真実 


副題:新聞が警察に跪いた日
著者:高田 昌幸  出版社:柏書房  2012年3月刊  \2,052(税込)  285P


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表紙の著者名の前に、「元北海道新聞報道本部次長」と肩書きが書いてある。


「元」が示すとおり、著者の高田氏は北海道新聞を定年退職前に辞めた元新聞記者である。


本書には、北海道新聞が2003年11月から2005年6月にかけて報道した北海道警察の裏金を追求する大キャンペーンのあと、警察からの圧力に新聞社が屈してしまった経緯が記されている。


自分の所属する報道機関が権力に屈してしまったことを嘆き、糾弾するために書かれた一書である。


高田氏は、冒頭に次のように書いている。

 二〇〇三年の十一月末ごろから最近まで、北の大地で新聞と警察のあいだにいったい何が起きていたのか。それを筆者の目に映った限りで記した。もとより、社会的なできごとは多様である。私の目線と他人の目線は違う。映る風景も違う。
 それが前提になっている。


記者として客観報道をめざしてきたが、この問題だけは自分の目に映ったものを書く。
「主観的だ」、「一方的な意見だ」と批判したい人は、勝手に批判すればいい、との宣言である。


最後まで読んでみて、この本の中には「真実」がある、と僕は考えた。だから、主観的で一方的見解であるかもしれないことを承知のうえで、本書の内容を紹介することにした。


高田氏の主張に異論・反論のある方もいるかもしれないが、読み応えのある本を「読書ノート」としてお伝えすることをお許しいただきたい。



以下、事件の流れをかいつまんで説明する。


北海道新聞(以下「道新」と省略する)は2003年11月から2005年6月にかけての約一年半、北海道警察の裏金を追求する大キャンペーンを張った。


北海道警察(以下「道警」と省略する)は、裏金を長年つくってきたのではないか。それを隠してきたのではないか、とのキャンペーンだ。


大小合わせて約1400本の記事を繰り出しているうちに、実名で裏金の存在を認める道警幹部OBも現れた。
道警は2004年11月、とうとう組織的な裏金づくりを認め、本部長が北海道議会で謝罪した。幹部らの負担で総額九億円を超える裏金の全額返済も決まった。


キャンペーンの成功はマスコミ界でも注目され、新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議大賞、菊池寛賞のトリプル受賞も果たした。


一方、道新のキャンペーンが続いているさなか、道警の反撃がはじまっていた。



2004年11月初旬、報道本部次長だった高田氏のもとに「書籍掲載記述に対する謝罪等要求状」という文書が内容証明郵便で送られてきた。
送ってきたのは、裏金報道が始まったとき道警のナンバーツー(総務部長)だった人物。
道警のトップである本部長が裏金の存在を認める7ヶ月前に定年退職し、自動車安全運転センター北海道事務所に天下りしていた。


元総務部長は、高田氏らが裏金報道について書いた2冊の本の内容に3つの誤りがあり、名誉を毀損されたので謝罪せよ、と要求していた。


3つの誤りとは、

  • 元総務部長が道警本部長から叱責された
  • 「わかるでしょ、理解してよ」と発言した
  • 「いやいやいや、いったいどこまでやられるかと思ったよ」と発言した

という記述である。


いずれも、裏金問題に直接かかわる話ではなくエピソードにすぎない。


何より取材は過不足なくできているので、「ねつ造だ」と指弾される覚えはまったくなかった。


書籍二冊の記述に問題はありません、と高田氏の名前で回答を返信したのだが、約1ヶ月後、「謝罪等再要求状」が届いた。


元総務部長は、その後も全部で40通の謝罪要求を送りつけ、2006年5月末に、名誉毀損民事訴訟を起こした。


裁判の証拠文書として元総務部長が提出した「甲84号証」には、驚くべき内容が書かれていた。


それは、裏金報道をきっかけに対立していた道警と道新の関係修復のため、道新の報道本部長などの幹部が元総務部長と行った「秘密交渉」の面談記録だった。


警察が取材に協力してくれない、という現場の悲鳴とは別に、道新には道警と関係修復しなければならない事情があった。


道警の裏金を糾弾している一方で、他の新聞社から「道新にも裏金」と報道された不祥事があったのだ。
2004年5月に、6千万円を着服した室蘭営業部次長を道新は懲戒解雇にした。


社内で「室蘭事件」と呼ばれた不祥事の記憶も消えないころ、東京支社で社員の5百万円の使い込みが発覚した。


不祥事が表沙汰になることを恐れたのか、会社上層部は使い込みをした社員を懲戒免職にせずに依願退職扱いし、早期退職の割増退職金も支給した。


道警が捜査に入れば、室蘭事件のように会社がふたたび揺らぐ。


道警元総務部長との秘密交渉の結果、2005年3月に掲載した「道警と函館税関『泳がせ捜査』失敗」という記事に対し、一面に「おわび社告」を出すことになった。


高田氏は納得できなかった。


権力と対峙するのが報道機関じゃなかったのか。
警察と秘密交渉するだけでも許し難いことなのに、しっかり取材して書いた記事に対して「おわび社告」を出すのは、「北に道新あり」とまで言われた北海道新聞のすることじゃない。


会社の幹部に説明を求めようとするが、まともに取り合ってくれない。


ただ一人、元編集局長で系列のテレビ局・北海道文化放送の社長になっていた新蔵氏がきちんと対応してくれた。


新蔵氏との面談で、高田氏は思いの丈をぶちまける。

 社長の指示があったとしても、報道機関として、やってはならないことがある。あの交渉で北海道新聞社は自殺したんです。雑誌にも「道新と道警の手打ち」とか、「新聞が死んだ日」とか、さんざん書かれたでしょう。(中略)恥ずかしくないですか。こんな交渉をやる人物が報道機関のトップに座っていていいんですか。恥ずかしいと思うなら、いまここで辞表を書いてください!その代り、私も辞表を書く。書いてください!


同席していた後輩記者が止めてくれなければ、高田氏は怒りの矛先を収めることができなかったに違いない。


2009年9月、元総務部長が訴えた名誉毀損の裁判は、原告の勝訴となった。



被告席で一緒だったジャーナリストの大谷昭宏氏、作家の宮崎学氏らが判決直後に開かれたシンポジウムに出席し、高田氏も熱弁をふるった。


しかし、最高裁まで争った結果、2011年6月に上告は退けられ、同じ月の月末、1960年生まれの高田氏は道新を依願退職した。


誇りに思っていた道新が、警察にひざまずいてしまった。
報道の現場責任者だった自分は、どうしても許すことができない……。


そんな無念さが本書からにじみ出ている。