終わりの感覚


著者:ジュリアン・バーンズ/著 土屋政雄/訳  出版社:新潮社  2012年12月刊  \1,785(税込)  188P


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英国作家の書いた中篇小説である。


主人公は穏やかな隠退生活を送る男。


決して裕福な生活は営んでいないが、趣味でドボルザークを聴いたり、地元の歴史愛好会に入ったり、近くの病院で図書館ボランティアをしたりして過ごしている。


わけあって離婚したかつての妻とは今でも仲がよく、別に暮らしている娘夫婦の行事に一緒に参加したり、2人で昼食をすることもある。


男は、つぶやく。

多少の成果と多少の落胆。私には面白い人生だったが、周囲がそう思わなかったとしても驚かないし、文句も言わない。


この穏やかな生活を送る彼に、ある日、白い長封筒がとどいた。


発信人は見知らぬ法律事務所で、ある女性から500ポンドの現金と2つの文書が遺産贈与されたことの通知だった。


ある女性とは、学生時代に短い間付きあっていた女の子の母親で、一度だけ女の子の実家に泊まりに行ったときに会ったきりだった。


不思議に思いながら、遺産と遺品を受領しようとしたところ、2つの文書のうち、片方が送られてこなかった。
送られてこなかったのは学生時代に自殺した友人の日記だということが分かったのだが、送られてこない理由は、遺産贈与してくれた女性の娘(つまり学生時代に付きあっていた女の子)が手放さないから、というのだ。


彼女は、男と別れたあと、男の友人と付き合いはじめ、その友人がほどなく自殺した。
遺品の日記は、彼女のかつての恋人の日記ということになる。


なぜ、学生時代の友人の日記を、彼女の母親が持っていたのか?
それを、なぜ男に遺品として渡そうとしたのか?
なぜ娘が日記を渡そうとしないのか?


穏やかな老後を送っていた男は、いくつもの謎に包まれる。


学生時代に短い間付きあっていた女の子のメールアドレスを突き止め、連絡をとろうとするが、彼女は返信もしてくれない。


やっとメールを返してくれ、何度もやりとりをしてやっと会えたかと思えば、
  「日記は燃やした」
とはぐらかされたり、
  「あなたはほんとにわかってない。昔もそうだったし、
   これからもきっとそう」
と言われたりする。


徐々に明かされる真実は、主人公の人生を違った色あいに変えていき、最後の最後に、息を呑む事実が明かされる。


英国インディペンデント紙は、つぎのように紹介している。

ゆっくり燃える導火線のようだ。導火線はやがて燃え尽き、フィナーレで爆発する。結末のシーンはまるでスリラー、記憶と道徳のフーダニット。読み手の心に黙示録的世界を出現させる
     (※浅沼注:フーダニットとは犯人の解明を重視した推理小説


「まるでスリラー」とは、よく言ったものだ。


主人公の男は、穏やかな隠退生活を送りながら、自分の人生も穏やかだったと思っていた。


しかし、少しずつ真実が明らかになるにつれて、自分が覚えている青春時代が、自分の都合のよい記憶で作られていることに気づく。
自分が記憶から追い出していた都合の悪い真実が思い出され、自分がなんとひどい人間だったかを思い知らされる。


よく「過去は変えられない」というけれど、記憶の中の過去は、自由に変えることができるのだ。


主人公の男は、次のようにつぶやく。

私たちは自分の人生を頻繁に語る。語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折る。人生が長引くにつれ、私が語る「人生」に難癖をつける人は周囲に減り、「人生」が実は人生でなく、単に人生についての私の物語にすぎないことが忘れられていく。それは他人にも語るが、主として自分自身に語る物語だ。


本書は、イギリス連邦及びアイルランド国籍の著者によって書かれた新刊小説に与えられる文学賞である「ブッカー賞」の2011年度受賞作である。
日本の芥川賞直木賞のように、イギリス文壇のお墨付きということだ。


文壇のお墨付きが間違いないかどうか、手にとって確かめてみることをお薦めする。