「すみません」の国


書名:「すみません」の国
著者:榎本博明  出版社:日本経済新聞出版社(日経プレミアシリーズ)
   2012年4月刊  \893(税込)  220P


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日本人は「すみません」という言葉をしょっちゅう使っている。よく使ってはいるが、決して「心から謝罪します。どんな損害賠償にも応じます」と全面的に非を認めているわけではない。


しかし、とりあえず謝ることによってその「場」の雰囲気が和やかになり、よほど深刻な問題でないかぎり、相手も、「いえいえ、こちらこそすみませんでした。気にしないでください」という対応になることが多い。
アメリカのような訴訟社会とちがって、日本人にとって大切なのは、白黒をはっきりつけることではなく、良好な「場」を保つことだ、と著者の榎本氏は分析する。




アメリカ人にとってコミュニケーションとは、相手を説得して自分の意見を通すことを意味するから、自己主張が大切だ。
かたや日本では、意見の対立が明らかになることを嫌い、自己主張を極力避けようとする。「和」の雰囲気を醸し出すのがコミュニケーションの目的だからだ。


そういえば、僕が自分のマンションの理事会役員をしていた時、論理的に正しい主張をしたおかげで、他の役員に嫌われかけたことがある。


ある年長の役員さんが、他の役員さんへの事前根回しをほとんど終え、定例理事会にある提案をしたときのこと。
ほぼ全員が賛成するなか、反対意見を述べたのが僕だった。当時、いつも終電で帰っていたので、事前根回しを聞いていなかったのだ。


「ご提案には無理があります。皆さんお仕事しながらできる内容とは思えません」


他の役員さんから「そう言われれば難しいかも……」との意見が出され、決まりかけていた提案は見送りになってしまった。
「余計なこと言いやがって……」という視線を感じ、自分の発言を少しだけ後悔してしまった。


榎本氏のいう「状況依存社会」を生きていくのは難しいものだ。


このように自己主張を嫌う文化は、子どもの育て方にも表れる。


アメリカ人は、子ども時代から「自己主張して友だちを説得しなさい」と育てられるそうだが、日本人は、「自己主張を抑えて人の言うことに素直に従いなさい」、と教えられ、素直に従う子どもが聞きわけのよい“良い子”と評価される。


だから日本人はダメなんだよ! と言う人もいるが、榎本氏はマイナス評価しているわけではない。


むしろ、

人間味のない抽象的原理を掲げるよりも、人間味のある具体的状況を大切にする

というプラスの表現をしている。


ハイジャック事件への対応ひとつとっても、「正義を貫くために犠牲者が出るのはやむを得ない」というアメリカ的な思考だと、ハイジャックされた飛行機に強硬に踏み込んで犯人を射殺しようとする。人質が犠牲になることも厭わない。


しかし、日本のやり方では、人質の身の安全を最優先するので、強行突破を控える。
ときに犯人との取引に応じたりもする。


人質の安全という観点から考えると、決して日本のやり方が劣っているわけではないのだ。


このような日本のやり方が世界的に注目されることもある。
3.11のあと、強盗も便乗値上げもほとんど起こらなかったこと、そのことでいざというときの秩序と礼節が見事であると世界から称賛されたことは、記憶に新しいことである。


最後に榎本氏は、次のように提言している。

状況依存社会日本の深層構造の問題点に目を向けるとともに、その良さも再認識し、相互理解と思いやり外交に活かす道を模索することも必要であろう。