いねむり先生
著者:伊集院 静 出版社:集英社 2011年4月刊 \1,680(税込) 410P
ご存知の方も多いと思うが、著者の伊集院静は故夏目雅子の夫である。
将来を嘱望された女優夏目雅子が若くして亡くなったのは1985年。まだ28歳の早すぎる死だった。
新居に2人で暮らしはじめて1ヶ月もたたないうちに病気が発覚。白血病と宣告されたあと、押し寄せるマスコミをさえぎりながら入院生活を送ったが、生還をめざして厳しい治療に耐えていたさなか、雅子は逝った。唐突に死が訪れたのは、入院してたった209日後だったという。
伊集院氏はやり場のない憤りを覚える。故郷に帰った彼は酒とギャンブルにのめり込み、何年も無為な日々を過ごしたあと、少しずつ妻の死から立ちなおることができた。
その後、一貫して雅子についての執筆依頼を断りつづけてきた伊集院氏だが、25年目にとうとう禁を破る。週刊現代2010年9月6日号に手記『妻・夏目雅子と暮らした日々』を掲載(加筆修正のうえ、2011年3月刊『大人の流儀』に収録)した。
年月が悲しみを癒したことは想像に難くないが、正面からまとまった手記を執筆するまでに、伊集院氏は少しずつ当時をふりかえる作品を試みていたようだ。
ひとつは、10年前に雑誌に連載していた、結婚前の雅子との思い出が少しだけ登場する自伝的随想。いまは存在しない逗子のなぎさホテルを舞台に、作家としてデビューしていく過程を綴ったエッセイは、電子書籍の新レーベル「デジタルブックファクトリー」の第1弾『なぎさホテル』として本年2月に発売された。(同名書籍が7月に出版)
もうひとつが本書『いねむり先生』。2009年8月から約1年半にわたって雑誌連載したもので、妻を病気で亡くしたあと無頼の日々を送る主人公が、「先生」との交流のなかで再生を果す物語である。
夏目雅子を亡くしたあと伊集院氏がどのような日々を送っていたのか、「先生」の何が伊集院氏を再生させたのか、物語に込めた著者の思いを追ってみよう。
『いねむり先生』は主人公「サブロー」の一人称語りで物語が進行する。サブローが妻を亡くしたあと酒とギャンブルにのめり込んだ様子を、本書は次のように簡潔に記している。
半年後に重度のアルコール依存症になり、強制的に入院させられた。三十歳半ばで身心ともボロボロになったボクに手を差しのべてくれる人がいて、退院ができた。以来酒量を自制していた。
故郷のほか、あちこちの知人から借金をしてサブローは暮している。
ある時、K先輩に呼びだされ「君に逢わせたい人がいてね」と告げられる。「いい人なんだよ。チャーミングでね」とK先輩が嬉しそうに形容する人は「***を書いた作家」だという。
本書ではこのあとも頻繁に「***」と伏せ字が登場するが、決して登場人物のモデルを隠しているわけではない。K先輩が逢わせてくれたのは作家の色川武大である。色川はもうひとつのペンネーム阿佐田哲也で書いたマージャン小説でも知られ、「雀聖」と呼ばれるほどの打ち手だった。
新宿の路地裏にある小さな店に入ると、「逢わせたい人」は店の奥のテーブル席で眠っていた。
ぽっこりと出たお腹が赤ん坊のようで、そのお腹の上に両手を行儀良く揃えて置いたぽっちゃりとした手も赤ん坊そのままのように見えた。
初対面の「先生」は、いねむりをしていた。
あとでK先輩が教えてくれたところによると、先生はところ構わず眠ってしまう「ナルコレプシー」という病気を持っていた。病気のおかげで、昼、夜関係なしに突然眠り込むという。
ある時、麻雀を打っている最中に寝てしまったエピソードを楽しそうにK先輩が話してくれる。麻雀をしながら先生が寝てしまうのは珍しいことではない。なにしろ病気なんだから。
卓を囲んでいた他の3人は夜食のサンドウィッチを食べながら先生の目覚めを待ったが、いっこうに起きる気配がない。しかたなくK先輩が「先生の番ですよ」と起こしたところ、ガバッと目を覚ました先生は自分の夜食を食べはじめた。
「食ってる場合じゃなくて、あなたが牌を切るんですよ」と声をかけると、麻雀の最中だったことに気づいたらしい。
そして、なんと、いきなりサンドウィッチを切った。
腹の突き出た中年男性で、どこでも寝てしまう病気を持っているというのに、先生はどこへいっても人気者だ。
サブローも例外ではない。
