭の中は、いわば「エッセイ脳」だ。そのエッセイ脳が何を考え、何を工夫しているかを解剖してみよう、というのが本書の主題である。



岸本氏は序章で次のように言っている。

この本では、私がエッセイをどのように発想して、どのように読み
やすさを心がけているかを、自分の作品に即して語ります。


本書の2本柱が「どのように発想するか」と「どのように読みやすくするか」であることを宣言しているのだ。わずか200ページでこの大きなテーマに答えを出そうとする意気込みはすばらしいと思う。


しかし、結論から言うと「どのように発想するか」という前半の柱、エッセイ脳の神秘的活動については、まだまだ解明しきれない部分が残されたように思う。
起・承・転・結のうち、岸本氏が「転」を重視していること、文章の構成を考えるときもまず「転」から考えることなど、岸本氏の独自の工夫を惜しげもなく明かしてくれてはいる。


しかし、どうやったらエッセイに書く題材を考えつくか、という一番知りたい疑問には答えてくれない。


ひとつだけ、次のような答えらしきつぶやきを引用してみよう。

(エッセイのテーマを)与えられた瞬間は、「え、そんなこと、もう書いたよ」とか、逆に「そんなこと考えたことないよ」と思っても、あれこれ考え、呻吟しているうちに、忘れていた記憶がよみがえるなどして、テーマに関係させて題材となりそうなエピソードを、自分の中からなんとかつかみ出してこられるものです。


「自分の中からなんとかつかみ出してこられるものです」って、そんなアータ、野球の長島選手じゃないんだから。「スーッときたらパーンと打てばいい」みたいに言われて納得する人もいるかもしれないけど、ふつうの人は分かんないでしょ!


……失礼、つい興奮してしまいました(汗)。


というわけで、「なにを書いたらいいか」という一番のオリジナリティは、やはり自分で探す覚悟をかためるしかないようだ。むしろ、「どのように読みやすくするか」に着目して本書を読むことをオススメする。


エッセイと書評では書く目的も書きかたもちがうのは当たりまえなのだが、僕自身も参考になる工夫をたくさん見つけた。文章をたくさん書いてきた人ほど「ある、ある、へえーっ、そうなんだ」と共感したり再発見する箇所が多いはずだ。


いつものようにネタばらしに注意しつつ、いくつか印象に残った箇所を紹介させていただく。


ひとつ目。セリフの使い方について。

枠組の文で情報を、段取りを考えながら出していくよりも、セリフなら、いっきに情報提示できてしまう気がして、使いたくなります。
 でも、だからといって多用しない。
 たしかに、キャラクターや人間関係、場の雰囲気を伝えて、効果的ではありますけれども、多用すると、効果が減じます。読者に印象づけるためには、絞って使う。


小説ならば会話の多用が当たりまえでも、エッセイは短文なので、ここぞ、という場所以外はセリフを使わないという禁欲的な態度が必要、ということだ。


2つ目。読者への配慮について。

自分≠他者の本質は変えられないけれど、読み手と書き手の間の溝をできるだけ埋める。読み手の負担を、できるだけ軽減する。それには、一語一語のつながり、一文一文のつながりについて、こうではないか、ああではないかと迷うような幅をできるだけ狭めて、読み手の苦労をなるべく少なくする努力が、何よりも求められます。


文芸や評論などのほかのジャンルの文章に比べてみると、エッセイは読みやすさに求められるハードルが高い、と岸本氏は考えているのだ。


3つ目。推敲について。

誰だって、自分の書いたものを読み返すのは、嫌です。(中略)でも、そこが辛抱のしどころです。
 書くプロセスの中で、もっとも興がわかない推敲こそが、読みやすさを高めるための、必要にして不可欠なプロセスであると、ほんとうは自分で知っている。なので、逃れるわけにはいきません。
いかに苦痛であろうとも、覚悟して取り組むほかはないのです。


「誰だって、自分の書いたものを読み返すのは、嫌です」と断言しているのには異論がある。


たとえば「千夜千冊」等で大量の原稿を書きつづけている松岡正剛氏は、読書が進まないときは、自分の本を読むと元気が回復すると言っていた。(松岡正剛著『多読術』にて)


僕も自分の書いた文章を読み返すのが大好きで、なかなか新しい原稿が書けないときは古い原稿を読み返す。
「なかなかいいこと書いてるじゃないの」と元気になるのだ(笑)。


それはさておき、書き終わった直後の原稿をとことん推敲する、というのはやはりシンドイ作業に違いない。早く提出して、ひとつの原稿を書き上げた、という開放感を味わいたいからだ。


それでも読み返す。直しを入れる、と岸本氏は宣言しているわけで、やはりこれはプロ精神というものなのだろう。


人に読んでいただくからには、プロ精神を持とう!
本書のメッセージはこれに尽きるようだ。


以下、本書から離れる。


実は、本書を読みはじめる前、文章の腕だめしと思って4月末日が締め切りのあるエッセイ大賞に応募した。


あと追いで本書を読みながら、ついつい自分の書いた1,600字の原稿を反省させられた。
いちばんショックだったのが、「書き出しに凝るのはリスキーといえます」というご指導である。


岸本さんが書き出しで重視しているのは、なるべく抵抗なしにエッセイの中に入ってきてもらうこと、ということだった。
こんな意見を聞いたのははじめてで、今回の僕の応募原稿も書き出しにはなるべく審査員の印象に残るような一文を入れたのだ。


やっちゃったかなぁ……。