著者:浅田 次郎 出版社:毎日新聞出版 2017年12月刊 \1,620(税込) 377P
小説家浅田次郎氏の最新刊である。
本の内容に入る前に、今日は余談からスタートさせていただく。
僕の生まれ故郷は北海道の山奥で、学校は小中学校あわせても生徒数が十数名という小さな学校だった。
3つのクラスには1人ずつ担任教師がいて、校長先生を加えて全部で4人の先生が教えてくれていた。
小学校3年のとき、担任のI先生が街へ買い物にいくときに、一緒につれていってもらったことがある。
街まで12キロ離れているので、買い物といっても一日がかりだ。
午前中の用事がおわり、お昼どきになった。
I先生は農協ビルに入ると階段を上がり、3階のちいさな食堂に入った。もしかしたら、一般向けではなく職員用の食堂だったのかもしれない。
「何か食べたいものある?」と聞かれたが、メニューに載っている料理がどんな料理か、僕にはよく分からなかった。
なかなか答えない僕の様子をみて、I先生は、「じゃ、親子丼2つ」と注文した。
はじめて聞く料理の名前だった。
しばらくして、フタ付きのどんぶりが運ばれてきて、フタを開けるとフワフワの玉子とじが乗っているのが見えた。
おそるおそる食べはじめた僕に、I先生は「おいしい?」と声をかけたあと、
「親子どんぶりっていうのはね、親子で食べる料理なんだよ。だからお店の人は、先生とヒロシ君のことを親子だと思っているかもしれないね」
と言って笑った。
僕はもうしわけない気持でいっぱいになった。
先生をひとりじめして街に連れてきてもらった上に、職員専用の食堂に特別に入れてもらい、お昼ごはんをごちそうしてもらう。
それだけでも申し訳ないのに、親子でしか食べちゃいけない「親子どんぶり」を注文し、お店の人にナイショで食べている。
I先生はニコニコしているけど、イケナイことをこんなにたくさんやっても大丈夫なんだろうか?
ドキドキしながら食べ終わったあとも、I先生は「親子どんぶり」の種明かしをすることはなかった。
その後、I先生が別の学校に転任してしまい、しばらく交換していた年賀状も途絶えた。
ほとんど思い出すこともなくなったI先生だが、昨年、実家に帰省したときに父親と昔の話をしていて、I先生が亡くなったことを知った。
「もう何年も前に、I先生は亡くなったんだ。
ヒロシは知らないかもしれないけど、I先生は子どものころ浮浪児だったんだって。終戦後、親を亡くして家もない浮浪児がたくさんいたけど、I先生も苦労したんだねぇ」
戦後十年以上すぎて生まれた僕には「浮浪児」のことはよく分からない。
しかし、戦争で親を亡くし、住む場所もなく、助けてくれる人もいないなかで、教師になるまでの道のりはたやすい道ではなかっただろう。
子どもたちを教えながら、家庭を築き、子どもに恵まれたI先生は、誰よりも幸せを噛みしめていたに違いない。
余談はここまでにして、本題に入ろう。
本書の主人公「竹脇正一(たけわきまさかず)」は、定年退職をむかえた商社マンである。
大手商社の子会社に出向し、子会社の役員で定年を迎えた。
悠々自適のリタイア生活に入ろうとした矢先、定年祝賀会の帰り道、地下鉄の車内で倒れた。
救急搬送された病院で、意識不明のまま集中治療室に横たわっている。
親会社の社長に昇りつめた同期社員が見舞いにかけつけ、正一の妻と言葉を交わす。
同じ社宅に住んでいたころ正一の子どもが交通事故で亡くなってしまったこと、
もう一人の娘が結婚し、孫が2人いること、
脳内出血がひどく、脳圧も高いので手術ができないこと。
同期社員が帰ったあと、娘の夫や、正一の幼なじみが登場し、正一の人となりが明らかになってくる。
このまま、本人以外の登場人物が正一の人生を語っていくのかと思って読み進んでいたところ、突然、第二章で正一本人が目を覚ます。
「ここはどこだ」と意識をとりもどして記憶をたどる。
地下鉄車内で頭が痛くなり、救急車の担架に乗せられたところまで思い出し、自分が病院のベッドに寝ていることを理解した。
ベッドの横で看病してくれている見知らぬ女性に声をかけ、名前を尋ねると、「マダム・ネージュとお呼び」と言われた。
妻の知り合いと思って言葉を交わすうちに、マダムは「何か食べに行きましょう」と言い、正一の肩を支えて起き上がらせた。
点滴のチューブやコードが次々とはずれ、ベッドから下りたつと、着替えもしないのに正一はスーツ姿に変わっていた。
夢とも幻想ともつかないまま、正一はマダム・ネージュと病室の外に出る。
タクシーで新宿へ向かおうとするマダムを制し、正一は地下鉄に乗りたい、と申し出た。
地下鉄の入り口に向かうと、救命士が患者を搬送しながら、「竹脇さあん、がんばれぇ、病院は近いからねぇ」と呼びかけているところに出会った。
自分が搬送されている幻をみながら、正一は「迷惑をかけて申し訳なかった」と周囲の人に心で詫びた。
地下鉄で新宿に向かい、高層ビルのレストランでマダム・ネージュとゆったりと食事をしたあと、正一は病院に戻る。
深い眠りのあと、気がつくと正一は陽光に照らされた海岸にいた。
かつて家族と夏の1日を過ごしたリゾート地のようだ。
妻の友人と思われる女性が話しかけてきて、正一は言葉をかわす。
「思い出して」とうながされるまま、会社の保養所が近くにあったこと、息子を亡くして間もなかったこと、せっかく楽しみにしていたのに妻が息子の遺影を取りだして、早く忘れようという正一と諍いになったことを思い出した。
忘れてしまわなければ、先へ進めないできごとだった。
しかし、もう定年退職という人生の区切りをこえた。
「もう思い出してもいいんじゃないかしら」という女性のことばをすなおに受入れ、正一は思い出さないようにつとめていた過去のできごとを語りはじめる。
こうして、正一は目を覚ますたびに新しい案内人と一緒に病院を抜け出して、人生をふり返った。
3人目の案内人は、脳梗塞でとなりのベッドに寝ている80歳の「カッちゃん」だった。
病院近くの銭湯で湯につかりながら、カッちゃんは自分が戦災孤児だったことを話しはじめる。
仲間といっしょに銭湯の板場荒らしや、クツ泥棒、カサ泥棒をして飢えをしのいだことを聞き、正一も、幼少時代の辛い思い出を語る。
焼け跡から歩き出した戦災孤児のほうがたいへんだったはずなのに、カッちゃんは言った。
「俺がガキの時分にァ、世間はみんながみんな腹っぺらしで、ボロを着てた。だから、てめえが不幸だとも思わなかった。マーちゃんは最初っからきつかったはずだ」
カッちゃんの境遇を読んで、僕は担任のI先生を思い出した。
I先生がやさしかったように、カッちゃんも心優しい人だった。
戦災孤児として苦労しながら人生を切り開いてきた自分よりも、周りが幸福になっていくなかで、辛い幼少時代を送った正一のほうがきつかったに違いない、と言うのである。
正一は、このあとも案内人と一緒に人生をふり返る旅をつづけ、最後にどんでん返しが待っているのだが、あとは読んでのお楽しみとさせていただく。
帯に、
忘れなければ、生きていけなかった。
と書いてある。
歯を食いしばって生きてきた男が、定年と同時に倒れたときに心にうかべた「おもかげ」とは誰だったのか。
題名の意味がわかって本を閉じたあとの余韻は格別である。