いますぐ書け、の文章法


著者:堀井 憲一郎  出版社:筑摩書房(ちくま新書)  2011年9月刊  \777(税込)  222P


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「いますぐ書け!」という堀井氏のご指導にしたがって、すぐに書きはじめてみた。


いつもと違うテイストの書評になると思うが、今までの書評より面白く仕上がったらおなぐさみ。
いつもより面白くなかったら、堀井氏の指導が悪かったと思って、本書は手にとらなくて結構です(笑)。




好きではじめた書評ブログも700冊を越え、日経○○さんからの原稿料つきの依頼原稿も書くようになった。


書き慣れたら早く書けそうなものだが、最近、むしろ原稿を書くペースが遅くなっている。


一時期は、週に5冊くらいレビューを書いていたのに、最近は週に1冊もおぼつかない。
なぜこんなにペースダウンしているかというと、書きながら読み返すことが習慣になってきたからだ。


書いていて一段落すると(文字通り、一段落書きあげると)、読み返して主語と述語の順番を入れ替えたり、同じ言葉の繰り返しを見つけて別な表現を考えてみたり、ついつい、「推敲」作業に入ってしまう。


そのうち眠くなり、「つづきはまた明日」とパソコンの電源をオフにする。
通勤時間が短くなって、ただでさえ読書量が減っているのに、これじゃあ書評ペースも落ちるはずだ。


いかん、いかん。
もっと勢いでかかなくちゃ、と思うのだが、一度ついてしまった習慣はなかなかなおらない。


なんとかしなくちゃ、という思いが引き寄せたのだろう。
今年になって、ものすごく納得してしまう文章術の本に3冊出会った。


1冊目が古賀史健著『20歳の自分に受けさせたい文章講義』。
2冊目が小田嶋隆著『小田嶋隆のコラム道』。
そして、3冊目が本書、『いますぐ書け、の文章法』だ。


古賀史健著『20歳の自分に受けさせたい文章講義』は、熱い。


読者を意識するのは大切だが、だからといって、読者に媚びを売る文章を書くんじゃない! と主張している。
そういう文章は、「ここまでへりくだっておけば文句は出ないでしょ」と高をくくっている。読者をバカにするんじゃない! 読者と正面から向き合え!


これが古賀氏が熱く教えてくれたことだ。
今年2月の読書ノート 参照)


小田嶋隆著『小田嶋隆のコラム道』は、抱腹絶倒。笑わせながら、コラムの書き方を教えてくれた。


特に身につまされたのは、堀井氏の「とにかく書け」、「いますぐ書け」に通じる、次のような文章。

書くためのモチベーションは、書くことによって維持される。
(中略)
 この三カ月ほど働きすぎたから、モチベーションの在庫が切れたとか、そういうふうに考えるのは失敗だ。
 むしろ、モチベーションは、三カ月書かないことによって、枯渇する。そういうものなのだ。

今年7月の読書ノート 参照)


そして、そして、3冊目の本書『いますぐ書け、の文章法』にも、文章を書きたくなる刺激がいっぱい載っていた。


いつもなら、ここで堀井氏のプロフィールを簡単に紹介するところだが、今日は「勢い」を大切にしたいので、省略する。
長年、雑誌のフリーライターをしている人、ということだけお伝えしておく。


堀井氏は、ここ数年、後輩のために「ライター講座」の講師を受け持っている。
授業の中で課題を出して書いてもらったところ、ライター志望者のくせに9割は、堀井氏が満足できる文章に仕上がっていなかった、という。


プロのライターと、ライター志望者(素人)との一番の違いは何か。


それは、「読んでいる人のことを、いつも考えているかどうか」だ。


とかく素人は、「ちゃんとした文章を書こう」、「個性が現れる表現で書こう」なんて考えて文章を書こうとする。


しかし、プロは「ちゃんとした文章」とか、「個性」なんて考えない。


雑誌ライターの堀井氏だからこそ特にこだわっているのは、何を書いたら目にとめてくれるか、どう書いたら面白いと思ってくれるか、と、ともかく読者が読んでくれることを最優先に考えることなのだ。


