著者:上田 紀行 出版社:講談社現代新書 2008年3月刊 \777(税込) 245P
空気の読めない人を「KY」と揶揄するのがはやっています。
自己主張してはいけない風土に住む日本人は、あたりさわりのない言動を好み、目立たない「いい人」をめざす人が多いのです。
しかし、個性を消してしまった人は交換可能な存在とみなされるようになり、何が自分らしさかわからない状態に陥ります。
非正規雇用者の増加、将来への不安と相まって、日本の社会は「自己信頼」も「社会に対する信頼」も失われた、とても危険な状態に陥っているのではないか。
――本書は、とても暗い問題提起からはじまりました。
著者の上田氏は、文化人類学者としてフィールドワーク調査を行い、社会変革を提言し続けている学者さんです。
いち早く「癒し」の観点を提示した上田氏がいなければ、この「癒し」という言葉の流行と定着はなかったかもしれない、といわれているそうです。
新書なのに「生き方を問う」という、いまどき場違いともいえる上田氏の本に私がはじめてふれたのは、岩波新書の『生きる意味』でした。
『生きる意味』は、バブル崩壊後の日本の社会状況から説き起こし、「生きる意味の不況」ともいえる社会の問題点克服方法を示す一書でした。(読書ノート2005年7月21日号 参照)
上田氏は、本書『かけがえのない人間』でも生きる意味について考え続け、ダライ・ラマとの対話内容を通じてひとつの答えを早々と示しました。
愛と思いやりの流通する場所になったら、どれだけ私たちは
幸せに生きていけるだろうか
しかし、現実の社会は違います。
「他人の目」「他人からの評価」を気にして、ますます「評価」に縛りつけられる日本人。
「自分は愛される人間なんだ」と根拠のない満足感に浸っている若者も、「ダメだ。自分は」と周りの冷たい評価に傷ついて自信を失っている若者も、他人よりも自分を愛するところから出発しているのです。
ともかくも自分の殻から出て、社会と関わることからスタートする。自分のかけがえのなさを信じ、仲間をつくり、信頼関係を築きあげていきましょう。
――ここまでが、本書の前半、第3章までの内容です。
言ってることは分るんだけど、何をどうしたらいいんだろう。
具体的イメージが湧かないなぁ。
もやもやした思いを持ちながら読み進んだ第4章で、本書は急に具体的になります。上田氏が、自分の生い立ちや青春時代に悩み、苦しんだ内容を語りはじめたからです。
成績優秀だった高校時代も、東大に入ってからも、上田氏は少々のことでは動じない、すべてを知っているように振る舞う若者でした。友人の悩みを聞いてあげる余裕も見せていたほどでした。
しかし、それが欺瞞であることをもう一人の自分に指摘されるようになり、誰にも相談できない上田氏はカウンセラーを訪ねました。週に一度のカウンセリングは、自分の人生を振り返る場となります。
父の失踪のため、母一人子一人で育った少年時代。
母親の父親に対する憎悪が、急に自分に向けられるようになった思春期。
母の機嫌を気にする自分と、母を憎悪する自分に苛まれる日々。
とうとう上田青年は母親に言い放ちました。
「あんたと別れるためなら、僕は外で人の1人や2人ぶっ殺したい!」
意表を突いた母親の「家族解散宣言」、政治運動の挫折、留年、インドへの旅、自己啓発セミナーへの参加、トラウマの直視、……。
神様が準備した「不幸の穴」に落ちて、人ははじめてかけがえのないものに気づくんだ!
自身の生い立ちをふりかえり、上田氏はそう確信するのでした。
実はかなり「おめでたい」人間、と自覚するようになった上田氏は、「愛と思いやりに満ちた社会」をつくることをもう一度提言します。
第3章までと同じことを言っているのに、ずんずんと腑に落ちてくるから不思議です。
上田氏は、次のように本書を結びました。
愛される人から愛する人になること。
そして、私たち自身への信頼、社会への信頼を取り戻すことから、
すべてが始まるのです。