13日間で「名文」を書けるようになる方法


著者:高橋 源一郎   出版社:朝日新聞出版   2009年9月刊  \1,890(税込)  396P


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文章術の本は今までいろいろ手にしてきたが、13日間で名文が書ける、なんて安請け合いしているタイトルをはじめて見た。
しかも、この本、帯に「ほんとに書けるようになりますか?」という問いに対して、「まかせて!」と微笑んでいる著者の写真が載っている。


高橋先生、本気なんですか?


いつもはネタばらしを自粛している僕の読書ノートだが、今日は方針を変えてネタばらしさせていただく。




ウソです。
本書を読んでも、13日間で「名文」を書けるようになんてなりません。


そもそも、著者自身が「名文」を否定している。「あとがき」に次のように書いてあるではないか。

 だれもが「名文」であると認めるような「名文オブ名文」みたいなものは、ないのだろうか。
 そんなもの、ないんじゃないか、とわたしは思う。


小説家として、膨大な文章を世に送りだしている著者だが、自分の文章を名文と思ったことはない。
そんな著者ができるのは、さまざまな文章を俎上に乗せて、その文章の持つ力の大きさを読者と一緒に考えることだけなのだ。


さまざまな文章を一緒に読んで考えるのは、著者が教授を務める明治学院大学の学生たち。
本書は、高橋教授が講義した「言語表現法」のドキュメントである。



タイトルに「13日間」とあるとおり、この「言語表現法」の授業は13回にわたって行なわれた。
毎回、さまざまな文章の紹介を通して、高橋氏が学生たちに「文章」について問題提起する。また、いっぷう変わった課題の作文を宿題にだしたり、書いてきた作文をみんなの前で朗読してもらったりもする。


文章の授業らしくないのは、高橋氏が学生たちの文章に、一切手を加えないことである。


添削して、少しばかり見ばえがよくなる文章術をチマチマ教えるよりも、もっと大切なものがある。それは、さまざまな文章に触れることで、学生たちが、おおいにとまどい、立ちどまることである。
文書をうまく書くようになるのとは正反対の方向へ学生を向かわせること。なにも書けなくなったり、何を書いたらいいのか、何のために書いているのかわからなくなったりして欲しかった。


これが高橋氏の方針なのだ。



本書には高橋氏がしゃべった内容だけでなく、学生たちの発言も収録してあるので、高橋氏の方針に戸惑う様子もあちこちに登場する。


文章の授業なのだから作文の宿題が出ることは当たりまえなのだが、みんなの前で自分の文章を読むように促されると、
  「ええっ! あたしの、読むんですかあ?」
なんて驚きの声をあげる。


嫌ならいいですよ、と言うと、「じゃ、読みます」と読みはじめるのだが、何度も同じ反応が続くと、高橋氏が
  「わからないなあ。どうして、いちいち、驚くの?」
とちょっとだけイラつくところまで「実録」している。



大学の授業らしくない授業には、学生を飽きさせない刺激がいっぱいだ。


ラブレター(本書では“ラヴレター”と表記している)を題材にして、恋愛について問題提起してみたり、生まれてはじめてストリップショーを観賞した体験を語ったかと思えば、わが子が急性脳炎の後遺症で重度の脳障害が残る可能性があると宣告されたことを報告したりする。

毎回のように、学生たちは高橋氏が投げ込む問題に混乱させられ、自分の頭を使ってよく考えるよう仕向けられ、自分の言葉で表現させられる。


高橋氏は、次のように学生を励ます。

「さあ、前へ進みましょう。そこには、なにか、あなたの知らないものが待っているはずです」


脳みそが漂流するような思いを味わったあと、学生たちの心に何が去来するのか――。
受講者の一員となって、一緒に参加することをお勧めする。