酒と本があれば、人生何とかやっていける


副題:本に遇うI
著者:河谷 史夫  出版社:言視舎  2011年10月刊  \2,310(税込)  326P


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書評家のはしくれを自任していると、ほかの人の書いた書評が気になる。折を見て書評集を手にとってみるのだが、なかには全く参考にならない本もある。
先月も、「翻訳家にして稀代の書評家、初の書評集」という触れ込みを見て、鴻巣友季子著『本の寄り道』を手にしてみたが、僕には合わなかった。


ない!
僕の読んだ本がほとんど出てこない。


かろうじて、アラン・ベネット著『やんごとなき読者』1冊だけが、著者と読書体験を分かち合える本だった。
唯一の収穫は、僕がいかに最近の外国文学を読んでいないかを確かめることができた、ということだ。


その点、本日とりあげる『酒と本があれば、人生何とかやっていける』は違う。
僕の読んだことのある本、思い入れのある本がたくさん登場するし、本の紹介のしかたも、大いに参考になった。


いつも僕のレビューを読んでくれている皆さんは、僕と興味の方向が似ているだろうから、きっとこの本も面白く読めるはずだ。熱心に読んでくれている皆さんには、特に熱心にお勧めしたい。




著者の河谷史夫氏は1945年生まれ。
1970年に朝日新聞に入り、社会部、社会部デスクを経て企画報道室編集委員、編集局特別編集委員論説委員を歴任、2010年に退社した。1994年から7年書評委員を務め、2003年1月から5年、コラム「素粒子」を書いた。


本書は、新聞に載った書評ではなく、「選択」という雑誌に2000年から10年間連載した「本に遇う」というコラムのはじめの6年分をまとめたものである。


連載タイトルが示すように、本の内容だけでなく、「本をだしに、毎回、好きなことを好きなように書い」た、と河谷氏は言う。連載開始時に書評委員を務め、連載後半にはコラムを書いていた著者らしく、エッセイと書評を合わせた内容にしあがっているのだ。


ふつうの書評よりも評者自身の身辺話題の多い、いわば“書評エッセイ”という書き方は岸本葉子氏と共通するスタイルで、レビューを書く上で参考になりそうな気がする。
ただし、著名人、文化人との交友がさりげなく登場するエッセイ部分は、参考にはなってもマネすることは難しい。


書評を書く上で「本の内容をどう紹介すれば読者に印象的に伝わるか」という問題意識を忘れることはできない。正解のない、この永遠の課題を念頭におきながら、自分が読んだことのある本、レビューを書いたことのある本について、特に念入りに読ませてもらった。
元朝日新聞コラムニストと比べるのは僭越かもしれないが、いくつか僕のレビューと比較してみよう。



ウォーターゲート事件の際に大統領を追究する記事を書きつづけたボブ・ウッドワード氏が、かつての情報提供者について書いた『ディープ・スロート』という本が2005年10月に出版された。
河谷氏は2005年の12月号でこの本を取りあげ、情報源の秘匿の問題に新聞記者の立場からの所感を書いた。


新聞のキャンペーンが奏功して大統領を辞任に追いやったあとも、ウッドワード氏は、本人の死後まで情報提供者の正体を明かさない、との原則を貫いた。
情報提供者が最晩年になったとき、家族が説得して公表に踏み切ったおかげで正体が明かされるのだが、記憶がほとんど消滅していて、なぜ情報提供したのか、動機までは語られなかった。


河谷氏の書評は次のように結ばれている。

動機が何だったのか、フェルトは墓場まで持っていくだろう。
かくて謎は謎のまま残れされた。


情報提供者の名前は明かされたが、動機は謎のままになってしまったことを強調する終わり方である。


僕は新聞記者ではないので、謎が残ってしまったことよりも、ウッドワード氏の自制した行動に目が行き、2006年2月のレビューに次のように書いた。

「自分がディープ・スロートだったという気がしない」といいたくなるまでフェルトを追い込みたくはない。
それが、ジャーナリストとしての著者の矜持でした。


情報提供の動機に着目することは同じでも、河谷氏は動機が明かされなかったことを強調し、僕はウッドワードが動機の追及を断念したことを強調した。


ほんの少しの違いだが、河谷氏はジャーナリストとして事実の追究にこだわったのに比べ、僕は記者の心情に着目したぶん情緒的と言えるだろう。



2冊目は宮本輝著の『錦繍』という小説。


蔵王の紅葉の場面からはじまるこの小説を紹介する前に、河谷氏は自身の紅葉見物の思い出をゆったりと語る。本当に良いと思った景色は二度と見にいかないほうがよい、などと語ったあと、おもむろに小説に登場する紅葉の描写を引用した。
景色について四方山ばなしの続きと思わせて小説の紹介に入るという、見事な流れだ。


