昨年6月に映画「劔岳 点の記」が公開された。
素晴らしい山の実写映像が見られるとの前評判を知り、見たい! と思ったのだが、あっという間にロードショーは終わってしまい、見られなかった。
今年2月、バンクーバーオリンピックを前に、とうとう46インチ大画面テレビを買った。カーリング女子にハマったのはさておき、TSUTAYA で「劔岳 点の記」のビデオを借りてきて見た。
すごい!
山岳風景の美しさ、猛烈な吹雪のシーンなど、想像以上の映像に圧倒された。
そうとう苦労して撮影したらしい。
「劔岳 撮影の記」のDVDが発売されたことを知り、レンタルされるのを待ちきれず、4月に買い求めた。
この映画、単なるメイキングものではない。
撮影開始のミーティングで木村監督が言った。
「撮影に行くと思ったら耐えられない。苦行に行くと思え」
映画一本を撮るために、これほどまでに死にものぐるいになれるものなのか。
映画撮影のエピソードをまとめた『もうひとつの劔岳 点の記』が出版されていることを知り、手に入れた。
木村監督がロケハンしながら原作文庫本を握りしめていたことを知り、新田次郎の原作も買った。
こうなると、もう止まらない。
とうとう、夏休みに家族で剱岳を見にいくことにした。
劔岳と三角点について整理した『剱岳に三角点を!』も読んだ。
映画をもう一度見たくなり、「劔岳 点の記」のブルーレイ版をアマゾンに注文した。(今日とどく予定だ)
――ということで、ここ数ヶ月の劔岳フリーク生活で見聞きした本と映画を今日は取りあげる。
いつもはネタばらしを自粛しているが、今回は映画や原作のストーリーも紹介させていただくつもりだ。
ストーリーを知りたくない人は、ここから先は読み飛ばすことをお願いする。
『劒岳 点の記』
著者:新田次郎 出版社:文春文庫 2006年1月刊 \720(税込) 407P
まず、「点の記」とは何か。
新田次郎氏の原作には次のように書いてある。
点の記とは三角点設定の記録である。一等三角点の記、
二等三角点の記、三等三角点の記の三種類がある。三角
点標石埋定の年月日及び人名、覘標(測量用やぐら)建
設の年月日及び人名、測量観測の年月日及び人名の他、
その三角点に到る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水等の
必要事項を収録したものであり、明治二十一年以来の記
録は永久保存資料として国土地理院に保管されている。
(※「覘標」には「てんぴょう」とふりがなが振ってある)
明治40年、陸軍参謀本部陸地測量部(当時)に所属する柴崎測量官は、越中奥山の三等三角点網の完成を指示される。
しかも、前人未踏といわれている劔岳に測量旗を立ててもらいたい、との上官の命令を受け、柴崎芳太郎は悲愴な決意で山に向かう。
陸軍の上層部が劔岳にこだわるのは、まだ日本に誕生したばかりの山岳会
も劔岳の初登頂をめざしていたからだ。趣味で山に登る連中に先を越されては恥になる、というわけだ。
幸い、宇治長次郎という良き案内人を雇うことができ、柴崎は27ヶ所の三等三角点候補地を決めて、標石を埋設していく。
雪崩に巻きこまれたり、強風に天幕(テント)を飛ばされそうになったり、生命を失いかねない困難にも直面するが、柴崎たちはとうとう劔岳の登頂を果たした。
しかし、初登頂と思った頂上には、古代の行者が残したと思われる剣と錫杖が残されており、全くの前人未踏でなかったことが明らかになった。報告を受けた軍の上層部は柴崎の快挙を評価しようとしない。
設置した三角点どうしの位置関係を観測するという、測量官としての地道な仕事を終えたとき、芝崎は空いっぱいに広がる五色の日暈(ひがさ)に気づく。
「天だけが彼の業績を認め、贈ってくれた祝福の花輪ではないだろうか」と新田次郎は柴崎芳太郎を称えた。
限られた予算、限られた日数で役目を果たした測量官の業績は、長いあいだ気象庁の役人務めを経験した新田次郎によって世に知られるようになった。