文章の根本精神はサービスにある。
その自覚がなければ、プロだろうがアマだろうが、読んでもらえる文章は書けない、と堀井氏は言っている。


だから、文体なんて統一しなくていい。
その場に最もしっくりする、読者に伝わると思う書き方をしていれば、「だ体」になったり、「ですます体」になったりしても、一向に構わない。(実際に、本書では、さまざまな文体が混在している)


サービス精神をふまえた上で、文章は主観的に書け、言い切らないといけない、文章は暴走させよ、立って書け、踊りながら書け、……、と次々ともの書きの鉄則を教えてくれる。


最近、遅筆になってしまった僕が、「そうだ!」と共感してしまったのは、文章には勢いが大切だ、という第7章。
「事前に考えたことしか書かれていな文章は失敗である」というタイトルではじめた堀井氏は、成功した文章とはどんなものか、次のように定義する。

書く前にはとても用意できなかった表現やら比喩やら、わかりやすい説明やら、解説がどんどん湯水のごとくに湧いてくるのだ。すごいすごい、おれ、すごい、なんて言葉にせずに書いていて、(でも、このすごい、は自分にとってすごいだけで、書き上がったものを見て、あまりみんなすごいとは言ってくれないんだけれど)、その興奮のまま書き上がるのが、文章として理想です。


とにかく書け、いますぐ書け。
そして、「文章が暴走して手に負えない感じ」を実際に体験せよ。


いやぁ、熱い。
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』の古賀氏も熱かったが、堀井氏も熱い。


これだけモチベーションを上げてもらったら、少しは「筆が走る」文章を書けそうな気がする。


最近、10日間隔が当たりまえだった僕の読書ノートが、こうして中2日でアップできるのは、堀井氏のおかげ。
これからも、勢いで書きあげるスタイルを続けていこうと思う。


さて、今日は勢いで書きあげてみたが、内容としては、いつも通り本の内容を称賛する(今日は特にベタ褒めする)書評になってしまった。


せっかくいつもと違うスタイルにトライしてみたのだから、褒めるだけでなく、熱い熱い堀井センセに、最後に2つほどチャチャを入れてみることにする。


ひとつ目のチャチャ。
堀井氏があげた文章術、「漢字を減らせ」について。


減らす漢字の例として、具体的に、
  「全く、殆ど、恰も、殊に」
は、
  「まったく、ほとんど、あたかも、ことに」
を使え、と言っている。


自分が読めるからといって、読者が読めないかもしれない漢字は遣うな、と説教したあとで、堀井氏はつぎのように書いている。

(読者が)こういう漢字が読めない場合、(中略)書いている人をうっすらと恨んだりする。


「全く」も「まったく」にすべきだ、というのに、「恨んだりする」はチトむつかしいんじゃない?



ふたつ目のチャチャは、「が、」を使うな、について。


「が、」と書いて文章を続けたくなったら、マルを打って文章を区切るべきだ、というイマシメを堀井氏は守っている。
このルールをいつ教わったかというと、実は予備校生のとき偶然出席した授業で聞いたのだ。


このあと、堀井氏はつぎのように続けた。

プロになっても守っている文章の書き方の決まりは、素人のときにたまたま聞いたフレーズなのだ。
 ここから帰納するつもりはないが、でも、文章に関する細かい規則は、各個人が個々に習得していくしかないのだとおもう。


「ここから帰納するつもりはないが、」って堀井センセ、「が、」を使うなと言ったすぐあとに、「が、」を使ってるじゃないですか!


でも、堀井センセは言うに違いない。


「確かに、見直しが足りなかったかもしれない。
 でも、そういう細かいことを気にしすぎるから、文章が走らないんだ。
 もっと勢いを大切にしなさい!」


ごもっとも!!