20歳の自分に受けさせたい文章講義


著者:古賀 史健  出版社:星海社新書  2012年1月刊  \882(税込)  276P


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書評ブログなんか書いていると、定期的に文章術の本を読みたくなる。もっと良い文章を書いて、もっともっと面白い紹介文に仕上げたいからだ。


しかし、同じジャンルの本を何冊も読んでいると、どれも同じ内容に見えてくる。もちろん著者が違えば内容も異なっているのだが、「あっ、これ前にも読んだ」と既視感にとらわれる場面が多くなる。


先月も『文は一行目から書かなくていい』という、刺激的なタイトルの文章術を読み、たくさんポストイットを貼った。ところが、貼ったポストイットの箇所を読みかえし、いざレビューを書こうとしてやめてしまった。
著者には申し訳ないが、ハッとする気づきがほとんど無かったからだ。


今日の一冊、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』は違う。はじめて聞く話が多いだけでなく、著者の古賀氏の語り口が熱い。
これだけ熱く語られると、実際に文章を書いてみたくなる。「書こう!」が伝染する文章読本なのだ。




文章術というのは、著名な作家が「私の創作の手の内を明かしてあげよう」という、もったいぶった態度で書いているものが多い。
しかし、本書の著者である古賀氏は、これが単著デビュー作である。いままで80冊以上の本づくりに携わってきたとはいえ、まったく無名のライターなのだ。


知名度ゼロといってもいいのに、古賀氏は臆する様子をみせない。
文章のプロとして、

それなりの自信があるし、経験もノウハウも持っている
つもりだ。ライターである自分にしか語れないことは山
のようにあると思っている。

と「はじめに」で宣言しているほどだ。


その文章のプロが本書でめざすのは、「話せるのに書けない!」を解消すること。


よく、「文章なんて、話すように書けばいいんだ」と簡単そうに言う人がいるが、話すようにスラスラ書けるなら、誰も苦労しない。おしゃべりは出来ても文章を書こうとすると思うように書けないのはもどかしいものだ。


じゃ、どうすれば「話せるのに書けない」が解決するのか。


古賀氏の答えはシンプルだ。

書くことをやめて“翻訳”

すればよいのである。


翻訳して伝えようとするには、伝えたいことを整理する必要があるし、伝わりやすい話の順番を考える必要もあるし、何より自分の言葉で話す必要がある。


古賀氏は“翻訳”の具体的方法を本書で講義してくれている。


「第1講 文章は『リズム』で決まる」では、接続詞の使い方、句読点の打ち方、漢字とひらがなのバランスの問題を扱い、
「第2講 構成は『眼』で考える」では、起承転結の再発見、論理展開のしかたなど、構成のしかたを教え、
「第3講 読者の『椅子』に座る」では、読者の目を意識することの大切さを語り、
「第4講 原稿に『ハサミ』を入れる」では、原稿を読み返し、修正して完成させていく具体的ノウハウを明かしている。


それぞれ、古賀氏が教えてくれる文章術は、ものすごく勉強になった。
……気がする。


もしかすると、他の文章読本と同じようなことを言ってるのかもしれないが、ともかく自信たっぷりに講義してくれるので、古賀氏の自信がこちらに伝染する。伝染すれば、何か新しいことを身につけた気がしてくるし、すぐに文章を書いてみたくもなる。


読者に行動を起こさせるのは、良い文章読本だ。
これはオススメである。


読者それぞれに参考になる箇所、感心させられる箇所が違うと思うが、僕が、「そうだ、そうだ!」と共感したところを2箇所ご紹介する。


ひとつ目は、文章の読みやすさの正体について。


結論だけ端折って紹介すると、古賀氏は次のように喝破している。

文体とはリズムである。


「リズム」とは、(中略)どこまでも論理的なものなのだ。


リズムの悪い文章とは、端的に言えば「読みにくい文章」のことである。


文がおかしいのではなく、文と文の「つなげ方」や「展開の仕方」が
おかしいとき、その主張は支離滅裂となり、リズムよく読めなくなるのだ。


文章と文章の間に接続詞を置いてみれば、きちんと論理的につながっているかどうかすぐにわかる、という意見に僕も賛同する。


自分の書いた文章を読み返してみて、冗長に感じたり、まだるっこしく思ったりするときは、確かに論理の流れが悪くなっている。論理がつながっていればこそ接続詞がなくてもスラスラ読める、という文章を目指そうと思う。


もうひとつは、読者に媚びを売る文章はやめろ! という主張。


古賀氏は、丁寧でへりくだった文章を読むと、虫酸が走る、という。「ここまでへりくだっておけば文句は出ないでしょ」と高をくくっているように感じられ、読者をバカにした文章に思えてしまうのだ。
文章を書くときは、「読者に媚びる書き手」=「読者をバカにした書き手」にはなりたくない。必要以上にへりくだったりせず、

読者をバカにすることなく、読者と正面から向き合いたい。

と古賀氏は表明しているのだ。


いやぁ、熱い!


正面から(しかも、目の前30センチの至近距離で)語りかけている。
ここまで近い距離で自分の考えを主張されると、目をそらすことはできない。詰問状態に耐えながら、自分の姿勢を反省せざるを得ない。


もちろん僕も、自分の文章スタイルについて考えさせられた一人である。


僕はいままで、なるべく丁寧に、読者にへりくだって書いてきた。インターネットで見かける書評ブログの多くが、オレ様調の上から目線で書かれていることへの反発があったからだ。


だが、古賀氏の意見を聞き、必要以上にへりくだる必要はない、と反省した。
反発を食らってもいい、と開きなおるまではいかないが、「自分に正直でありたいし、読者に誠実でありたい」という姿勢を見習おうと思う。


余分な気を使わなくなれば、早く文章が書けるようになれるだろう。


そうすれば、紹介する本の数をもう少し増やせるかもしれない。
本書のおかげで「晴読雨読日記」の更新ペースが上がることを期待して欲しい。