先生がボクを見て笑った。あの笑顔だ。逢ってみると、やはりこの人にしかない独特の雰囲気が漂っている。
と、いっぺんで好きになってしまった。
何度かいっしょにお酒を飲んだり、麻雀卓を囲むうち、なぜか先生もサブローを気に入ってくれ、いっしょに旅に出ることになる。
ただの旅ではない。1泊2日の競輪の旅。“旅打ち”と呼ばれるギャンブル三昧の旅なのだ。
サブロー君、私はどんなことがあっても必ず行きますから。
と、楽しみにしていた旅行だが、ちょっと目を離したすきに、新幹線の中で先生が苦しみはじめた。先生のことをよく知っているK先輩に電話をかけて状況を伝えたところ、具合が悪くなった原因は富士山が見えたことだ、と告げられる。
あのね。君に話しておかなかったけど、先生ね、尖ったものを見てるとおかしくなる時があるの。円錐形のものもダメなんだ。恐怖でおかしくなるんだ。
とK先輩は電話のむこうで教えてくれた。
いつもの先生のいねむりは、
大きな背中を丸めるようにして、両足を少しひろげて眠むっている姿は、その背中に白い羽根があっても、とても似合いそうに思えた。
と見えるほど幸せそうだ。
しかし、同じようにうずくまっていても、苦しそうな先生は眠っていない。じっと目を閉じて何か痛みをこらえている姿は、一種の発作のようにも見えた。このまま放っておけない、と先生を見守りながら旅を重ねるうちに、サブローと先生の関係はどんどん深くなっていく。
先生は、年下のサブローを「ともだち」として遇しながらも、時にはサブローにとって心地よくない問題にも触れてくるのだった。
サブローもまた、苦しんでいた。
自分の中に、何か得体の知れぬ固まりがあって、フンコロガシのフンのように何でも放りこんで転がしてきた。しかし、妻を亡くして酒とギャンブルに浸っているうちに、得体の知れぬ固まりが壊れてしまった。
一年前、その固まりが身体の中でゆっくりと、奇妙な音を立てて砕け散った。
――こわれた……。その自覚だけが残った。
あとはもうフンコロガシはどこかに失せ、軸を失なった自分が彷徨しているだけだった。
サブローが以前小説を書いていたことを知り、先生は「今でも書いているの?」と尋ねた。もう書いていないことを伝えると、「どうして?」と訊いてくる。
小説家の先生から「なぜ小説を書かないのか」と言われるのはつらい。
また、偶然とはいえ、“旅打ち”の途中で、2年前に亡くなった妻の主演映画ポスターに出会ってしまったとき、先生は言った。
サブロー君、人は病気や事故で亡くなるんじゃないそうです。人は寿命でなくなるそうです。
先生は、サブローの苦しみに無頓着なわけではなかった。むしろ、サブローの苦しみが自分と同じ種類の苦しみであることを察知し、サブローが苦しみから離脱するよう心をくだいてくれたのだ。
気づかいあう2人が“旅打ち”を重ねるなかで、サブローが苦しみから脱する日がやってくるのだが、どうやって脱することができたのかは、読んでのお楽しみとさせていただく。
人の苦しみはさまざまだが、近しい人の死は特に大きな苦しみをもたらす。しかも、その死があまりにも唐突に訪れたとき、残された者の心は平常ではいられない。サブローのように、あるいは伊集院氏のように酒やギャンブルに依存してしまうのは特殊なケースかもしれないが、ぽっかり空いた心の空洞は、いつまでも埋まりそうもない。
この苦しみは誰にも理解してもらえない、と本人は思う。サブローも妻が死んでから、いや、それ以前から、特定の人や物事に固執することを避けてきた。
しかし、先生は違った。
“旅打ち”しながら先生が書いていた原稿がやがて『狂人日記』として刊行されるのだが、サブローは先生の新刊の一節に目をとめる。
『自分は誰かとつながりたい。人間に対する優しい感情を失いたくない』
その一節を読んだとき、この一年半、先生とさまざまな場所を旅し、そこで見た先生の姿が浮かんだ。
先生は、作品の中で、己を狂人と自覚する苦しさを吐露していた。
自身が苦しんでいるにもかかわらず、誰かとつながりたい、人間に対する優しい感情を失いたくない、と先生は望みを捨てなかった。
人の苦しみを癒すのは、人と人のつながりであることを、先生は“旅打ち”しながら教えてくれたのだ。
奇しくも色川武大の22回目の命日に出版された本書には、伊集院氏の「先生」への感謝と哀惜の思いが込められている。