西太后秘録 近代中国の創始者


西太后秘録 近代中国の創始者 上
著者:ユン・チアン 川副智子/訳  出版社:講談社  2015年2月刊  \1,944(税込)  292P


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西太后秘録 近代中国の創始者 下
著者:ユン・チアン 川副智子/訳  出版社:講談社  2015年2月刊  \1,944(税込)  300P


西太后秘録 近代中国の創始者 下    ご購入は、こちらから


呂后則天武后とならんで中国の三大悪女といわれている西太后の評伝である。


西太后は残虐非道な行いをしたと伝えられている。


夫である咸豊帝(かんぽうてい)の正室である東太后を毒殺したとか、養子である光緒帝(こうしょてい)が寵愛していた珍妃を井戸に投げ落として殺したとか、さらに光緒帝を毒殺したなどの虚実とりまぜた悪評が残されている。


いやいや、そんなことはない。
悪評をたてられたのは、男尊女卑の旧習があったからだ。本当の西太后は、中国の政治・文化の旧弊をうちやぶり、改革を断行した近代中国の創始者なのだ、という視点で書かれたのが本書『西太后秘録』である。


著者のユン・チアンは1952年、中華人民共和国四川省に生まれた。両親は中国共産党の幹部だったが、文化大革命が中国を吹き荒れていた時代に辛酸をなめた。


当時の家族の歴史を通じて激動期の中国を描いた彼女の最初の作品『ワイルド・スワン』は世界で1000万部以上も売れた。日本でも1993年に発売されてすぐにベストセラーとなり、累計で230万部売れている。


著者の両親は「人民に奉仕する」という共産党の理想のために人生を捧げていたが、彼女から見た中国共産党は、内部の権力闘争に明け暮れてばかりいる。


そんな憤りをこめて書いた『マオ ― 誰も知らなかった毛沢東』(2005年刊)には、独裁者としての毛沢東の生涯が克明に描かれている。


あからさま過ぎる共産党批判を中国が許すはずはなく、『ワイルド・スワン』も『マオ』も、中国国内で出版が禁止されている。


本書『西太后秘録』も、『ワイルド・スワン』、『マオ』と同じく、中国共産党の神経を逆なですることは間違いない。
というのも、中国共産党は、西太后(中国では「慈禧太后」と呼ばれている)が悪人であるという像を流布してきた当事者だからだ。


ユン・チアンは憤りをこめて、次のように言っている。

慈禧の死後まもなく中国を牛耳った政権はいずれも意図的に慈禧を貶め、その功績を黒く塗りつぶしてきた。慈禧の遺産たる混乱から国を救ったのは自分たちだと主張するために。


「黒く塗りつぶしてきた」西太后の実像を探るため、ユン・チアンは膨大な歴史資料を読み解いた。



ユン・チアンが描いた西太后の生涯を駆け足でたどってみよう。


西太后は1835年、北京の胡同の一画で裕福な官僚の家に生まれた。


何の苦労もなく幼年時代をすごし、知識階級の子女として漢語の読み書きや囲碁、刺繍、裁縫など若い婦人のたしなみとされる教養を身につけた。


1852年、皇帝の后妃選びで側室となったが、はじめから寵愛を受けていたわけではなく、第6階級だった。


1856年、咸豊帝(かんぽうてい)にとって初めての皇子を出産したことで第2級の后妃にかけ上がり、1861年に咸豊帝が崩御したあと、新皇帝の母親として政治の場に登場する。


西欧列強が権益拡大をねらうなか、外国人排斥を主張する守旧派を抑え、改革派官僚とともに開国に舵を切った。


貿易が活発になることによって収入も伸び、通信網や鉄道敷設といった数々の近代化政策を実行する。


息子の同治帝が成人皇帝になることによって、一時期、国政からの引退を余儀なくされるが、同治帝の崩御のあと3歳の甥を皇帝にして返り咲き、その後も日清戦争、戊戌の変法、義和団の乱などの動乱を生きぬき、中国の近代化を推しすすめる。


西太后の政治改革、特に最晩年の7年間を著者は次のように絶賛する。

この7年間に実施された改革は、国民生活の向上と、中世的な残虐行為の廃絶を意図した抜本的にして進歩的、そして人道的なものだった。慈禧の慎重な管理のもとで、中国社会は血を流さずに思慮深く根本から転換を遂げたのだ。中国人の本質を注意深く保ち、心の傷を最小限に抑えつつ、よい方向へと。


映画「ラストエンペラー」の冒頭場面にあったように、幼い溥儀を宣統帝として即位させ、1908年、西太后は72歳で崩御する。


以前、この「読書ノート」でも取りあげたことがあるが、本書と同じように「西太后は悪人ではない」という視点で書かれた小説がある。浅田次郎著『蒼穹の昴』がそうだ。


浅田次郎氏の作品に登場する西太后は、清王朝の最後の幕引きをする役目を与えられ、白昼夢に出てくる乾隆帝(けんりゅうてい)に励まされながら中国の舵を切っていた。


小説に登場する西太后は、晩年まで健気な乙女の心を持ちつづけたヒロインとして描かれているが、ユン・チアンが描いた西太后からは、もっと老獪な印象を受ける。


悪評のいくつかは、歴史的事実であることを示したうえで、ユン・チアンは次のように書いている。

慈禧は巨人ではあっても聖人ではなかった。世界の三分の一の人口と中世中国の置き土産の上に君臨する絶対君主として、血も凍るほど非情にもなれた。


それでも、西太后への高い評価は変わらない。
この長い評伝を、ユン・チアンは次のように結んでいる。

圧倒的な実績、政治にそそいだ真摯な熱意、勇気と度胸。どの点から見ても慈禧太后に匹敵する為政者はいまだかつていない。彼女が進めた近代化とは国の老化、貧窮、蛮行、絶対権力と決別することだった。彼女は中国人には未知の、人道主義や公正や自由を中国に取り入れた。慈禧には良心というものがあった。慈禧亡きあとのおぞましい長い年月を振り返れば、たとえいくつかの欠点が見つかったとしても、だれもがこの驚くべき女性政治家を称賛せずにはいられないだろう。

参考書評

浅田次郎著『蒼穹の昴〈1〉』   僕の書評は こちら
浅田次郎著『蒼穹の昴〈2〉』   僕の書評は こちら
浅田次郎著『蒼穹の昴〈3〉』   僕の書評は こちら
浅田次郎著『蒼穹の昴〈4〉』   僕の書評は こちら
浅田次郎著『珍妃の井戸』    僕の書評は こちら