誰にでも、言えなかったことがある


副題:脛に傷持つ生い立ち記
著者:山崎 洋子  出版社:清流出版  2014年6月刊  \1,620(税込)  222P


誰にでも、言えなかったことがある ―脛に傷持つ生い立ち記―    ご購入は、こちらから


小説家には2通りの小説家がいる。
自分の体験をもとにした作品しか書けない小説家と、想像力で作品を書ける小説家の2通りだ――と作家自身が書いているのを読んだことがある。


山崎洋子氏の小説を読んだことはないし、山崎氏がどちらのタイプの小説家か分からない。


だが、「脛に傷持つ生い立ち記」というからには、山崎氏は何かしら変わった生い立ちをしているはずだ。今まで言えなかったことを打ち明けるというのだから、きっとドラマチックな内容だろう。


そう思って読みはじめた僕の予想は外れた。


本書の内容は、ドラマチックなんていう甘いもんじゃない。
「悲壮」「悲惨」という言葉がぴったりな生い立ちが明かされていた。


「プロローグ」に山崎氏は次のように書いている。

 好んで振り返りたいような子供時代ではなかった。保護者であるべき大人が次々と消えていて、気がつけば「誰も欲しがらない子」として、私はぽつんと残されていた。


父は最初の結婚で山崎氏をもうけたあと離婚。
父にも母にも引き取られなかった山崎氏は父方の祖父母のもとで育てられるが、やさしくしてくれた祖母が8歳のとき入水自殺してしまう。


1年半後に祖父も亡くなったあと、父の再婚相手に引き取られた。


父はつごう5回結婚を繰り返した人で、彼女は父の2番目の妻。引き取られたとき、父との離婚も成立していた。


血のつながりも扶養義務もない2番目の妻がなぜ引き取ってくれたか分からないが、少なくとも愛情を注ぐためではなかった。


生活保護を受けながら旅館の仲居として働く彼女は、家事をする時間がない。
父と彼女の間にできた弟と妹を含めた家族4人が六畳くらいの貸間に暮らしている。
毎日幼稚園へ妹を迎えにいき、共用の台所で炊事し、たらいと洗濯板で4人分の衣類を洗濯するのが引き取られた山崎氏の日課となった。


父の2番目の妻は、旅館で何かおいしそうなものをもらってくると、2人の我が子にだけ与え、山崎氏に笑顔を向けることはなかった。


中学生になって体が女になっていくと、周りの男たちの目つきが変わってきた。
別の部屋に間借りしている男からレイプされそうになったこともあったという。


中学3年の夏、同じ町に住む母方の祖母が、東京に住む生みの母のもとへ向かうよう「家出」を画策してくれた。


やっと平穏な家庭に迎え入れられたかと思ったら、このあと、トラウマに残るほどの母との確執が繰り広げられるのだが、本書の前半のクライマックスは割愛させていただく。



高校卒業後、勤めながらコピーライター養成所に通い、コピーライターの職を得る。


21歳で結婚し、30歳で離婚。
当時5歳の一人息子を引き取ることは許されなかった。


18歳年上の脚本家と再婚したが、数年後、もの書き夫婦にぱたりと仕事がこなくなった。


一発逆転のため、江戸川乱歩賞をめざして山崎氏は背水の陣をはった。


書いて、応募して、落ちて、また書いて、応募して……という先の見えない生活の中で、母に対する激しい憎悪が噴き出してくる。


くる日も来る日も、母がいかに理不尽だったかを何時間も夫に訴える。優秀なカウンセラーよろしく、夫は「そうだね」「うん、わかるよ」と、あいづちを打ちながら聴いてくれた。


ある日、ひとしきり話し終えたあと、夫がゆっくりと口を開いた。
夫が山崎氏に伝えた衝撃の事実とは……。


山崎氏は、50代なかばを越えてから、自分の来し方をふり返る決意をした。


忘れたいことが多かったらしく、山崎氏には幼少期の記憶が極端に少ない。高額のカウンセリングに通ったり、催眠療法を試したりしても思い出すことができない。


編集者からは、生い立ちを私小説のかたちで書くよう要望され、何度もトライしてみたが、書けない。
ある地点まで来ると不意に目を背けてしまうのだ。


物書きとしての大きな欠点を思い知らされるが、書けないものは書けない、といったんはあきらめた。


それが、こうしてなんとか書き下ろしに成功したのは、行政から送られてきた「あなたは前期高齢者になりました」という通達のおかげだ。


「ここに至ってようやく、今度こそ本気で自分と向き合ってみようという気になった」のだ。


以前取りあげた『高峰秀子の捨てられない荷物』(2012年4月30日のブログ参照)でも、高峰秀子と母親との確執が語られていた。


高峰秀子の場合、母親が「女帝」に変貌してしまったきっかけは、彼女が映画スターになってばく大なお金が入ったことだった。


山崎氏の場合は、複雑な家庭環境と貧乏が周りの人間の心を貧しくさせていった。


どちらも、お金だけが悪いわけではない。
しかし、心を壊すほどの金難がなければ、二人はもう少しおだやかな一生を送れたことだろうに、と思う。


気の重くなる生い立ちの最後に、少しだけ希望がのぞいている。


山崎氏は、「エピローグ」に次のように書いている。

 でも、私が私を愛さなくてどうする。いまこそ、ありのままの自分を受け入れ、なかなかいいよと褒めてやりたい。そして老後という獣道を、仲良く歩いていこうと思っている。
 それが、この本を書くことで自分と向かい合って出した、ささやかで正直な結論である。