赤い自転車に乗って


副題:自分で人生を切り開けば何度でも立ち上がれる
著者:山村 洋子  出版社:致知出版社  2007年11月刊  \1,365(税込)  210P


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10年間で700回も講演を行った人気講師の体験をまとめた一書です。


著者の山村さんは1947(昭和22)年、岐阜県に生まれました。
長女として生まれた山村さんの下には弟と妹がいましたが、2人とも亡くなってしまいます。子どもたちの死にショックを受けた父は、悲しみのあまり働くことをやめ、酒におぼれて暴力をふるうようになりました。


なんとか県立商業高校を卒業して銀行に就職し、役員秘書として仕事に励んでいた山村さんでしたが、体を壊して2週間休んだことで会社に居づらくなってしまいます。
「復職届けの用紙をください」というつもりが「退職届けの用紙をください」と言わざるを得なくなり、社会の理不尽さを知る最初の経験となりました。


電電公社に電話交換手として再就職し、転勤で名古屋までの長距離通勤を余儀なくされたりしましたが、まじめな仕事ぶりが評価されて局長秘書を経験し、女性幹部候補として営業職も経験するよう辞令を受けます。
2度の結婚話が父のせいで破談してしまったこともあり、山村さんは一生懸命に仕事に取り組みます。


電電公社がNTTに衣替えし、ちょうどテレホンカードを発売開始したころで、山村さんは企業のノベルティグッズとして積極的提案を行い、トップセールスを上げることができました。


好事魔多し。
女性の能力を伸ばす学校を設立するので責任者になってもらいたい、との申し出を受け、山村さんはNTTを辞めてしまいました。しかし、心血を注いだ学校の開校目前に経営者婦人の横やりが入り、山村さんは退職を余儀なくされます。


再就職先も見つからず、アルバイトで生活しながら、山村さんは自分なりのカリキュラムを考えて会社向けの研修を売りこんでみることにしました。
題名となった「赤い自転車」にまたがり、アルバイトがお休みの日に売り込みを続ける日々が続きますが、NTT時代とちがい、訪問先の会社はまったく話を聞いてくれません。
見たこともない会社の名刺は、受け取ってさえもらえませんでした。


食費も節約し、おにぎりを持って売り込みに回るする様子を読んで、私は「マッチ売りの少女」を連想しました。
「マッチを買ってください。マッチを買ってください!」と叫ぶ声が聞こえてくるような、切ない体験談です。


疲れ果てた山村さんは、いまさら見栄を張るのをやめて、かつての取引先を訪ねてお願いしてみることにしました。
NTT時代の誠実な仕事ぶりを覚えていてくれた人たちは「山村洋子を救う会」を結成し、何か仕事を持ち寄ってあげよう、と協力を惜しみません。


評判が評判を呼び、ラジオやテレビへの出演も経験した山村さんは、人気講師としてあちこちを飛び回る輝かしい日々を取り戻しました。
あれほど自分を苦しめた父から、「ひどい父親だったと思う。許してほしい」と謝罪されたのは、45歳のときでした。


自分が懸命に仕事に向かう姿勢が父を変えたに違いない。
働くことで成長した自分を自覚する山村さんでした。



ジェットコースターのような山村さんの人生行路を読みながら、ついつい前回の読書ノートで紹介したサイバラの苦労話と比べてしまいました。


1964年生まれのサイバラは、今年45歳。子育ての真最中で仕事も油がのりきっていて、絶好調です。


「わたしたちは、もしかすると、生まれたときの環境を抜け出すことが
 できたのかな」とサイバラは言っていました。


2人とも45歳になって、やっと満ち足りた思いを味わうことができたのです。


しかし、サイバラより17歳年長の山村さんには、このあとも苦難の日々が待ち構えていました。
50歳をすぎて両親を呼び寄せた山村さんでしたが、父がパーキンソン病になり、母が車椅子生活になると、介護に専念さぜるを得ませんでした。
結婚もせず一生懸命仕事に打ち込みやっと軌道に乗った講演活動も、本書執筆の5年半前にやめてしまいます。


エピローグで山村さんは書いています。

  “苦”を避けて通ることはできません。苦は手術をしてすっぽり
  摘出できるようなものではないのです。苦はそのまま。
   その中にいながら安らかな心でいられる――。私はそんな人に
  なりたいと思います。
   介護はその境地に私が一歩でも近づけるように神様がくださっ
  た最良の贈り物でもあります。


あり得ないと思っていた父親との和解も実現したのに、最後の最後になってこんなエピローグは悲しすぎます。
本書を読み返してみれば、意地悪な運命が、これでもか、と言わんばかりに山村さんをおそっていることが分かります。


こんなに辛いのに、こんなに悲しいのに、なぜあなたは、
  「自分のたどった道のりの中には何ひとつ無駄なことはなかったのだ」
なんて言えるのでしょう。


こんなことがあっていいものか。この世には神も仏もいないのか!
いるなら出てきて山村さんに一片の幸せを差し出せ!


そう叫び出したくなりました。


レ・ミゼラブルだって最後は救いがあるっていうのに……。