喧嘩両成敗の誕生


著者:清水 克行  出版社:講談社  2006年2月刊  \1,575(税込)  230P


喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)


日本史の中でも中世社会史を専攻する著者が、室町時代の社会情勢を背景に「喧嘩両成敗制」がなぜ生み出されたのかを考察する一書です。
著者が学者さんなので、学術論文のような文体が近寄りがたい印象をかもしだしていますが、書いてあることはセンセーショナルな内容です。


ワイドショー的に表現すると、次のようになります。
  「衝撃! 実は残忍な室町人」
  「田舎者と笑われ、殺人鬼に変身」
  「童謡を歌った子どもが血まみれに」
  「京都の大路を歩くのは命がけ」


歴史学者が文献から拾い出すエピソードは、血なまぐさいものばかり。
どうも、室町時代の日本人というのは、ずいぶん血の気の多い気質の持ち主だったようなのです。


著者の分析によれば、室町人は身分にかかわらず強烈な自尊心をもっていました。その自尊心が傷つけられた場合は、当然のように復讐に訴え、ためらうことなく相手の命を奪います。
命を奪われた人の家族や一族が相手に復讐する慣習もあり、幕府も敵討ちを事実上「放任」していました。
敵討ちする力のない遺族は、自害することで敵対者への恨みをアピールしたりもします。

遺恨が遺恨を呼び、際限のない復讐が大きな争乱になることも珍しくありません。


土地争いなど裁判の多かった鎌倉時代、幕府は「御成敗式目」を定めるなどして、道理に基づいて裁断することを目指しました。
しかし、室町幕府は「理非」の判断を放棄し、当事者どうしの遺恨が少しでも少なくなる方法を模索するようになります。「やられた分だけやり返す」ことを正当と考える室町人が互いに納得するにはどうしたらよいか。
紛争を抑止する思想は権力の側からではなく、紛争当事者のなかから生まれることとなりました。


それは、「やられた分」以上の「やり返し」を戒めることで、紛争を幕引きしようという素朴な思考法です。


この思考法の延長線上に喧嘩両成敗法が生まれた、と本書は主張しています。(どうやらユニークな学説らしいです)


私たちは、
  水と緑に育まれた「柔和で穏やかな日本人」像
という自己イメージを持っています。
著者によれば、内面が凶暴だからこそ、他人が信用できないからこそ、表面は柔和にしているのかもしれない。
それが日本人の本当の姿だとしたら、私たちは呑気に構えていてよいものだろうか。と、問題提起してくれる一書でした。


日本人観が変わるかもしれませんよ。