キャパの十字架


著者:沢木 耕太郎  出版社:文藝春秋  2013年2月刊  \1,575(税込)  335P


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ノンフィクションの大御所、沢木耕太郎の最新刊で、戦場写真家の元祖ロバート・キャパの作品についての謎解き本である。


ロバート・キャパも、沢木耕太郎も、僕にとって30年来の“旧知の仲”である。はじめて著書を読んでファンになったあと、折にふれて二人の作品に接してきた。今回のレビューは長くなりそうなので、何回かに分けてアップすることにする。


まずは、僕とキャパの出会いから。


キャパの書いた『ちょっとピンぼけ』の文庫本を買ったのは1982年。社会人になって初めての夏だった。
1979年初版のこの文庫本は、今でも同じ表紙で売られているロングセラーである。
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(いまは580円だが、当時の定価は280円)


表紙カバー見返しに書いてあるキャパの略歴は、次のような内容である。

ロバート・キャパ(Robert Capa)1913年ブダペストハンガリー)に生れる。ユダヤ人。本名アンドレフリードマン。祖国を捨て20歳でカメラマンとなる。報道写真の古典といわれたスペイン内乱の「斃れる瞬間の民兵」はじめ、多くの写真を残したが、1954年5月、ベトナムハノイ南方の戦場で地雷に触れて死亡。41歳であった。


命がけで戦場の写真を撮り続けたカメラマンの書いた文章は、思ったより抑制が効いていた。ところどころ緊迫した空気がつたわってくる箇所もあったが、全体を通して取材のようすが淡々とつづられていた。1942年夏に週刊誌コリアーズと特派員契約を結んでから、1945年にヨーロッパ戦線が終結するまでの3年弱の取材記である。


とくに印象にのこった写真が3枚ある。
1枚は、表紙カバーにも使われているノルマンディー上陸作戦(Dディ)のときに撮った1枚。せっかく激戦を記録したというのに、

しかし、残念ながら暗室の助手は昂奮のあまり、ネガを乾かす際、過熱のためにフィルムのエマルジョン(乳剤)を溶かして、ロンドン事務所の連中の眼の前ですべてを台なしにしてしまった。一〇六枚うつした私の写真の中で救われたのは、たった八枚きりだった。
             『ちょっとピンぼけ』文庫本168ページより

残った写真は、ヨーロッパ戦線最大の激戦となったノルマンディー上陸作戦の激しさを伝えていた。


2枚目は、ナチスドイツの占領からフランスが解放されたときに撮影された写真。ナチスに協力した女性が、髪を剃られて、敵意に満ちた群集に押されるように歩いている。侵攻してきたナチス軍人との間にできた子どもなのだろう。女性の腕の中には、まだ生まれて間もない赤ん坊が抱かれている。
1981年公開の映画『愛と哀しみのボレロ』のなかに、ナチ協力者とみなされ、髪を剃られた子持ちの女性が登場する。この本を読む前年に『愛と哀しみのボレロ』を見ていた僕は、「クロード・ルルーシュ監督は、キャパのこの写真からヒントを得てこの場面を挿入したに違いない」と思った。


3枚目が、キャパの出世作となった「斃れゆく瞬間の民兵(ミリチャ)」と題したスペイン動乱の取材写真。キャパの書いた『ちょっとピンぼけ』本文には登場しないが、キャパの業績を紹介する文庫版向けの解説の中に登場する一枚だ。
撃たれる民兵を前から撮っているということは、キャパが危険な前線に身をさらしていたことを意味する。解説を書いた井上清一氏も「かの報道写真の歴史的古典となった」、「キャパの名声は世界のジャーナリズムの注目をあつめる」と賞賛している。


(その2へ続く)