なぎさホテル


著者:伊集院 静  出版社:小学館  2011年7月刊  \1,470(税込)  188P


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35万部を超えるベストセラーになっているエッセー『大人の流儀』の作者、伊集院静氏の自伝的エッセイである。


直木賞選考委員を務め、今や一流作家として認められている伊集院氏も、かつては無頼な日々を送っていた。
他人との折り合いに疲れ、家族とも離別し、30歳を前に都落ちを決める。東京を遠く離れるつもりだったが、ふとしたきっかけで逗子の海沿いのホテルに逗留しはじめ、7年あまり過ごした。


伊集院氏は、このホテルで小説を書きはじめ、作家生活のスタートを切る。夏目雅子との結婚を機に転居したあと、5年後にこのホテルは閉鎖された。


もう存在していない「なぎさホテル」を思い出すとき、伊集院氏は、

「私が作家として何らかの仕事を続けられて来たのは、あのホテルで
過ごした時間のお陰ではなかったか」

との感慨をおぼえる。


やさぐれていた自分を受け止め、見守ってくれたホテル関係者との交流に感謝しながら、伊集院氏は、今でも夢の中に生き続けているホテルでの出来事を回想する。




「なぎさホテル」は、皇室御用達の由緒正しいホテルという、格式高い一面を持つものの、観光客の少なくなる冬場には、客足がほとんどなくなってしまうホテルだった。


1泊3千円という安価な部屋に逗留することにした伊集院氏だが、ともかく金のない彼は、部屋代もまともに払えなかった。
なぜか彼を気に入ってくれたI支配人は、出世払いで結構です、と猶予してくれ、彼が旅に出るときには費用を貸してくれるほど親切だった。


「なぎさホテル」に滞在している間に、伊集院氏は「私が一番本を読んだ時期」というほど読書にいそしんだ。
しかし、当時の読書日誌を読み返してみると、陳腐な内容ばかりとのこと。たくさん読み込んだことが小説家としての滋養になったとは限らない。「むしろ邪魔になっている気もする」とまで言っている。


ホテル滞在中の読書はともかく、ホテル滞在中に出会った人々の中には、いっぷう変わった人物も多く、初期の小説のヒントを与えてくれた。滞在中に書いた小説内のエピソードや主人公として、直接的に助力してくれた人々だ。


たとえば、第2章「ワンピースの女」でホテルの隣の住人として描かれた女性。
次の第3章「夜の海」で、伊集院氏が逗子駅近くのバーに入ったときのエピソードに登場する。


バーに入ったとたん、伊集院氏は、そこがただの酒場でないことに気づいた。店の奥には、二階へ続く階段が淡いピンクの照明に浮かんでいて、カウンターの中の女が、科(しな)をこしらえながら「二階で遊んで行く?」と誘う。
煙草をくゆらせるカウンターの女は、ホテルの隣の住人と瓜ふたつだった。女の誘いに乗らずに、数杯のウィスキーを飲んだだけで店を出ようとしたとき、釣り銭を出した女から香水が香り、鼻の奥に残った。


ホテルの隣の女性は、戦後この近くに別荘を持っていたGHQ将校の恋人だった、と噂で聞いた。将校が帰国したあとも、若かったころの恰好をして再会を待っているという。


伊集院氏は、彼女のことを『緑瞳の椅子』という小説に書いた。



小説を書きはじめたものの、海のものとも山のものとも分からない日々がつづき、伊集院氏は借金の旅にでかけた。


かつて「私が六本木でボディガードのような仕事をしている時に知り合った」という男から金を借り、画家のY氏から金を借り、借金というものの後味の悪さが身にしみる。
かつて横浜港の口入れ業をしていたころの思い出の地に立ち寄りながら、仲間たちがあぶく銭を酒や女で費やすなか、自分はギャンブルに走ったことを回想する。


何かあの頃の名残に触れたくて立ち寄った本牧には、当時の猥雑なおもかげは何も遺されておらず、「あのまま自分が、あの街に居残っていたら、私自身も消滅してしまったのでは、という恐怖感に襲われた」。


このとき感じた恐怖感は、やがてレクイエムに形を変え、20年後に『ごろごろ』という作品にまとめられる。



先の見通しのない、「ボウフラのようにふわやわと」した生活を送っている中でも、I支配人は「あせって仕事なんかしちゃいけません」と伊集院氏をなぐさめてくれた。

  「あなた、大丈夫だから」
  「何をやっても大丈夫。ほら、先日、居なくなった野良犬……」
  「あの犬、私とあなたにしか尾を振らなかったんですよ」
  「あなた何をやったって大丈夫。私にはわかるんです」

と。


伊集院氏には居心地の良い環境だったが、決して経営がうまく行っているわけではなく、ホテルは売却されることになる。


支配人に見送られてホテルを出てから、もう20年以上になる。十数年前に逗子を訪れたとき、ホテルのあとにファミレスが建ったことを知った。


やさしくしてくれた支配人や従業員もバラバラになってしまったが、「なぎさホテル」は、今でも伊集院氏の夢の中に生き続けている。