著者:野地 秩嘉 出版社:プレジデント社 2012年8月刊 \1,680(税込) 191P
久しぶりに映画館へ行き、8月25日に公開された映画『あなたへ』を見てきた。
高倉健が6年ぶりに主演した話題作で、テレビでもたくさん予告編を流している。もうご覧になった方や内容をご存じの方も多いと思うが、ご存じない方のために、簡単にあらすじを紹介させていただく。
北陸の刑務所で指導技官をしている倉島英二(高倉健)のもとに、ある日、「遺言を伝えるNPOの者です」、と名乗る婦人がやってくる。
病気で亡くなった妻(田中裕子)からの遺言状を2通あずかっているそうで、その場で渡された1通には、「故郷の海を訪れ、散骨して欲しい」と書かれていた。
もう1通は、「故郷の郵便局留めで送る」という指示だったそうで、その婦人は「これから投函します。局留めの期間は10日間ですので、それまでに現地へ行ってください」と言い置いて帰っていった。
お互いを理解し合えていたと思っていた妻が、なぜ生前に、こんな大事なことを伝えてくれなかったのか。
妻の真意を確かめるため、病気が治ったら妻とともに旅するはずだった自家製のキャンピングカーに乗り、英二は妻の故郷・長崎県平戸へと旅立つ。
総距離1200キロにおよぶ旅の中で、英二は妻との思い出をたどり、様々な人たちと出会いを重ねていく。
妻の2通目の遺言は何だったのか。
英二は妻の遺骨を本当に海に撒いてしまうのか。
妻の故郷で英二が取った行動とは……。
一途で不器用な役を演じることの多い高倉健が、今回も刑務所のまじめな指導技官というカタブツを演じている。
妻の真意は何なのか、という伏線を縦軸にしつつ、スクリーンには旅の途上の景色が淡々と映しだされる。
亡き妻への哀惜が伝わってくると同時に、60歳を超えた主人公が生き方を変える決意をすることに、静かな感動をおぼえる。
映画を見終わって書店に寄り、森沢明夫著の同名小説『あなたへ』を立ち読みしてみた。
表紙に映画のスチール写真が載っているので、映画の原作と思われるが、設定やストーリーが微妙に映画と違っている。(あとでこの映画の解説記事を見たところ、映画製作のきっかけは市古聖智氏の原案だそうで、市古氏が亡くなったあと降旗康男が脚本家の青島武と共に物語を再構築し、練り上げたという完全オリジナルストーリーとのこと)
何より、降旗監督の映画は説明的シーンが少ないのに対し、小説では主人公の気持ちをはっきり語っているので違和感を覚えた。
そのまま小説『あなたへ』を棚にもどし、店内を巡っていて見つけたのが本書、『高倉健インタヴューズ』である。
「ほとんど取材を受けない高倉健が認めた貴重なインタヴュー集」と帯に書いてある。
中を開くと、前書きの代わりに、最新作『あなたへ』の解説が7ページにわたって書かれていて、見てきたばかりの映画の感動が増幅される内容だった。
前置きが長くなったが、今日は、6年ぶりに映画主演した高倉健のインタビュー集を取りあげる。
高倉健は1931年、福岡に生まれた。
明治大学卒業後、スカウトされ東映第2期ニューフェイスとなり、1956年に主演デビュー。
『日本侠客伝』、『網走番外地』、『昭和残侠伝』が爆発的にヒットし、東映の看板スターとなるが、1976年に45歳で東映を退社する。
東映時代は1年に15本も出演していたが、フリーになってからは出演する映画を選ぶようになり、1年に1本のペースとなる。フリーとなってから『八甲田山』、『幸福の白いハンカチ』と作品がヒットし、同時に演ずる役柄も、市井の庶民が中心となる。
本書に登場する野地氏のはじめてのインタビューは、1995年に『四十七人の刺客』の撮影が終わった直後に行われた。
その後、『鉄道員 ぽっぽや』などの数少ない映画出演後のインタビュー記事、まとめ記事など、全部で9つの章で本書は構成されている。
取材を受けることの少ない高倉健は、「高倉健伝説」と言われるほど、高潔な人物というイメージができあがっていて、あまりにカッコ良すぎる伝説を信じない人も多いようだ。
本書のインタビューは、高倉健の本音と実像に迫っているように見えるのだが、どうも「高倉健伝説」は事実であるらしい。
コマーシャルの仕事で高倉健と接したプロデューサーに本書インタビュアーの野地氏が「私たちでも真似のできること」を考えてもらうようお願いしたときのこと。
そのプロデューサーは、次のように答えたという。
「ささいなことですけれど、高倉さんはしっかりと挨拶されますね。打ち合わせで事務所に見えたとき、部屋に入るときは『おはようございます』。うちのぺーぺーの新入社員がコーヒーを出したときにも、『ありがとう』。食事をするときも『いただきます』……。そのときの立ち居振る舞いはすごく美しく見えます」
多くの人と接するプロデューサーが挙げたのが、「しっかりとした挨拶」というのはどういうことだろうか。
インタビュアーの野地氏は、こんな結論は、
芸がないかもしれない。幼稚な説教かもしれない。
としながらも、
