奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」


著者:中原 一歩  出版社:朝日新聞出版(朝日新書)  2011年10月刊  \756(税込)  206P


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東日本大震災のあと、東北地方へ大勢の災害ボランティアの方々が向かったが、時間が経つに従って人数も少なくなっているようだ。

今年のゴールデンウィークに災害ボランティアがマスコミで大きく報道されたとき、反射的に「僕も参加したい!」と思った。しかし、腰痛の持病を抱えている身では、瓦礫の撤去などの肉体労働はできない。
現地に足を運んでも迷惑をかけるだけ、と思い、断念した。


災害発生から8ヶ月が経とうとしているが、現地に支援が必要な状況は変わっていないと思う。
ボランティアの人数が少なくなった今こそ、僕も何か応援したいと考えているところだ。


現地の復興ボランティアの活動を少しでも知っておきたい、と手に取ったのが本書である。




著者の中原氏は朝日新聞出版が発行する週刊誌『AERA』の派遣記者のひとりとして、大震災発生直後から石巻市に入り、取材を続けた。

当時、太平洋沿岸部の自治体は、どこも巨大津波によって機能麻痺を起こしていて、災害ボランティアを受け入れるどころではなかった。
そんな中、石巻だけは一貫してボランティアの必要性を訴えていたという。
いち早くボランティアの派遣を要請し、受け入れる体制を整えた結果、規模的にも質的にも、そしてスピードの面でも、石巻市はめざましい成果をあげた。


取材している中原氏が新鮮に感じたのは、ボランティアが行政関係者と対等な立場で被災地の課題に向き合い、本来なら行政が行うべきサービスを行なっている光景だった。
しかも、行政以上のクオリティーと迅速さで。


他の取材記者と一緒に書いた『AERA』の記事で、今後の災害ボランティアの新たな雛形となり得る石巻市の活動は、「石巻モデル」という名称をつけて紹介された。


石巻モデル」が円滑に回っている様子を示しているのが、本書の「まえがき」に書かれている、次のようなシーンである。少し長く引用させていただく。

 「おばんです」
 カーペット敷きの床にあぐらをかいた伊藤秀樹会長(48)のあいさつで、今日も会議が始まった。色とりどりのパーカーやフリースを着た老若男女、およそ100人が、伊藤と向き合う恰好で腰をおろし、20畳ほどのスペースはぎゅうぎゅう詰めだ。
 彼らは全国から集まった災害ボランティアである。
 「今日は泥出しを7ヵ所で完了、継続は4件です」
 「避難所で髪のカット30人、顔剃り15人です」
 各団体からの報告が、ホワイトボードに次々と書き込まれてゆく。
 時折、「おー」という歓声や拍手が湧き、時間の経過と共にその場は熱気を帯びてくる。
 「今日、炊き出しをした避難所で、髪を切ってほしいという人が何人かいました」
 そんな部門横断的な情報が出ると、伊藤が取り次ぐ。
 「リラクゼーションチーム、なんとかならない?」
 「明日行きます」
 午後7時の開始から45分後、報告が途切れたのを見計らって伊藤が正座に直ると、その場にいる全員が倣(なら)う。
 「今日も一日、お疲れさまでした。明日もがんばりましょう!」
 伊藤の掛け声に合わせて全員が手締めを行い、集まったボランティアは作業別の分科会に分かれて賑やかなミーティングの開始となった。


災害ボランティアが、このようにシステマチックに動き出した要因はいくつもあるが、中原氏が「成功の秘訣」と呼んでいるのは、行政の会議にボランティア代表が出席するようになったことだ。

「災害対策本部会議」(非常時の行政における最高意思決定機関)には、国や県の職員のほか、警察、消防、自衛隊などが出席して、被災情報や避難状況、災害義援金の分配に到るまで、各担当の部署から細やかな報告が行われる。
震災の3週間後に立ち上げたばかりの「石巻災害復興支援協議会」の会長を、市長の亀山紘はボランティアの代表として、この最高意思決定機関に出席させた。


公的機関を重視する行政機関としては、異例の決断だった。


もうひとつ、亀山市長は大きな決断をしている。
それは、私立大学であり、避難所にも指定されていない石巻専修大学に、「大学に災害ボランティアセンターを開設できないか」と要請したことだ。


ライフラインが寸断されても、幸い大学には自家発電装置が3機設置されていた。広い敷地、物資倉庫として活躍することになる野球部の屋内練習場など、石巻専修大学はボランティアの活動拠点としてまたとない条件を整えていたのだ。


本書では、この他、ボランティアを受け入れる仕組み、ボランティアにとって居心地のよい環境作り、ボランティアを継続的に募集するノウハウなど、石巻モデルの成功の要因を具体的に追っていく。


会社をあげて社員を現地に派遣したブジヂストン、アウトドアを本業とする会社ならではの支援を展開したモンベル、パワーショベルを上回るマンパワーを発揮したIBMのアメフトチーム、1万7千台のケータイと関連商品を提供したソフトバンクなど、企業の社会貢献の話題も取り上げている。


なぜ、石巻が突出して多数のボランティアを受け入れられたのか。
その背景には「石巻モデル」に尽力した多くの人々の決断と創意工夫があった。


良くも悪くも、日本の転換点となるであろう東日本大震災
その現場へ、ますます足を運びたくなった。


いざ、行かん。東北の被災地へ。