大人の友情


2005年2月刊  著者:河合 隼雄  出版社:朝日新聞社  \1,260(税込)  201P


大人の友情


週刊朝日の連載をまとめた『ココロの止まり木』で、著者は次のように書きました。
  友情は人間にとって非常に大切なものである。夫婦、親子、きょうだい、
  上司と部下、あらゆる人間関係において、それが深まってくると、その
  底に友情がはたらいいることに気づくだろう。


この一文がきっかけになって本書は生まれました。


友人とは、師弟関係や上司・部下の関係のように上下の区別がない対等の人間関係です。こういう友情の概念は、近代ヨーロッパが生み出したもののようです。
深い友情は宗教的感情に近づいてゆき、太宰治の『走れメロス』のように、友人のためとあらば自分の命を棄てる、という気持ちさえ生じてきます。かたや、夏目漱石の『こころ』のように、親密な友人関係ほど「裏切り」という形でお互いが離れなければならない場面にも出会います。
あまり、友情とは何か、真の友情とは、などと考えすぎると、自分や友人に対して怒ったり嘆いたりすることばかり増えるかもしれません。といって理想など不要と言う人は、自分の位置や方向などが見えなくなって混乱するでしょう。
著者は、この難しい問題に「各人が自分の友情を照らす『星』を見つけられるといいと思う」と、心理療法家らしい淡々とした文章で自分の考えを述べています。
けっして、「友人関係はこうあるべき」「こうであらねばならない」と決めつけたりせず、「こうすればいいと思う」「……のではなかろうか」と語っていますので、少し物足りなく感じるかもしれません。
しかし、一見、軽そうにみえる中に、「友人の裏切り」「友人の出世を喜べるか」など、時に考えさせられる内容が登場します。


本書には、著者自身の経験も随所に登場します。
最初の章「友だちが欲しい」では、スイスのユング研究所に留学した時に西洋人の友人が一人もできなかった、という体験を語っていました。お別れの挨拶に訪れたマイヤー先生という心理療法分析家に心残りを伝えたとき、マイヤー先生は「これからはボクが友人になろう」と言ってくれました。


本書を読む人は、いろいろな個所で立ち止まることと思いますが、私は、まずここで感慨にふけってしまいました。
思い起こすのは大学時代の体験です。にぎやかな学生寮を出て一人ぐらしをはじめた時、あれほど毎日顔を合わせていた友人たちが、誰も訪れてくれなくなりました。
そういえば、高校時代の友人と会う機会もありません。これから新しい友人ができ意気投合しても、住所がちょっと変わるという些細な理由で、また疎遠になるかもしれません。いや、きっとそうなるに違いない! 寂しさのあまり、私は「真の友人がいない」という考えに囚われてしまいました。本を読んでいても、学生運動の末に自殺した高野悦子二十歳の原点』や奥浩平『青春の墓標』など、孤独な主人公ばかりが目につきます。


自分だけでは解決できず、かといって同級生に相談もできず、私の心は悲鳴を上げていました。ある日、苦しい胸のうちを尊敬する先輩に思い切って打ち明けました。先輩は、じっと私の話を聞き、「大丈夫だよ、浅沼くん。きっと本当の友だちができるよ。ボクだって居るじゃないか」と言ってくれました。先輩の気持ちのありがたさに、自分の部屋に帰って思わず泣いたあの日。それから気が楽になって、本当に生涯の友人を得たこと。本を閉じて、そんなことを感謝の気持ちで思い出しました。


著者は「あとがき」に次のように書いています。
  長い人生のなかで、友情ということ――その裏切りも含めて――を一度
  も体験したことがないし、考えたこともない、という人は、「人生の旅」
  を観光旅行的に表面だけを見て過ごした人ではないか、と思う。せっか
  くの人生なのに惜しいことだ。


あなたの「人生の旅」はいかがでしょうか?


自分の心に痛みを感じる個所があった場合は、本を閉じて一休みしながら読むことをお薦めします。