今、私たちの周囲から「きちんとした挨拶」は消えつつあるので
はないか。
と現代の風潮を嘆いている。
ところで、NHK総合テレビの「プロフェッショナル仕事の流儀」で、先日、高倉健を取りあげていた。「高倉健スペシャル」、「高倉健インタビュースペシャル」と命名され、9月8日と10日の2回にわたって放送された番組を、僕もじっくり見させてもらった。
長年のインタビュー記録である本書に登場する高倉健と、映画『あなたへ』撮影現場の密着取材に登場する高倉健は、それほど違う描かれ方はしていなかった。
しかし、ひとつだけ同じ話題なのに解釈が違うエピソードがあった。同じ時期にインタビューして同じ話を聞いたはずなのに、違う受け止め方をしてしまったのだ。
インタビューの難しさ、奥深さを象徴しているように感じたので、引用させていただく。
映画『あなたへ』で大滝秀治と競演した感想について、本書は、次のような朝日新聞のインタビュー記事を引用している。
「この映画で大滝秀治さんが船頭を演じておられます。彼の言葉に『久しぶりにきれいな海を見た』というのがあって、台本を読んだ時、僕は『つまんないセリフだな』と思った。しかし、本番で大滝さんがおっしゃったのを聞いて、言葉の深さに気づいた。私たちが住んでいる所はさほど美しいわけじゃない。しかし懸命に生きている。生きているからこそ、この言葉が出たんだ、と」
「僕が何十回台本を読んでも何も感じずにいたセリフを、大滝さんが話すと、一字も変えていないのに意味が出てくる。そろそろ役者をやめなきゃいかんな、と考えていた時期でしたが、まだまだ一生懸命やろうと思い直しました」(朝日新聞朝刊 2012.1.30)
かたや、NHKの番組では、高倉健は次のように語っていた。
「大滝さんセリフで、あの一見、静かで平和そうに見える港で暮らしている漁民の人たちの悲しみと喜びというかね。いつも美しい海じゃないんですよ、ということを言ってるわけでしょ。もう私は長い間生きてきていっぱい見てきた、ということだよね。もう僕は突き刺さりましたよ。あれで英二がバッと心が、「よし俺も共犯者になってもいい」と思ったね。僕はもうバアっともろに感じた。こうっと、言い方と気迫で、こんなにセリフが変わってしまうんだという。『久しぶりに美しい海を見た』なんて『つまんないセリフ書きゃがんな』って思ってたんだけど、ああ変わってしまうっていうのはね。やっぱし、びっくりしたね、僕。テーマですよね、この」
どちらも大滝秀治のセリフの深さを伝えているのだが、朝日新聞ではその深さの意味を、
「私たちが住んでいる所はさほど美しいわけじゃない。しかし懸命に生きている。生きているからこそ、この言葉が出たんだ」
と解釈している。
しかし、NHKの番組では、
「あの一見、静かで平和そうに見える港で暮らしている漁民の人たちの悲しみと喜びというかね。いつも美しい海じゃないんですよ、ということを言ってるわけでしょ」
と高倉健本人が語っている。
この大滝秀治との会話のあと、主人公の英二は刑務官の仕事を辞めることを決意し、辞表を職場に郵送する。仕事を辞める決意をしたのは、妻の故郷で知ったある悲しい犯罪を見逃すことにしたからだ。仕事ひとすじに生きてきた男が、仕事を賭けてまで旅先の人に肩入れするのは、普通のことではない。
普通ならあり得ない心境に、なぜ主人公はなってしまったのか。
「よし俺も共犯者になってもいい」というきっかけを高倉健は探していた。
NHKテレビのインタビューが正しいとすれば、朝日新聞の記事は、大滝秀治の芝居も、高倉健の発言の意図も解釈しきれていない。
インタビューの難しさ、奥深さを感じさせるエピソードである。
その難しいインタビューを著者の野地氏は続けてきた。
ほとんど取材を受けない高倉健に対して。
「実は高倉さんには、いくつものインタビューや対談企画を持ち込みました。しかし、実現したのはここにあるものだけです」
と野地氏は「あとがき」に書いている。
18年かかって、200ページに満たない分量しかインタビューできないとは、何という効率の悪さだろうか。
しかも、本書のために、高倉健が出演した映画の中から、よく登場するセリフのベスト3をカウントする、という気の遠くなるような試みをしていて、最新作『あなたへ』を除く204本の主演作すべてを見ることはできなかったが、180本はチェックしたことをさりげなく報告している。
高倉健が数年に1度しか映画に登場せず、出演するからには丁寧な仕事をしていることと、この効率の悪い作家の仕事ぶりが重なって見えてきた。
そういえば2011年2月に発刊された野地秩嘉著『TOKYOオリンピック物語』も、「15年に渡る徹底取材」の成果だった。
ページ数は少なくとも、高倉健と同じような丁寧な仕事ぶりが、高倉健伝説の真実を導きだしている。
ぜひ、映画『あなたへ』とセットでお読みいただきたい。
参考書評
野地秩嘉著『TOKYOオリンピック物語』( ⇒ 日経ビジネスオンライン「超ジビネス書レビュー」2011年9月26日 参照)