私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ


著者:遙 洋子  出版社:筑摩書房  2015年2月刊  \1,620(税込)  254P


私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ (単行本)    ご購入は、こちらから


ストーカーへの対応を間違うと、殺人事件に発展することがある。


ストーカー被害を受けた経験を持つ遙氏は、ストーカー殺人のニュースを見て、「殺されずにすんだ自分の体験を発信するべきではないか」と感じた。


一方で、自分の体験はストーカーという言葉も広まっていない時期の事件であり、ストーカー規制法も成立した今とは時代が違う。自分の体験を書いて伝える意味はあるのだろうか、とも思った。


迷っているうちに、ストーカー殺人のニュースを何度も目にした。


私の体験を伝えていれば防げたかもしれない、と遙氏は感じた。
私が書かないから殺された。私のせいで……。


2014年5月2日に大阪市平野区で起きたストーカー殺人事件のニュースを見て、とうとう遙氏は決意した。


やはり書こう。
ストーカー被害を受けながら生き残ることができた体験をもとに、「殺されないこと」に焦点を絞った本を書こう、と遙氏は決めた。


本書で遙氏は、自身が経験した3つの事件を手がかりにし、殺されないためにどうすれば良いかを教えている。


どの事件も、ストーカーが執拗に追いかけてくることに変わりはないが、遙氏が文字どおり命がけで対応した2番目のケースについて、あらましを紹介する。


ストーカー行為は知らないうちにはじまっていた。
ある日、車のバックミラーにいつも同じ男の顔が映っていることに、遙氏は気づいた。


独特の不気味さの漂う顔つき。いつも尾行しているということは、無職にちがいない。


なんらかの病理性があると直感した遙氏が路肩に車を止めてやり過ごそうとすると、堂々とすぐ後ろに停車した。


自宅まで追跡されないよう、大型車に道路をふさいでもらったり、放送局の隣りのビルに駐車して裏口から出たり、いろいろ試してみたが、ますますしつこく追跡されるようになった。


ある日、放送局の玄関近くで男が待ち伏せしていた。
遙氏は玄関に立つ警備員に「あの男を捕まえて! ストーカー!」叫んだ。


しかし、警備員は男を追いかけてくれなかった。「え?」と言って頭を掻くだけだった。


メディアの襲撃事件で警備を強化したはずなのに、肝心の警備員が動いてくれない。

“玄関に警備員を立てること”が“警備”と本気で思っているのか。

と遙氏は憤りを隠さない。



ある舞台に出演したときのこと。


男は必ず会場に来る、と予想した遙氏は、ストーカー阻止のためにスタッフを動員した。
特徴のある顔の情報を共有し、会場入り口、楽屋入り口、遙氏の部屋の前に常時立ってもらったのだ。


出演前に楽屋の部屋で化粧をはじめた遙氏は、ストーカーの顔が鏡に映っていることに気づく。遙氏の背後、顔のま後ろに男の顔があった。


遙氏が叫び声をあげると同時に男は楽屋から逃げていったが、ストーカー阻止のために動員したスタッフは叫び声を聞いても動かず、男の後ろ姿を目撃しただけだった。



屈強な男性スタッフの多い番組制作部スポーツ部に相談した。
10名ほどのスタッフと作戦を練り、複数の車ではさみうちにして捕まえる計画を立てた。


生放送を終えたあと、予想通り男の車が尾行してきた。


遙氏は、局員に「今」と電話した。(運転中の携帯電話が禁止される前の時代だった)


局員の車が何台も急発進したことに気づき、ストーカー男は予想外の行動に出た。
急ハンドルを切り、柵越えして反対車線に逃げたのだ。


だれもが追跡をあきらめるなか、遙氏は柵を乗りこえて追いかけた。


追いかけている間、男から受けた嫌がらせの数々が脳裏をよぎる。次の瞬間、遙氏は信じられない行動に出た。

男の車は国産だった。たまたま外車の私はアクセルを一番下まで踏み込むと男に追いつけた。そして男の車を追い越した。充分に追い越した直後、急ハンドルを切って男に向かい再び逆走した。男の車に激突した。男の車は壊れ、止まった。


生きるか死ぬかを考える余裕はなかった。
「許さない」という感情だけが遙氏の心を占めていた。


駆けつけた局員たちが車から男を引きずりだしたとき、体格の小さな虚弱な男は屈強なスタッフに謝った。


「もう二度としません。ごめんなさい。ごめんなさい」と何度も頭をさげる男の態度に、局員たちはとまどった。


あやまりつづける男に向かって、男性スタッフは言った。「もう、二度としたらあかんぞ。今日はこれで許したる」


男が「しめた」という目をしたことを遙氏は見逃さなかった。


“強い者には弱く。弱い者には徹底して卑劣に”という生き方をしてきた男が、その場かぎりの謝罪をしていることは明らかだったが、警察に突き出すことはできなかった。


もし警察に通報すれば、車を激突させた自分が逮捕されるに決まっているからだ。


その後もつきまといを続けるストーカー男が何者だったのか、どうやってストーカー行為をやめさせることができたのか。
続きは、本書をお読みいただきたい。



ところで、「ヤマアラシのジレンマ」という心理学用語をご存じだろうか。


人間どうしの心理的距離の取り方を、ヤマアラシが「相手に近づいて暖めあいたいのに針が刺さるので近づけない」ことにたとえ、人と人も近づきすぎると痛いものであることを示したものだ。


「そんなに近く寄ってほしくない」という距離は、一人ひとりちがっているものだが、文章から伝わってくる遙氏の“針”は長い。


あくまで個人の感想ではあるが、2010年に遙洋子著『死にゆく者の礼儀』の書評を書いたとき、「近づくと承知しないからね!」という強いバリアーを感じた。


僕自身がストーカー被害に合っているわけでもないのに、『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』を手にしたのは、遙氏の長い“針”の理由が書かれているかもしれない、と思ったからだ。


本書には、警察署長を怒鳴りつけ、命がけでストーカーと闘い、やっとの思いで生き残った遙氏の姿が書かれていた。


遙氏の感じた恐怖を分かってくれる人は少なく、命を守るための行動も、「そこまでしなくても……」という目で見られてしまう。


しかし、命をねらってくるストーカーに対して、常識的な対応や型どおりの警察の警告は、なんの効果もない。


遙氏が殺されずにすんだのは、危険を感じる「眼識」を養い、社会は守ってくれないことを認識したうえで、常識はずれ、ルールやぶりを承知のうえで、命を守る対策を講じたからだ。


これだけの経験をした人間が日常生活を無防備で過ごしているはずはなく、遙氏の“針”が長い理由は充分に納得できた。


最後に、ひとことだけ感想を。


もちろん、中年男の僕が「著者の感じた恐怖を共有できた」、と言うつもりはない。


しかし、


  「著者が社会に抱いているいら立ちや、男社会への絶望の一端を知った」


くらいは言わせてもらおうと思う。

参考書評


日経ビジネスオンライン「超ビジネス書レビュー」2010年4月21日号
遙洋子著『死にゆく者の礼儀』書評
   ↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100419/214077/