著者:小田嶋 隆 著 出版社:ミシマ社 2012年6月刊 \1,575(税込) 253P
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小田嶋隆氏が日経ビジネスオンラインに連載している「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明」というエッセイが好きで、毎週欠かさず読んでいる。
まったくビジネスに関係ない内容なのに、日経ビジネスオンラインのアクセスランキングで常に上位に入っており、今年6月の集計結果を見ると、
- 「会長/社長、役員」が読んだ記事の第3位と第4位
- 「年収2000万円以上」が読んだ記事の2位、5位、7位、10位
- 6月に読まれた記事の3位、4位、6位、11位
にそれぞれランクインしている。
女性に配慮した内容でもないのに、「女性」が読んだ記事では、なんと2位、4位、6位、7位を占めている。6月に載った原稿は4本だけだから、全てのエッセイがベスト8にランクインしたのだ。
小田嶋氏のエッセイは、取り上げた題材を徹底的に揶揄する、という作風で書かれている。
原発再稼働も、AKB48の総選挙も、金環日食も、オダジマは取り上げたネタに正面から向き合ったりしない。
この問題について詳しくはないのだが……、というスタンスを取りながら、ある時はこき下ろし、ある時は邪推し、ある時はあざ笑い、そしてある時は「そんなこと言っちゃってもいいの?」と感じるほど突っ込んだ意見を表明する。
要するに、人を喰った文章を書く、食えないやつ、なのだ。
その、人を喰った文章を楽しみに待っている多くの人々は、タテマエだらけの正論に疲れているんだろう、と思う。
本書は、人気コラムニストが書いた「コラム道」なのだから、コラムの書き方、コラムを書く心構えが書かれた文章読本である。……と、思うかもしれないが、残念ながら違っている。
オダジマのことだから、コラムの書き方に正面から向き合ったりしない。
この問題については専門家の一人ではあるが……、というスタンスを取りながら、いつも通り、ある時は煙に巻き、ある時は言い逃げ、ある時ははぐらかし、そして最後には「大成功だった」と開きなおる。
人気コラムニストから文章術を学ぼう、と思って読みはじめると、期待はずれにおわるので、ご注意いただきたい。
そもそも、オダジマの書いた本から、何か実益を得ようと考えること自体が間違っている。
そうではなく、
「コラムの書き方」をネタに、オダジマがいつものようにタワゴトをほざいているのを楽しむ
という姿勢で読むべきなのだ。
オダジマが「コラムの書き方」に真摯に取り組んでいないことは、何よりも本書の成り立ちが証明している。
本書の企画がスタートしたのは、2007年の春。
ミシマ社の社長から直々に執筆依頼を受けて、書き下ろし原稿を書くことになったそうだ。
しかし、タイトルと目次立ても決まったというのに、オダジマは原稿を書かない。
締め切りがあれば書くだろう、ということで、ミシマ社ホームページでの毎週連載が決まった。
第1回「コラム道に至る隘路」が2008年10月3日に掲載され、順調に原稿が仕上がることが期待された。……が、第2回「コラムとは何か」がミシマ社ホームページに公開されたのは、10月21日。毎週連載のはずなのに、18日も経っていた。
「申し訳ない」と反省の弁は書いあったが、第3回はほぼ1ヵ月後の11月18日、第4回はその2週間後の12月2日、第5回に至ってはさらに3ヵ月後の3月5日まで間があいている。
誰も「毎週連載」を信じなくなったあと、第6回以降は5ヵ月半、5ヵ月、1年4ヵ月と間があき、制御不能に陥る。
その後なぜか3回だけ「毎週連載」されたあと、とうとうミシマ社ホームページでの連載は終了。
続きは有料コンテンツとして、R25collegeに連載することになった。
よくこれで愛想を尽かされないものだ、と感心してしまう。
締め切りは守らなかったオダジマだが、毎回の言い訳は笑えるので、引用させていただく。
まず、連載第2回の冒頭。
いきなりの休載失礼しました。
休載と救済。
あるいは魂の休載。
まあ、いろいろとあるわけです。
申し訳ない。
続いて、連載第3回のはじめ。
またしても間があいてしまった。
困ったことだ。
