著者:塩田 武士 出版社:講談社 2016年8月刊 \1,782(税込) 409P
昭和最大の未解決事件「グリコ・森永事件」を題材にした小説である。
グリコ・森永事件というのは、もう30年以上前の事件なので、知らない人のために説明すると、江崎グリコや森永製菓など複数の食品会社を脅迫した一連の事件の総称である。
始まりは1984年(昭和59年)3月、江崎グリコの社長が、自宅で入浴中に拉致・誘拐されることから始まった。
社長は数日後に自力脱出したものの、億単位の金を要求する脅迫状が何度も届き、その後も丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業がターゲットにされる。
青酸入りのお菓子を小売店に置いたり、警察が現金受け渡し現場で犯人を逃してしまったり、事件の推移が注目を集めたほか、犯人がマスコミに送りつけた「挑戦状」が大きく報道された。
1985年8月、犯人側から一方的に終息宣言が送りつけられた。その後、表だった動きがなくなって事件は終結し、2000年にすべての事件の時効が成立した。
以上が、グリコ・森永事件の概要である。
時効成立の少し前、この「グリコ・森永事件」を題材にした高村薫著の『レディ・ジョーカー』という小説を読んだ。
合田雄一郎という刑事を主人公にしたシリーズの第3弾で、大手ビール会社の社長が誘拐さたあとすぐに解放され、その後「ビールに毒を入れる」と企業が脅迫されるストーリーである。
「食品会社を脅迫する」というモチーフ以外は、全くのフィクションであることが読み手にもすぐ分かる構成だった。
しかし『罪の声』は違う。
会社名こそ「ギンガ」「萬堂」と別名にしているものの、事件の日時や出来事、脅迫状の内容、マスコミに送られてきた挑戦状の内容など、すべてグリコ・森永事件に基づいている。
その上で小説のために著者が創作したのは、事件から30年後にこの事件を執拗に取材する「阿久津」という新聞記者と、親族に犯人がいることに気づいてしまった「俊也」という二人の主人公である。
可能なかぎり実際の事件の成りゆきを追いながら、犯人グループの実像に迫り、役割分担や仲間割れについて推理を進めていく。
フィクションなので当然ながら架空の物語ではあるが、主人公たちがつき止めた事件の全貌を読んでいると、「本当にこんな犯人がいたのかもしれない」と思えるほどリアルである。
本書のプロローグは、「俊也」の自宅から始まる。
胃潰瘍で入院した母から「アルバムと写真を持ってきてほしい」と頼まれ、俊也は二階の突き当たりの母の部屋に入る。
言われたとおり電話台の中を探しはじめた俊也は、奥にあった薄い段ボールの箱が気になって手にとった。
正方形の蓋をあけると、ケースに入ったカセットテープと黒革のノートが入っている。
母の古いラジカセを使ってカセットテープの内容を聞いた俊也は、不思議な音声を聞く。
幼い自分が当時の流行歌を歌っている音声のあとで、いったん録音が途切れ、
「ばーすーてーい、じょーなんぐーの、べんちの、こしかけの、うら」
という不可解な内容が聞こえてきた。
声は、流行歌を歌っていたのと同じ。幼いころの自分に違いない。
いぶかしく思いながら黒革のノートをめくってみると、英文ばかりの文章がつづいたあと、最後に【ギンガ】【萬堂】というページを見つける。
日本を代表する製菓メーカーの名前の下に、両社の売上げや従業員数、社長の名前などが記されている。
ノートを閉じたとき、俊也の頭に「ギン萬事件」という言葉が浮かんだ。
もしかしたら……。
母の部屋を出て、パソコンで「ギン萬事件」検索した俊也は、「被害企業との接触に、女性や児童の声が入った録音テープを使用」という一文を見つける。
また、事件に使われた男児の声が収録されているドキュメンタリー番組を動画サイトで見つけた。
男の子は、「ばーすーてーい、じょーなんぐーの……」と言っていた。
間違いない。これは、自分の声だ!
事件の犯人が自分に録音させたとすると、身内の中に犯人がいる、ということになる。
しかし、5年前に亡くなった実直な父が事件に関わっていたとは思えない。
病気の母に尋ねることもできず、思いあまった俊也は、父の親友の堀田に相談することにする。
テープを聞きノートを見た堀田は、ノートに書かれていたのがイギリス英語であることに気づく。
もしかするとイギリスに行った俊也の伯父が書いたのかもしれない、と推測し、二人は伯父が事件に関わっていた可能性を探っていく。
いっぽう、大日新聞の阿久津記者の取材は、最初は難航したものの、少しずつ犯人グループの実像に肉迫していった。
事件関係者らしい人(俊也たち)が関係者に聞き込みをしていることも耳に入ってくる。
阿久津記者の執念の取材で、やがて犯人グループの実像が明らかになってくる。
明らかになった事件の全貌とはどんなものだったのか。
自分の声を犯罪に使われた子どもたちは、どんな人生を送っていたのか……。
著者の塩田氏は、大学に入った時から作家志望だった。
その頃、たまたま手にとったグリコ・森永事件の関連本を読んで、子どもの声が犯行に使われていたことを知った。
しかも、3人の子どもの音声が犯行に使われていたなかで、一番下の子は著者とほぼ同い年だという。
その子は、どんな人生を送っているんだろう。関西に住んでいるなら、自分とすれ違ったことがあるかもしれない……、と考えたとき、犯人がどれだけ残酷なことをしたか、ということに思い至った。
そもそも、お菓子に毒を入れるということは、子どもを人質に取るのと同じことだ。
実際に死者は出なかったが、食べた子どもが亡くなる可能性は十分あった。
その上、犯人は子どもの声を使うことで、その子の人生を狂わせた。
録音した子どもは、自分が犯罪に関係させられたことを苦にしているだろうし、周りに知られてしまうかもしれないと怯えて暮らしているかもしれない。
犯人は、その子の未来を奪ったのだ。
構想から15年、子どもを持つ父になった塩田氏は、子どもの声を犯罪に使った犯人の残酷さ、冷酷さ、卑劣さがますます許せなくなった。
犯人の正体を追うというエンターテインメント小説に載せ、「罪の声」の子どもたちに寄せる著者の思いやりと哀惜の念が伝わってくる。
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