著者:横澤彪 塚越孝/聞き手 出版社:扶桑社 2009年7月刊 \1,995(税込) 315P
最近の若い人は知らないかもしれませんが、かつて「俺たちひょうきん族」というお笑い番組がありました。
ビートたけしと明石家さんまのコント「タケちゃんマン」や、アイドルが歌う背後でパンツいっちょうの芸人達が踊る「ひょうきんベストテン」、番組の中でNGを出した出演者が水を浴びせられる「ひょうきん懺悔室」など、いまや伝説となった数多くのコーナーを持つ人気番組です。
当時、高視聴率を誇っていた「8時だよ! 全員集合」の裏番組としてスタートし、とうとう「全員集合」を終わらせてしまうほどの人気を得ました。この番組のプロデューサーであり「ひょうきん懺悔室」の神父役で出演していたのが本書の語り手、横澤彪(よこざわ たけし)です。
「THE MANZAI」でお笑いブームを起こし、「笑ってる場合ですよ!」、「笑っていいとも」の生みの親であることでも知られる横澤氏は、本書の題名の示す通り「テレビの笑いを変えた男」と言っても過言ではありません。
いつか横澤氏にまとまった話を聞きたい、と考えていた塚越アナウンサーは、横澤氏が癌だと聞いて大あわて。生きているうちに話を聞いておきたい、という企画が本書に結実しました。
これだけ聞くと衰弱しきったジイサマの話みたいですが、癌はゆっくり進んでいるらしく、本人はものすごくポジティブです。
「このあいだ、ハワイにも行ってらっしゃったそうで?」と水を向けられると、
「ははは。ラストジャーニーですよ、ラストジャーニー(笑)」
「ねぇ。ダメとは言えないだろう(笑)。だから、ラストジャーニー。
何度でもやってるんですよ、わははは…」
と笑い飛ばす。
全編を通じて、インタビュアーも横澤氏本人も、何度も「わはははは」と笑っています。
まずは、少年時代のお笑い好きまでさかのぼり、横澤氏のお笑いのルーツを探ろうというインタビューからはじまります。
私が意外だったのは、お笑い界であれだけ大きな仕事をした横澤氏が、フジテレビ社員としては、あっちへ飛ばされ、こっちへ左遷され、決して順風とはいえない経歴を持っていることです。
ディレクターとして番組制作の現場にいた横澤氏は、30歳を過ぎたころ事業局へ異動して商品化権を担当するようになったり、関連会社で出版を担当させられたり。
制作現場へ戻ったのは30代の終わりで、復帰したときの担当は子ども番組の「ピンポンパン」でした。
「ひょうきん族」や「笑っていいとも」がヒットしたあとも、誰もやりたがらない関連会社の社長に任命され、あまり得意といえない社長業の遂行に苦労させられます。
本書のメインテーマのお笑い番組の流れを変えた横澤氏の仕事のしかたは、本書をお読みいただくことにして、私が「ほぉー」と感心したことをご紹介します。
それは、横澤氏が自分の不得意なことをきちんと認識していることです。
入社5年目で、同期入社のなかで一番にディレクターとして番組をまかされたとき、すぐに、「あっ、俺はディレクターには向いてない」と分かったといいます。
また、映画監督をやろうと思ったかどうか尋ねられて、「向いてないもん」と即座に答を返しています。
他の人があこがれる職種でも、自分が向いてないことが分かれば別の道を探す。それが横澤流です。
横澤氏は、ディレクターとしての自分に見切りをつけたあと、プロデューサーという役割の中に自分を活かす道をみつけました。
このこだわりのなさがテレビを変える仕事のしかたに繋がっていきます。
インタビューも終わりに近くなったとき、「生きる」ことの意味について質問を受けたときの答えが秀逸でした。
少し長文ですが、まるごと引用します。
うーん…。あのー、年取ったらねぇ、まず考えることはねぇ、僕の場合
はね…、自分の身丈っていうか、身体というか、能力っていうか、そうい
うもので生きましょうっていうこと。余計にでかく見せようと思ったり、
頑張ろうと思って背伸びしたり、そういうのをしないで、こう非常に自然
体ね。身の丈に合って、そういう暮らしをするということがとても大事な
んじゃないかと思います。
年取ったら、と前置きしていますが、横澤氏は若いころから「向いてないことを一生懸命に頑張ったりしない」生き方を貫いてきました。
横澤氏から見れば充分若い私も共感する生き方です。