コラムニストにとって「〆切」がいかにデッドなラインであるのかということについて、いつか一項を立てねばならないだろう。生命線。あるいは死線だろうか。越えても生きているが。案外。
懲りずに連載第4回も遅れて。
ご無沙汰であるとか、休載がどうしたとか、風邪がとかペットの仇がとか、そういった種類の話題を冒頭に配置するのは、冗談を嫌うショートテキストであるコラムにとって、幸福な出発ではない。
(以下、この3倍の行数を使った言い訳は省略)
ど〜んと3ヵ月休載したあとの第5回。
状況を説明する。
私はモチベーションを喪失していたのではない。
私が見失っていたのはモメント(きっかけ)であってモラール(士気)ではない。
最初の〆切をフラっと踏み越えてしまったというそのちょっとしたつまずきが、良心的な書き手たるオダジマをして三カ月におよぶ停滞に至らしめた、とそう思っていただきたい。
(まだ続くが、省略)
このあと、また5ヵ月半休載するが、とうとう本人も開きなおったようで、冒頭で言い訳しなくなったのは残念である。
以上、紹介したとおり、ふつうなら面白くも何ともない謝罪の言葉が、オダジマの場合、芸の領域に達している。
他の文章も推して知るべし。
コラムの書き方をネタにしたヨタ話が面白くないわけがない。
全ページ笑える箇所ばかりと言って過言ではないが、あまりのオトボケぶりに感動さえ覚えた秀作を、二つだけ紹介させてもらう。
ひとつ目は、「文体」という大ネタについてさんざんこねくり回した後で書いた次の文章。
といったところで誌面が尽きた――というこの言い方は、媒体がウェブであるかぎりにおいて、ウソくさい。っていうか、ウソだ。正直にいう。根気が尽きた。続きは来週に持ち越すことにする。
もう一つは、文末の「結末、結論、落ち、余韻、着地」の大切さを延々と述べたてた後に登場する次の文章。
さて、当稿の締めは、大変に難しい。なんとなれば、原稿の締め方について教えを垂れたその原稿の締めくくりである以上、理想的な締めの一言を、見本として提示してみせるのが筋だからだ。
うむ。非常にハードルが高くなっている。飛び越えられるだろうか。緊張する。
こういう場合は、いっそハードルをくぐるのもひとつの見識だ。さよう。撤退する勇気、ってヤツだ。勇気と正反対の態度に勇気という名前をつけて納得させる方法と言い換えてもよろしい。殴りつける優しさ。ウソをつく正義。頑張らない介護。粋な別れ。つまり、芸のない終わり方をすれば良いということだ。
また来週。とか(笑)。
みごとだ!
来週まで待っても、次の原稿は上がってこない。
それを読者が分かっていることを承知の上で、決まり文句のふりをして「また来週」と書く。
もしかすると読者を怒らせるかもしれないのに、こんなオチを書けるのは、『地雷を踏む勇気』の著者である小田嶋隆だけだ。
一見いいかげんに見えるオダジマの文章だが、ベストセラー作家の中に長年の小田嶋隆のファンがいる。
それは、巻末で特別対談している内田樹氏だ。
「最初期からの愛読者」という内田氏は、小田嶋氏の単行本を全部持っているそうだ。
『笑っておぼえるコンピュータ事典』という、20年も前に出てもう絶版になっている小田嶋氏の初期の著作が話題に上がっていた。
コンピュータの本としては役に立たないのに、たまに引っ張り出して読んでいることを告白し、内田氏は、次のように絶賛する。
これが本当におもしろいのよ。いわゆるハウツー本の対極にある本でね。小田嶋さんの書くものの魅力というのは、コンテンツじゃなくて、スタイルなんだよね。
このあとも、こんなにヨイショしていいのか、と突っこみたくなるほどほめ言葉が続き、とどめに、次のように結論した。
日本に小田嶋さんのような文体と思考をする書き手は他にはいません。小田嶋隆は日本の宝です。
いままでいろいろな対談を読んできたが、これほどまでにホストを絶賛するゲストは見たことがない。
きっと、小田嶋隆は日本の宝なのだろう。
さて、今日は、いつもより長い紹介文になってしまい、そろそろ誌面が尽きた。
いや、正直に言うと、根気が尽きた。
そろそろ、締めのひと言を書くことにする。
どんなふうに締めればいいかなぁ、と思い悩むこともなく、オダジマの本を読んでいなければ思いつかない結びの言葉を思いついた。
ありていに言えば、パクリであるが、本書に敬意を表して書かせていただく。
それは……、
では、また来週!