特捜神話の終焉


著者:郷原 信郎  出版社:飛鳥新社  2010年7月刊  \1,575(税込)  302P


特捜神話の終焉    購入する際は、こちらから


フロッピーディスク改竄事件が発覚し、特捜の信用は地に落ちた。
この事件が起こる直前の7月に出版された、あまりにもタイムリーなタイトルの本を今日は取りあげる。


著者の郷原氏は、東京大学理学部卒。民間企業に就職して1年半はたらいたあと、法学部出身者でもないのに独学で司法試験に合格した、という変わりダネだ。
東京地検検事、広島地検特別刑事部長、長崎地検次席検事などを歴任したあと、2006年に検事を退官した。
いわゆる“ヤメ検”である。


ふつうの検事経験者は、退官後も公証人役場など関連団体に再就職させてもらって検事“業界”で生きていくそうだ。
しかし、郷原氏は企業や組織におけるコンプライアンス問題の第一人者となり、“業界”に頼らない道を選んだ。


そんな郷原氏は、今回の事件が起こる前から、特捜のやり方はおかしいのではないか、と疑問の声をあげていたのが本書である。


本書ではじめて知ったのだが、特捜部の歴史はそれほど古くない。
第二次世界大戦後、旧日本陸軍所有の物資(燃料、食料、金属など)が隠されたり売りさばかれていたことが発覚したのを契機にできたのが発端だという。
「隠匿退蔵物資事件捜査部」が特捜部の前身なのだ。


その後、政治的事件を扱うようになって、特捜部は社会的に大きな影響力を行使する歴史を築いてきた。
ロッキード事件では元首相を逮捕し、もはや特捜部に摘発できない人間は存在しなくなった。


しかし、今回の事件が起こる何年も前から、特捜部のふりかざす「正義」が本当に正しいのか、という疑念を持つ人が増えてきたように思う。


最近の例で言えば、鈴木宗男氏の有罪が確定して収監されることになったが、「自分は無罪だ」という鈴木氏の主張に説得力があり、検察や裁判所の判断が間違っていたのではないか、という印象を与える。


そもそも、辻元清美議員から「疑惑の総合商社」と批判され、当時話題になったムネオハウス等の疑惑では立件されず、「やまりん」事件で有罪になった。
当初の目論見がうまく行かなかったので、検察が意地でも事件に仕立てたのではないか、と世間に思われたら、いくら本人を懲役刑で裁いても、司法の影響力は低下するばかりである。



本書には、東京地検特捜部の捜査対象となり、逮捕・起訴された3人の対談相手が登場する。


堀江貴文氏は一審、控訴審とも有罪判決を受けて上告中。
細野祐二氏と佐藤優氏は最高裁が上告を棄却して有罪判決が確定。


ひと昔まえであれば、社会的に抹殺されていた立場なのに、それぞれ生き生きと活動している。


堀江氏は控訴審判決までは表立った活動を控えていたが、上告したあとは『徹底抗戦』等の本の執筆、テレビ、ラジオへの出演でよく見かけるようになった。有料メルマガやツイッターでも人気を集めている。


細野氏も『公認会計士vs特捜検察』がベストセラーになり、企業コンサルタント業務や再生業務を行っている。


佐藤氏も『国家の罠』が大ベストセラーになり、その後も人気作家として活躍している。


この3人の例を見ただけでも、特捜検察と裁判所が「犯罪者の烙印」を押しても、烙印効果がなくなっている。


特捜検察がいつまでも「正義」を独占していると思ったら大間違いだ。3人のそれぞれの主張を聞いてみよう、というのが本書の主題である。



3人が三様に特捜の手法の問題点を指摘し、自分の逮捕が不当だったことを述べている。


それぞれ自分のケースに違法性はなかった、との主張は主張として、印象深かったのは、自分の逮捕によって社会的悪影響があった、との主張だ。


堀江氏は、次のように述べている。

僕の逮捕による影響はものすごく大きいと思いますよ。(中略)これからたぶん表にバンバン出てくるベンチャー企業の経営者はいなくなるでしょうね。(中略)経済人も大変ですよ。「あれで捕まるんだったら、俺も捕まる」って、みんな思っていますからね。


意外だったのは、特捜を恨んでも不思議はない立場なのに、佐藤氏が特捜を擁護していることだ。
近いうちに検察が崩壊する危機的状況が訪れる可能性についての郷原氏の質問に、佐藤氏は次のように答えている。

でも、僕はそういう社会になってほしくないと言っているんですよ。政治権力が巨大化し、民主党が力を持ち続けるこれからの世の中にこそ、検察の社会的機能は重要だと考えています。


移ろいやすいマスコミは、今は漁船衝突ビデオのニュースで持ちきりだが、フロッピーディスク改竄事件の裁判がはじまれば、特捜解体という議論も出てくるかもしれない。


集中豪雨的な報道が一段落したいま、本書を読んで、検察問題をじっくり考えることをお勧めする。