このあと河谷氏は、物語のあらすじを説明したあと、小説としてのクライマックスについても言及しているのだが、ネタばらしに気をつかう僕としては、少し行き過ぎのように感じた。
小説をめったに再読しないのにこの本は読み返した、と河谷氏が書いているのは、最大級のほめ言葉である。


僕の『錦繍』のレビューは、読み返してみると、なかなか良い。作品の内容紹介のほか、宮本輝氏がこの小説を書くきっかけとなった出来事を2つ挙げている。
2つとも宮本輝氏の別の著書に書かれていたエピソードを拾ったものだが、ひとつの作品について別な角度から見た解説を読むと、作品が重層的に浮かび上がってくるように感じるものだ。


河谷氏と比べても遜色ない書評文になっている、と言ったら自賛が過ぎるだろうか。



もうひとつ、本田靖春氏の訃報に接して書いた一文。


「新聞が光を帯び、新聞記者が輝いていた時代が、たしかにあったのだと思われる」と書き出した河谷氏は、本田靖春氏が先輩記者立松和博のことを書いた『不当逮捕』の内容を、詳しく紹介する。
それは、花形記者が意図的にガセネタをつかまされて、事実と違う記事を書いたしまった経緯を詳述したものだ。


誤報の汚名を着せられた先輩に「一緒に社を辞めましょう」と本田は迫ったが、立松は辞めない。社内での飼い殺し状態に甘んじているうちに、立松は40歳で世を去った。


先輩が亡くなって9年後に読売新聞社を辞めた本田氏は、ノンフィクションの世界で、次々と作品を発表していく。
最晩年、病に苦しみながらも、本田氏は自伝「我、拗ね者として生涯を閉ず」を雑誌に連載した。


本田氏を高く評価する河谷氏は、本田氏が自伝連載を終わらないうちに死を迎えたことについて、次のように書いている。

毎月、息を詰めて、わたしは読んだ。休載するたびに心配した。だが旧臘四日、逝く。七十一歳。一度会おうとして叶わなかった。無念である。


立松氏の無念を紹介したあと、同じ新聞記者の立場で本田氏の死を悼む。見事な結びである。


『我、拗ね者として生涯を閉ず』が書籍になったあと、僕もこの本の書評を書いた。
「黄色い血追放キャンペーン」を中心に本の内容をまとめたあと、自分の感想も書いているのだが、新聞記者の立場で書いた河谷氏の追悼文に接したあとで読み返してみると、やはり、一般人の感想に過ぎないことを思い知らされる。


やはり、比べること自体が僭越であったようだ。


ともあれ、興味の方向が似ている作家が勧めてくれる本は面白い。
きっと、あなたと新しい本との出会いが待っている。

参考図書


書名:本の寄り道
著者:鴻巣友季子  出版社:河出書房新社  2011年10月刊  \2,310(税込)  309P
本の寄り道    ご購入は、こちらから




書名:やんごとなき読者
著者:アラン・ベネット/著 市川恵里/訳  出版社:白水社  2009年3月刊  \1,995(税込)  169P
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書名:ディープ・スロート 大統領を葬った男
著者:ボブ・ウッドワード/著 伏見威蕃/訳  出版社:文藝春秋  2005年10月刊  \1,850(税込)  253P
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書名:錦繍
著者:宮本 輝  出版社:新潮社  2004年3月刊  \460(税込)  270P
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書名:我、拗ね者として生涯を閉ず
著者:本田 靖春  出版社:講談社  2005年2月刊  \2,625(税込)  582P
我、拗ね者として生涯を閉ず    ご購入は、こちらから    僕のレビューは、こちらから