ポーカー・フェース


著者:沢木 耕太郎  出版社:新潮社  2011年10月刊  \1,680(税込)  296P


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ノンフィクション作家で知られる沢木耕太郎が書いた、大人のエッセイ集である。


「大人のエッセイ」といわれても、「大人の」とは何なのかイメージがわかない方もいるかもしれないが、読みおわってみると、本書の帯に大きく書いてあるこのキャッチコピーに深く納得してしまったので、そのまま使わせてもらった。



では、なぜ「大人のエッセイ」なのか。


理由の第一は、リラックスした大人どうしのおしゃれな会話に出てきそうなエピソードがたくさん登場するからだ。
著者の沢木氏自身が次のように言っている。

友人や知人に向かってつい酒場で話したくなるような「話のタネ」が、いつの間にかずいぶん溜まっていた。


そうなのだ。本書に登場する話のネタの多くは、酒場で披露するのがふさわしい内容なのだ。
カクテル、ギャンプル、タバコ、男と女、ダンディズム、アウトロー、職人、挽歌、ビートルズサリンジャー、……。


アイドルや金儲けのような俗な話題など、まちがっても登場しないのがダンディーな大人の会話というものだ。


ふたつ目の理由は、どの話も、きれいにオチがついているからだ。


一つのテーマについて、それぞれ興味深いエピソードを2つ、3つと繰り出したあと、一見バラバラに思える話題を一本の糸で繋げるような見事なひとことで締める。「あっ、そう繋がっていたのか!」と読者を感嘆させる言葉は、あざといまでに決まっている。


「やられた……」という心地よい余韻は、ベタベタの甘いソフトドリンクにはない、辛口の酒のあと味を思わせる。


三つめの理由は、人生の寂寥感をほんの少しだけ語っているからだ。


たとえば、亡くなった知人・友人への悔恨の数々を沢木氏は綴る。

先輩作家の吉村昭氏から文芸家協会に入会しないかと誘われ、直接会って
断ろうと思っているうちに吉村氏が亡くなったこと。


懇意にさせてもらっていた女優の高峰秀子氏に旅先からよく手紙を書いていたのに、病気の高峰氏を気づかって手紙を出さなかったとき、高峰氏が亡くなってしまったこと。


対談で知りあって意気投合した歌手の尾崎豊氏から、何度かコンサートに誘われたのに、行きそびれているうちに尾崎氏が亡くなったこと。死後に発表された写真を見ていたら、彼の書棚に沢木氏の書籍が大事そうに飾られていたこと。


悔恨を語ったあと、沢木氏は、次のように考えを述べる。

 たぶん、悼むというのは「欠落」を意識することである。あの人を失ってしまった! と痛切な思いで意識すること、それが悼むということなのだ。
 だが、人はやがて忘れていく。なぜなら、忘れることなしに前に進むことはできないからだ。前に進むこと、つまり生きることは。
 人の死による「欠落」は永遠に埋めることはできないが、やがてその「欠落」を意識する人が誰もいなくなるときがやって来る。必ず、いつか。そのとき、死者は二度目に、そして本当に死ぬことになる。


号泣するような激しい追悼はしない。
亡き人を忘れてしまう日が来ることも、従容として受け入れる。


それが、沢木流の「大人」なのだ。


さて、沢木氏は、本書と同じスタイルのエッセイ集を2冊出している。


1冊めは1984年10月刊の『バーボン・ストリート』で、
2冊めが1990年11月刊の『チェーン・スモーキング』だ。


いずれも新潮社刊で、2冊とも、とうの昔に新潮文庫になっている。


3冊めまでずいぶん間が空いているうちに、表紙とさし絵を担当した小島武氏が亡くなってしまった。沢木氏は小島氏の絵を載せることを希望し、新たに描き下ろしてもらうことはできなかったが、遺作の中から1話に1枚ずつイラストを使わせてもらったという。


もうひとつ、沢木氏が前2作との連続性にこだわったのが、タイトルである。
通常の表記を用いるなら『ポーカー・フェイス』とすべきことは分かっていたが、前2作のタイトルには、2つの単語に音引きの「ー」が入っている。散々迷った末に、やはり『ポーカー・フェース』とすることにしたという。


おかげで、22年ぶりの新刊だというのに、3冊は、題名も表紙も同時書き下ろし作品のように見える。


バーボン・ストリート (新潮文庫)    『バーボン・ストリート』
チェーン・スモーキング (新潮文庫)    『チェーン・スモーキング』
そして、
ポーカー・フェース    『ポーカー・フェイス』


未読の方は、3冊読みくらべてみることをお勧めする。

以下、余談ながら……


前回のレビューから3週間以上たってしまったのは、カゼで寝込んでしまったからだ。
幸いインフルエンザではなかったものの、なかなか治らない。


そうこうしているうちに、左ひざの裏側に電気が走るような痛みが出るようになり、整形外科へ。
一段落したと思ったら、いつもより動悸が激しくなった気がして循環器科の診察を受けたところ、不整脈が見つかって精密検査!


結局、大事なかったものの、気がつけば、しつこいカゼがまだ残っている。


沢木耕太郎氏なら、3つの病院通いをネタにみごとな三大話を書きそうなものだが、カゼ薬の副作用で、ほぼ一日中「ぼーーーー」としている僕には、何も降りてこない。


以上、芸のない言い訳でした m(_ _)m