誘拐捜査


副題:吉展ちゃん事件
著者:中郡 英男  出版社:創美社  2008年6月刊  \1,785(税込)  300P


誘拐捜査 吉展ちゃん事件    購入する際は、こちらから


吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件のニュースをテレビ・ラジオで盛んに報道していたのは、私が小学校2年生のとき(1965年)でした。
犯人が捕まったのか迷宮入りしたのかもはっきり覚えていませんが、「よしのぶちゃん誘拐事件」という事件名が耳にやきつき、知らない人についていってはいけない、と子どもごころに誓ったものです。
ノスタルジー半分で読みはじめた本書は、題材が「誘拐」だけに、軽い気持ちで読み通せる本ではありませんでした。


事件当時、著者の中郡氏は警察庁詰めの記者でした。この事件の捜査進展にあわせて記事を送り出し、後に検証記事も書きました。
伝説の名刑事が事件を解決した、という単純な図式で報道したものの、その後、時間とともに明らかになる関係者の証言をつなぎ合わせてみると、警察内部の反目と抗争など、もっと複雑な背景が見えてきます。
一面的な見方を定着させてしまった責任の一端を感じ、いつかは正確な事実を書き残したい、と中郡氏は決意します。
勤務先の東京新聞で社会部長、特別報道部長、編集局次長など要職を歴任し、定年退職をむかえたあとも、この「やり残し」仕事は心ひっかかりつづけました。
喜寿をむかえて焦りだし、78歳になる今年、やっと形になったのが本書です。


昭和38年(1963年)3月31日の午後6時ころ、東京都台東区に住む村越吉展ちゃん(当時4歳)が行方不明になりました。
2日後に新聞が行方不明を報じると、両親のもとに多くのイタズラ電話が入るようになり、その中に、何度も身代金を要求する誘拐犯らしい男からの連絡もありました。
さらに5日後、犯人は身代金の現金50万円を奪って逃走し、その後連絡がとだえます。

4月25日に警察が犯人の声を公開すると、「声の主を知っている」という情報が500件以上寄せられ、捜査本部は大混乱に陥りました。真犯人も捜査線上に上がりますが、一度は「シロ」と見なされ、その後12月に再捜査されたときも「シロに近い」と判断されました。


まる2年以上経過した昭和40年(1965年)5月、やりなおし捜査班は真犯人に3度目のアプローチを行い、あと少しのところまで追い詰めます。
本書の大半は、真犯人が自供して吉展ちゃんの遺体が発見されるまでの約2ヶ月間の攻防を中心に、関係者の思惑や葛藤などの人間模様を克明に描いていきます。


取材ノートを何度も見かえして記憶を呼びもどしたという著者は、ノンフィクションの禁じ手を冒し、会話の多い文体を選びました。本書には、実在の事件であることを忘れさせるようなスリルと臨場感があふれています。


身代金受け渡し現場での痛恨のミス、長期化する捜査などで、警察内部にはさまざまな非難や不満が充満していました。
キャリア組警察官僚と捜査畑ひと筋の刑事たちの反目、「疑わしきは強引に叩け」というたたき上げ刑事と慎重論を掲げる上層部の意見の対立、方針をめぐる思惑のちがい、勘を重視する古株の捜査手法と科学捜査との葛藤、などなど。


警察内部の不協和音にくわえ、他社の知らない捜査情報を聞き出し、つねに特ダネをねらう新聞記者の世界がからみあい、物語は、男たちのメンツがぶつかりあう修羅場を進んでいきます。


読み進みながら、私は2冊の本を思い起こしました。1冊目は、犯罪者と警察の闇が交錯する高村薫著『レディ・ジョーカー』。2冊目は、大事件に翻弄されながら記者魂と組織の相剋が描かれた横山秀夫著『クライマーズ・ハイ』。
どちらも、暗い運命を背負った主人公が登場する小説です。


ノンフィクションの本書でも、伝説の名刑事が抱える心の暗部が強く印象に残り、何より真犯人の不幸な生い立ちに人生の悲哀を感じます。


本書を読んで、この事件が「戦後最大の誘拐」と呼ばれ、その後の誘拐捜査のあり方、報道協定などに大きな影響を与えたことも知りました。


読みはじめる前はただの宣伝文句と思っていた帯のことば、
  「犯罪ドキュメントの金字塔」
という西木正明氏の推薦のことばに納得です。