災害ボランティアに行ってきました(3)

お茶っこの会(カフェボランティア)で耳にした話


話がはずんでくると、東北弁がきつくなって半分くらい聞き取れないこともありましたが、何を話しているかは分かります。


僕が直接耳にした参加者の声を、いくつかお伝えします。




・(70歳台のご婦人が)
 「この間、おばあちゃんと呼ばれて気分が悪くなった。
  でも、言われたのが若いボランティアの人だったからガマンした」


 「“おばあちゃん”と言われたら、『私は、あんたのおばあちゃん
  じゃありません』と返したらどうですか」と合の手を入れました。


 「そうだね。こんど、そうするよ」と、おばあちゃん、いや、
 おばさんが言ってました。


・いままで広い家に住んでいたので、仮設住宅の狭さに圧迫感を感じる。
 ぜいたくを言えないことは分かっているが、ふとんを二つ並べると、
 すぐ横に壁が迫ってくるので、寝るときも窮屈だ。


・支援物資で着るものをたくさんもらったが、実際には、ほとんど着て
 いない。気がつくと昔から着ていた洋服を選んでいる。古くてくたび
 れていても、自分が気に入った服が何よりだ。

余震が……


12月1日、消灯直前の9時50分ころ軽い揺れを感じました。


iPhoneウェザーニュースのサイトを見たところ、遠野は震度2とのこと。このくらいの揺れはよくあることのようです。念のため「各地の震度」を見たら、東京で震度5と出ています!


「東京で震度5ですよ!」と叫ぶと、
「え〜っ! テレビに地震速報出てる?」と、現地スタッフに緊張が走りました。


「テレビに地震速報、でてませんよ」
「おかしいなぁ、ウェザーニュースには出てるんですけどね」
「ちょっと見せて。どれどれ……、浅沼さん、これ“サンプル”って書いてるよ!」
「えーっ、どこに?」


よく見ると右肩に「SAMPLE」と書いてあります。でも、なぜか気づきにくいオレンジ色表示なので、パッと見は起こった地震の震度表示と誤解してしまいました。


ウェザーニュースさん、もっと「SAMPLE」が目立つようにしてよね!
金太郎ハウスのスタッフの皆さん、お騒がせしました m(_ _)m

長期ボランティアさんに脱帽


お茶っこ2日めの11月30日のこと。
出発前に遠野まごころネットワークの事務所前でスタンバイしていたら、長期で活動していた人が「今日帰ります」と挨拶に来られました。


「帰ったらハローワークに行きます」との別れの挨拶に、「私もです」と、今日も活動に出かけるメンバーが手を差し出します。
生活を投げ打って遠野に来た人だけが分かち合える熱い思いが、握手に込められているようでした。


他にも大勢の方が、長期でボランティアとして滞在しておられます。


大槌町を担当している僕のカフェ隊責任者も夏のころからの長期ボランティアです。
聞けば、何度も大槌町の避難所や仮設住宅を回っているうちに、現地を離れられなくなってしまい、とうとう京都のK大学建築学科の大学院を休学してしまったとのこと。


東京のT大学を休学した2年生とも一緒にお茶っこしました。
「うちの大学は、2年目で休学したとたんに1年生と同じ扱いになっちゃうんですよね」と笑っています。


僕のような短期ボランティアは、ただ脱帽するしかありません。

あわや夕食にあぶれそうになる


活動最終日のことです。


3日間通った大槌町から宿舎の金太郎ハウスに戻ってきたら、偶然、前日カフェ隊でご一緒したT大学の学生さんにお会いした。


「キャッシュカードでおろしたはずの5千円を財布に入れ忘れました。アハハ」と前日彼が話していたのを思い出し、咄嗟に、「今日は外食するから、僕のお弁当食べてくれない?」と提案しました。
すぐに、「いただきます!」との元気な返事。
大急ぎで金太郎ハウスに届いていた僕のお弁当を取ってきて、お渡ししました。


いや〜、いいことした。
ボランティアの人にお弁当寄付しちゃった♪


内心うきうきしながら、近くで外食できるところがないかを他のメンバーに尋ねたところ、「あんべ」というジンギスカン発祥の店を勧められました。


ジンギスカン発祥の店というのは捨ておけません。道産子の端くれとして、ジンギスカンの本家争いの真偽を見届ける責任を感じます(笑)


よし、今日はジンギスカンにしよう!
ミーティングの時間も迫っていたので、すぐにお店に向かいました。


地図を頼りに15分ほど歩き、お店の前に着いてみたら、
なんと! 定休日だった _| ̄|○


もう他の店を探す時間はありません。
仕方なく、近くのファミリーマートでお弁当を買いました。


いいことしたご褒美に、おいしいもの食べたかったなぁ……、との思いやまず、翌日、バスの出発前にジンギスカンに再チャレンジしたことも書きそえておきます。

9時間かかって横浜へ帰着


最終日の12月2日(金)は、いつもより早く、暗いうちに起床しました。次のボランティアメンバーのバスが到着するので、部屋を明け渡さなければならないのです。


新しいメンバーは朝6時半に到着し、部屋に荷物を置いて7時半にあわただしく初日の活動に向かいました。


僕たちはすれ違いで12時に帰途につきますが、その前の最後の活動として宿舎の金太郎ハウスを掃除します。12時までの自由時間が少しでも長くなるよう、ふとん干し係、掃除機係、洗面所掃除係など、係を決めていっせいに清掃開始!


僕は、最後に残った洗濯係を担当しました。


瓦礫処理メンバーが、「ビブス」というベストのように頭からすっぽりかぶった衣類や、トイレのタオル、洗面所のマット等を4回に分けて洗濯します。
「ビブス」というのは「よだれかけ、胸当て」という意味だそうです。泥よごれのひどいものもありましたが、手洗いしてきれいにしておきました。
きっと、次のメンバーも気持ちよく活動してくれることでしょう。


掃除のあとは自由時間。
メンバーが思い思いに遠野市を散策をし、12時にバスに乗り込みました。


来るときと違って、昼間の移動は長く感じます。
行けども行けども、まだ東北自動車道


9時間かかって横浜駅に到着し、解散となりました。

帰ってきて感じたこと


帰着後に見た12月4日の朝日新聞に「凍える手 終わらぬ闘い」という見出しの記事が載っていました。
被災地のボランティアが減り続けている、というのは行く前から聞いていたことですが、この記事には、次のような数字が載っていました。

  全国社会福祉協議会(東京都)によると、岩手、宮城、福島3県の
  ボランティア数は、5月のピーク時に週5万4千人を超えていたが、
  11月には7千人ほどに減った。


がれきの撤去もまだ残っているのに、ピーク時に7分の1以下になってしまうと、作業がなかなか進まないようです。


マスコミの報道も減ってきているように思います。


せめて、僕の短いボランティア経験の報告を見て、「よし、私も」と思ってくれる人がいてくれると嬉しいです。


たいへんな思いをしている人がいれば、誰でも自分のできる範囲で励ましを送るのが当たり前。


未曾有の大震災が、そんな社会を築くきっかけになることを祈ります。