うつ時代を生き抜くには


副題:人間通になるために
著者:小倉千加子斎藤由香  出版社:フォー・ユー  2010年3月刊  \924(税込)  222P


うつ時代を生き抜くには    購入する際は、こちらから


斎藤由香さんは作家の家系に生まれた。


祖父は斎藤茂吉、父は北杜夫、伯父は斎藤茂太。3人とも作家であると同時に精神科医でもあり、心の病気とのお付きあいが深い。
特に、父の北杜夫は自身が「躁鬱病」患者であり、躁病とうつ病が周期的にやってくることを公言していた。編集者から原稿依頼があると、うつ病の時期は「いま、うつ病なので原稿は書けません」と断っていたそうだ。


昭和40年代は出版社の編集者も全国紙の記者も、うつ病を知らない時代だったが、この10年、20年でうつ病は広く知られるようになった。
いまや避けて通れない「こころの病」について、斎藤由香さんがエッセイ風に語り、小倉千加子さんが心理学者として解説を加えているのが本書である。


作家の家系に生まれた斎藤さんだったが、父の北杜夫を見て
  「作家なんて最低! 人間がまっとうに生きるにはサラリーマンが一番だ」
と思って、会社員になった。


ところが、入社したサントリーで最初に配属されたのが広報部。サントリー広報部は、開高健山口瞳など多くの名物社員を排出したところで、斎藤さんが入社した1980年代半ばも自由な社風だった。


銀行マンのようなきちんとした生活に憧れて会社員になったのだが、ユニークで仕事を楽しむ人々に囲まれて過ごすことになる。


勤務年数を重ねるに従って、会社も変わり、いい意味のムダが無くなっていく。


コピー機が珍しかった時代は、コピー機の前に行列を作りながらぺちゃくちゃおしゃべりしていたものだが、各フロアにコピー機を置くようになってからは貴重なコミュニケーションの機会が失われた。


社員の机には1人1台のパソコンが鎮座し、目の前にいる人への連絡にもメールが使われるようになる。


自由な社風に染まってしまったからだろうか。斎藤さんは、昇進試験にマジメに取り組む意欲がわかず、自称「窓際OL」として、子会社に出向させられたりするようになる。
自分自身はうつ病にならないまでも、周りでうつ病で苦しむ人を目にすることも多くなった。


窓際OLらしく、
  「会社でがんばったら幸せになれるの?」
と素朴な疑問を口にする。


そんな斎藤さんのエッセイの合間に、小倉さんの解説が入る。


作家になるような人は、自分の嫌いなものをはっきり自覚できる「感情」の人であり、自分の嫌いなことを無理してやらない方が良いという「理性」も持ちあわせている。
斎藤さんが自分の嫌な昇進試験に取り組む意欲がまったく湧かないというのは、いかにも作家の娘として同じような感性を持っていることを示している。


自分の持っている能力以下の成績しか出せない人を「アンダー・アチーバー」という。鎌田實流に云うと「がんばらない人」である。
逆に無理をして周りに適応してしまう「オーバー・アチーバー」な人は、いつか限界に達してしまう。疲れ果てたころには、自分の好き・嫌いがよく分からないという深刻な状況に陥ってしまうかもしれない。


うつは、限界に達する前にこころが発するシグナルなのだ。


社会が生きづらさを増していることがうつ病増加の原因なのだから、ともかく自分の身を守らなければないない。そのためにどうしたらよいかを、斎藤さんは第7章「自分らしく生きる処方箋」で述べ、小倉さんは第8章「ローリスク&省エネな生き方に学べ」で提案している。


斎藤さんは、「よく眠り、よく食べ、気持ちを切り替える」、「雨にも風にも負けていい」など、自称窓際OLらしい対策を挙げている。
かたや小倉さんは、「体を動かすとこころが開放される」、「コタツで冬眠という生き方もある」など、心をこれ以上疲れさせないためにどうすれば良いかを教えてくれる。


いまは「うつ」状態になっていない人も、予防の意味で読んでおいた方がいい内容だ。



最後に、斎藤さんも絶賛した小倉さんの言葉を引用させていただく。

  うつ病になってしまった人は、自分は弱い人間だなどど悲観することは
  ない。また新しい人生の、新しい価値を見つけることができるチャンス
  だと受け止めよう。人間には、自分で自分のこころの声を「傾聴」する
  使命がある。人生は、何度でも軌道修正できる。うつ病はそのことに気
  づく重要なきっかけを与えてくれる。人間には、こころの病でも体の病
  でも、治癒力が必ず備わっているものなのである。