せいめいのはなし


著者:福岡 伸一  出版社:新潮社  2012年4月刊  \1,470(税込)  222P


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福岡伸一氏は、65万部超の『生物と無生物のあいだ』をはじめ、『動的平衡』、『できそこないの男たち』などで知られる作家である。


本業は分子生物学者。
研究の傍ら手がけた一般向け著作が、ベストセラーを連発するなかで、福岡氏自身は居心地の悪い思いをしていたようだ。


2009年7月に発刊した『世界は分けてもわからない』の中で、福岡氏は次のように述べている。

研究至上主義を標榜する古い大学組織の中には、目には見えない赤外線が低い位置のあちこちに張り巡らされていた。私のふるまいは、しばしばその赤外線を横切って、ちりちりと冷たい、音のない音をたてた。


一般向けの本を出すだけでもよけいなことなのに、年に1冊という研究者としてはハイペースな出版間隔。しかもどの本もベストセラーを続けているとなれば、斯界の重鎮連がおもしろかろうはずはないのだ。



福岡氏の感じる違和感は、大学組織の“赤外線”だけではなかった。


昆虫少年だったころから生命の神秘に魅せられ、生命の秘密を探索する研究者となった。


しかし、研究の進めかたをふり返ると、数限りない実験マウスを殺し、細胞をすりつぶし、アミノ酸を分離し、毎日を「分ける」ことに費やしている。


なのに、分けても分けても、生命の神秘は解明できない。


世界は分けてもわからない、のであれば、これからの研究人生、作家としての人生を考えたとき、研究姿勢を変えなければならないのではないか。


考えたすえ、福岡氏は生命を分解する研究から「統合」へ方向転換する。
2011年4月に、青山大学工学部教授から、同大学の総合文化政策学部教授に転部したのである。


学生が転部することはあっても、理系の教授が文系の教授に転部するなんて聞いたことがない。


福岡氏が研究の方向性を模索するなかで、本書は生まれた。
本書には、福岡氏がギアチェンジする前後に出会い、深い影響を受けた4人との対談が収録されている。


対談相手の4人とは、内田樹川上弘美朝吹真理子養老孟司、の4氏。


福岡氏は各氏との対談をとても楽しみにしており、そのことは、会話の端々にあらわれている。


たとえば、内田樹氏から「今日は何を話しましょうか」と問いかけられると、すぐに、

内田先生とお話ししたいテーマをまとめた「紙芝居」をデータにして何枚か用意しました。

と返す。


川上弘美氏との対談の冒頭では、対談を待ち望んでいた気持ちを込めて、

今日、こうして一介の生物学者である私が川上さんとお話をしているのには、長いいきさつがあるんです。

と口火を切るし、養老孟司との対談でも、

ついに、「養老昆虫館」にお邪魔することができて嬉しいです。

と切り出す。


それぞれ、福岡氏のライフワークである「動的平衡」を中心に話題が展開され、福岡氏には新しい気づきがもたらされる。分子生物学の最先端研究者にとっての新しい気づきは、世界中で最も新しい考え方なのかもしれない。


たとえば、「因果」の問題。


ちょっと前に「複雑系」という概念がもてはやされた。複雑に入り組んでいても、世の中は因果関係で成り立っていて、「どこかで蝶が飛べば、それが台風となって表れる(バタフライエフェクト)」という理論である。


しかし、福岡氏は、次のように否定する。

でも、実は違うと思うのです。世の中は因果関係がありすぎて複雑で見えないのではなくて、もともと因果関係がないことが多い。原因が結果を生むのではなくて、結果と原因はたえず逆転し、相補関係にあって、どちらが先でどちらが後か特定できない。


ミクロの世界に行けば行くほど、原因と結果を結ぶ因果律のようなものはどんどん失われる、ということらしい。


画家のフェルメールと同じ1632年に生まれたスピノザは、「神の摂理」として出来事には必ず因果関係があるはず、と唱えた。20世紀最大の科学者アインシュタインも、「スピノザの神を信じます」と表明し、終生、因果関係がどこかにあるという考え方を変えなかった。


しかし、現在では、この世界は多元的なもので、因果関係はない、というのが(少なくともミクロの世界では)定説らしい。


動的平衡」一本やりの福岡氏に触発を受け、内田樹氏が経済活動や贈与と動的平衡を結びつけて論じる場面も登場する。


福岡氏の「動的平衡」は、あくまで分子生物学の観察から出てきた概念で、たえまなく要素が変化、更新しながらもバランスを維持するシステムのことである。


内田氏のように他の現象と結びつけて論じることを、福岡氏は「拡張」と呼んでおり、「新宿ゴールデン街」や学校や会社組織、築地市場などのほか、地球環境全体に「拡張」させて見せてくれている。


オタク的な人生を歩んできたことを、「英語で言うとnerd(ナード)」と、むしろ誇らしげに語る福岡氏の対談は、4人の対談相手の中に、同じナード気質を発見して、大いに盛り上がっていく。


ちょっと変な人たちの対話は、どこを切っても楽しげに響いている。

参考レビュー


福岡伸一著『世界は分けてもわからない』 ⇒ 日経ビジネスオンライン2010年2月17日掲載の「超ビジネス書レビュー」はこちら