映画:劔岳 点の記
監督:木村 大作
出演:浅野忠信, 香川照之,松田龍平, 仲村トオル, 宮崎あおい
販売元:ポニーキャニオン 2009年12月発売 139分
ブルーレイ:\4,685(Amazon価格)
DVD:\2,323(Amazon価格)
ブルーレイ版を購入する際は、こちらから DVD版を購入する際は、こちらから
「この小説を、いつか映画にしたい」と思い続けていたのが、木村大作氏である。
木村氏は黒澤映画に撮影助手として携わって以来、キャメラマンひとすじ37年のキャリアを持つ。
新田次郎原作の山岳映画「八甲田山」(1977年)や「聖職の碑」(1978年)でも撮影を担当していた木村氏だ。誰も撮らないのなら自分が撮るしかない、と、この作品ではじめて監督業をつとめる。
映画:劔岳 撮影の記 標高3000メートル、激闘の873日
監督:大澤 嘉工
出演:木村大作, 浅野忠信, 香川照之, 松田龍平, 仲村トオル
販売元:TOEI COMPANY,LTD 2010年3月発売 113分
DVD:\3,863(Amazon価格)
撮影はすべて現地で行い、CGや空撮もいっさい使わない。なぜヘリコプターを使わないのかという質問に、木村氏は次のように答えたという。
ヘリは風景になるんだ、ドラマは感じないね。
歩いて人の目線で撮ると、それだけで、ドラマになるんだ。
池ノ平の撮影では、片道9時間かけて撮ったのは2カットだけ、というまさに苦行のような撮影方針を貫いた結果、「絶対にすごい映画になるんだ」という木村監督の予言どおりの映像ができあがった。
撮影隊にケガ人が出て撮影中止の危機が訪れたときも、木村氏の執念を理解するスタッフや出演者が続行を支持した。
最後まで撮りきることができるかどうか、という緊迫感が映画「撮影の記」を貫いていて、最後のカットを撮り終えたシーンは感動的だった。
本編よりもこちらの「撮影の記」のほうがお勧め、というのは言いすぎだろうか。
『もうひとつの劔岳 点の記』
副題:小説にも映画にも描かれていない物語があった
著者:山と渓谷社/編 出版社:山と渓谷社 2009年7月刊 \2,100(税込) 189P
「撮影の記」を書籍化した本書には、劔岳をめぐる歴史の深掘りも記されている。
映画でも原作でも、柴崎測量官といっしょに案内人の宇治長次郎が劔岳の頂上に立ったことになっているが、記録文書には長次郎の名前がない。
信仰上の理由から、長次郎は霊山である劔岳には登らなかった可能性もある、とのこと。
『剱岳に三角点を!』
副題:―明治の測量官から昭和・平成の測量官へ
著者:山田 明
出版社:桂書房 2007年10月刊 \1,575(税込) 222P
柴崎測量官が苦労して登頂した劔岳だが、実は柴崎氏は劒岳の点の記を書いていない。
60kg以上もある標石を頂上に持ち上げることができず、四等三角点として観測するしかなかったからだ。(「点の記」として公式記録が残せるのは、三等三角点から)
劒岳の頂上に三等三角点を設置されたのは、柴崎氏が劔岳に登ってから97年後の2004年のことだった。
63kgの標石は、室堂から地獄谷経由で雷鳥沢のキャンプ場まで約2キロメートルのコースを55名の担ぎ手がバトンタッチしながら運んだ。担ぎ手には4名の高校生も含まれていたという。
現在では多くの登山者が劔岳に登っているが、それでも63kgの標石を人力で運び上げるには危険が多く、最終的に雷鳥沢のキャンプ場から劔岳の頂上までの運搬はヘリコプターで行われた。
劔岳の「三等三角点の記」には、次のように書かれている。
選点 明治40年7月13日 選点者 柴崎 芳太郎
設置 平成16年8月24日 設置者 伊藤 純一
柴崎測量官が四等三角点しか設置できなかった無念さをはらすように、新田次郎氏は『劔岳 点の記』を書いた。
本物の「三等三角点の記」が97年後に書かれた事実は、にわか劔岳ファンの私にも、さざ波のような感動を運んでくれる。