少し長い前ふり
多くの人が「充実した幸福な人生を送りたい」と思っている。
もちろん、ぼくも充実した人生をめざしている。そのために、充実した仕事、良好な人間関係、幸福な家庭を築くことにつとめているのはもちろんだが、実はひそかな裏テーマをもっている。
ぼくのひそかな裏テーマ。それは「人生に飽きない」ということだ。
以前にも書いたが、ぼくは北海道の片田舎で酪農を営む家に生まれた。
中学を卒業するとき、農業高校に進んで酪農をつぐか、それとも普通高校に進んでサラリーマンになるか、2つの進路のうちどちらかを選ばなければならなかった。
悩んでなやんで、最終的に普通高校を選んだ。農業高校を選ばなかったのは酪農の将来が見とおせないことが大きな理由だったが、もうひとつ、休みなくはたらく両親と同じように働きつづける自信が持てなかったことも理由の一つだった。
牛の世話は嫌いではなかった。どちらかというと忍耐強い性格も自負していた。
それでも1年365日休まず働くことができるだろうか。体がつらくなることもあるだろうし、何より同じことを続けることに飽きてしまうのではないか、と不安を感じた。
飽きてしまったあと同じ仕事を続けることは、きっと地獄に違いない。
だから普通高校に進んだ。
ぼくの選択は結果的に正しかった。
学生時代はもちろん社会人になったあとも、結婚、転勤、子育てなどのライフイベントに立ちむかうのに忙しく、人生に退屈する暇などなかった。
人事異動で職場が変わり、仕事に追われる日々から急に解放されて余暇時間が増えたこともあったが、書評ブログをはじめたことで仕事以外の楽しみを持つこともできた。
ここまでの人生、「人生に飽きない」という裏テーマはうまくいっている。
しかし、正念場はこれからだ。
会社生活はまだ数年つづくだろうが、気力・体力の衰えとともに「人生の飽き」がやってくるかもしれない。
そんなことを考えているとき、書店でこのぶ厚い本に出会った。
書名:暇と退屈の倫理学 増補新版
著者:國分 功一郎 出版社:太田出版 2015年3月刊 \1,296(税込) 437P
「増補新版のためのまえがき」に次のように書いてあった。
本書は暇と退屈の問題への取り組みの記録である。問題は解決したわけではない。それどころか、いくつもの問いが残されたままである。そこでこの新版には、残された問いを論じた試論、「傷と運命――『暇と退屈の倫理学』新版によせて」が収録されている。
「問題は解決したわけではない」という一文にグッときた。
問題を解決し、何か悟った立場から教えを垂れる本ではないらしい。ぼくの人生のテーマのひとつ「人生に飽きない」についてヒントを示し、自分で考えるきっかけを与えてくれるかもしれない。
決して難しい言葉をつかっていないようだが、考えながら読むと時間のかかる読書になるかもしれない。
いつもの「読書ノート」は、読みおわったあとでオススメのポイントをしぼって書いているが、この本との出会いをきっかけに、コーナー名を「読書日記」に変えて、読みながら考えたことを中心に書いてみようと思う。
(次回につづく)