生きるということ


著者:なかにし礼  出版社:毎日新聞出版  2015年6月刊  \1,728(税込)  261P


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サンデー毎日の連載を中心にし、新聞掲載のインタビュー2本と闘病記を加えたエッセイ集である。


著者のなかにし礼は2012年3月食道がんであることを発表したあと、先進医療の陽子線治療でがんを克服。11月から仕事に復帰した。


2012年に上梓した『生きる力 心でがんに克つ』には、手術をしない治療法を探し求め、ついに見つけた最先端医療技術によってがんを消すことができた喜びがあふれていた。


しかし、今年の1月、定期検診で食道ちかくのリンパ節に怪しい影が見つかる。
2月5日、PET-CTで検査したところ、「リンパ節がん」と診断された。
再発である。
しかも、今回は陽子線治療ができない部位だという。


心臓の持病を抱えている著者は、長時間の手術に耐えられない。一度は手術しないと決めたものの、熱心な医師の勧めを受けて、手術を受けることにする。


医師は内視鏡手術を予定していたが、いざ手術をはじめてみると肺のまわりが癒着していた。急きょ開腹手術に方向転換したが、がんそのものは取りきれなかった。
術後の化学療法でがんは小さくなったものの、がんが他の臓器へ侵入する穿破(せんぱ)がいつ起こっても不思議はない状況である。


時限爆弾を抱えたような状態で、著者は「サンデー毎日」誌上の新連載を決めた。6月第2週から小説「夜の歌」の連載をはじめる予定、とのこと。


「この作品を書き上げるまでは、穿破よ、どうか起きないでくれという切なる願いをこめて行動を起こした」という鬼気迫る闘病記を第1章に置いたことにより、本書は単なる「エッセイ集」ではなくなった。
もしかすると、「遺作エッセイ」になるかもしれず、一つひとつの文章が、人生の総括として、また遺言として迫ってくるのだ。



なかにし礼の最初の遺言は、反戦、である。
「第2章 平和に生きる権利」では、旧満洲で生まれて悲惨な引き揚げ道中を目撃した自身の体験から、戦争反対を強く訴えている。


若者たちよ、わだつみの声を聞け! ヒロシマナガサキの痛みをわがものとせよ、と叫んだあと、反戦芸術家の同士として野坂昭如バーンスタインの生涯をたどり、戦争協力者としての林芙美子を糾弾している。


「第3章 異端として生きる」で、ドストエフスキーカミュ梁石日(ヤンソギル)、田中康夫などの芸術家を通じて、権力への反逆精神について考えを述べたあと、「第4章 人生に必要な芸術ベストテン」で、6種類のランキングを発表している。


日本文学、世界文学、クラシック音楽、日本映画、欧米映画、アジア映画の6分野で、自身の評価基準と評価結果を記す。誰でも自分なりのベストスリーくらいは持っているものだが、70歳を過ぎた著者がベストテンを整理する姿は、死への身じたくを思わせる。


芸術作品を整理したあと、さいごの「第5章 至高の不良たち」は、芸術家たちの棚卸し。


作詞家・作家生活50周年記念に発売された「なかにし礼と12人の女優たち」には、自分が詩を提供してきた歌手や、自分の小説がドラマ化されたときにヒロインを演じてくれた女優たちが、なかにし礼作詞の楽曲を歌ってくれた。常盤貴子浅丘ルリ子桃井かおり高島礼子などに歌ってもらったことに対し、なかにし礼は、

これほどの作詞家・作家冥利につきることはあるものではない。女優の皆さんに感謝だ。

と書いている。


千住明千住真理子香川照之、など日本の芸術家を褒めたたえたあと、クララ・シューマンモーツァルトドストエフスキーなどに見られる背徳の魅力に言及し、本書を終えている。


遺作になるかもしれない「エッセイ集」を読み終えて、反戦の訴えとともに、詩、歌謡曲、小説、クラシック音楽、演劇、歌舞伎、映画など、なかにし礼が芸術に注ぎ込んできた情熱の深さに圧倒される。


ひとつ無いものねだりを言わせてもらうと、格式の高い芸術だけでなく、もっと庶民的な芸能の世界にも言及してほしかった。
「時には娼婦のように」を作詞したり、小説の中に濡れ場も登場させるなかにし礼なのだから、権威のある芸術だけに接してきたわけではないだろう。


人生の記録を整理しはじめた著者には、無かったことにしたいものかもしれないのだが。