著者:北 杜夫 出版社:実業之日本社 2012年3月刊 \1,260(税込) 189P
北杜夫は、芥川賞受賞者でもあり、コミカルな「マンボウ」シリーズでも多くの著作を残している。
かつて人気作家だった頃にくらべると、いまは北杜夫の名前を知っている人も少なくなったように感じるが、僕にとって、北杜夫は特別な作家だ。
なにしろ、『どくとるマンボウ青春記』は“人生を変えた1冊”なのだから。
なぜ北杜夫の本で人生が変わったのかは、以前の読書ノート(→こちら)を見ていただくとして、今日は、彼の絶筆となった『マンボウ最後の家族旅行』を紹介させていただく。
北杜夫は歌人斎藤茂吉の次男として1927年(昭和2年)5月に東京で誕生した。旧制松本高校を経て、東北大学医学部を卒業。1960年、船医になり世界各国を見てまわった体験を書いた『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーになり、一方で、文芸小説『夜と霧の隅で』が同年の芥川賞を受賞した。
本人が最も満足しているという長編小説『楡家の人びと』で1964年の毎日出版文化賞を受賞するなど、その後も多くの作品を発表し続けた。
本書は、2011年10月24日に84歳で逝去する直前まで書きつづけたエッセイをまとめたものである。
マンボウシリーズでは、ユーモア半分でトホホなエピソードを描くことが多い著者だったが、本書も「肺炎で又もや入院」からはじまっており、全編を通して、病気やリハビリのトホホな話題が多い。
80歳を過ぎて大腿骨骨折で2ヵ月半も入院し、ようやく退院したと思ったら肺炎でまた入院してしまったところから本書は始まる。
このままではいけない、と思ったひとり娘のユカ(エッセイストの斎藤由香)さんが、オニに変身した。
退院後、毎朝7時にやってきて、「パパ、起きて!」と布団をひっぺがす。
真冬で、あまりに寒いので、「ユカ、もっと寝かせてくれ」と訴えるが、「ダメ! 会社に行かなきゃいけないから。早く起きて歩いて!」と、むりやりリハビリさせられる。
親思いなのか、自分思いなのか、ユカさんは、すぐに新しい企画を思いつく。
「年末、みんなでハワイに行かない?」
マンボウの妻が、やっと退院したばかりだから無理、と言ってくれるのだが、ユカさんは聞く耳を持たない。どんどんツアーの申込み手続きを進めてしまう。
リハビリ中の老人をハワイに連れていくだけでもすごいのに、出発前に、「ハワイから帰った翌日から、苗場にスキーに行かない?」と言いだした。
マンボウ氏はどうしたかというと、「家族のためと思って」反対するのをやめ、娘が決めたとおりハワイへの旅に連れられていくことにした。
当然、マンボウ氏にとってトホホな旅になる。
エコノミー席での移動を「私にとってかなりつらい飛行であった」と嘆きながらハワイに着き、娘一家が自転車ツアーや「天国の海ツアー」に行っているあいだ、また転ぶといけないのでひたすら昼寝をする。
ハワイに行って良かったのは、1回だけ観光に出たことと、ホテルのマッサージが上手だったことだけ、と嘆きながら日本へ帰ってきたマンボウ氏であった。
このあと、ハワイから帰国した翌日に、本当にスキーに連れていかれるのだが、その後も、熱海、箱根、上高地、軽井沢、善光寺、京都、横浜などに娘と共にでかける他、「どくとるマンボウ昆虫展」の開催地である山梨県北斗市や山形県上山(かみのやま)市に足を運んでいる。
なんだかんだ言いながら、80過ぎとは思えないほど精力的に旅行している様子がエッセイに綴られていく。
2011年8月に軽井沢のゴルフトーナメント観戦に連れていかれたとき、ゴルフに興味のないマンボウ氏は、芝生の上に敷いた敷物に寝そべって時間を過ごした。
二度とゴルフ観戦はしないと思っていたが、10月に開催されるトーナメントに石川遼が出場するで見に行こう、と、やはり娘のユカに誘われる。
家で留守番したいと言っても、「パパを一人にしてまた転んだりすると大変だから一緒に行くのよ」と、いつものように無理やり連れられていく。
やっとゴルフが終わったら、「せっかくだから」と横浜中華街に連れていかれ、食事をしておみやげを買って帰ってきた。
いつものようにトホホな小旅行の様子を綴った文章を、いつものようにマンボウ氏は、「なんともしんどい一日であった」と締めたのだが、これが北杜夫の絶筆となった。
このあとも、娘にせき立てられながら、リハビリと旅行の日々が続くかと思っていた矢先、突然、様子がおかしい、と救急車で病院に運ばれた。それほど重篤とは見えず、担当医師も「緊急性はありません」と言っていたのに、翌日の明け方、容体が急変し、北杜夫は逝った。
無理やり連れていかれたとはいえ、亡くなる2週間前までゴルフ観戦が
できるような健康体でいられた。
幸せな晩年だった、と言っていいように思う。
最後に、オニのように描かれていたユカさんの書いた「あとがきに代えて」の最後の一文を引用させていただく。
この本を読むと、家族で食事をしたり、旅行に行けるのはあたり前のようだけど、ひとつひとつが大切な積み重ねである。人生は長いようで短い。