副題:混迷の時代 道をひらく言葉130
著者:久恒 啓一
出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン 2009年7月刊 \1,575(税込) 224P
久恒啓一氏は、2002年に出版した『図で考える人は仕事ができる』のベストセラーで一躍有名になり、その後も図解関係、仕事術会計の書籍を数多く出版しています。
(私も、1年前に『図で考えれば文章がうまくなる』を取り上げたほか、その前にも何冊か紹介しています)
久恒氏は1950年大分県に生まれ、九州大学に学びました。
日本航空で広報課長などを務めたあと、早期退職して1997年宮城大学教授に就任。
「図解」をヒットさせ、2008年4月から多摩大学経営情報学部教授に就任しています。
プロフィールを一見すると図解ひとすじのように見えますが、思うところあって2005年の正月から「人物記念館の旅」を開始しました。
――なぜ思い立ったのか。
ひとつは、本物の日本人の足跡と高い志に触れるため。
もうひとつは、優れた人物をロールモデルとすることを、これから日本を担う若者たちに伝えるためです。
――なぜ日本の偉人にこだわるのか。
江戸時代の日本は西欧より遅れていたと考える人は多いのですが、久恒氏の考えでは、日本は遅くまでゲマインシャフト(地縁や血縁等で結びついた社会形態)だったわけではなく、早くからゲゼルシャフト(利益的関心に基づいて結合する近代社会)に移行していました。
ですから、我々がお手本とすべき人物が、日本人の中にたくさん居るのです!
以上は本書に書いていない内容なのですが(笑)、久恒氏のブログ・著作・言動から推測しました。
各地をまわり、一つひとつ人物記念館を訪問していった久恒氏です。100館を超えたとき「百説」という言葉が頭に浮かび、200館を超えるときには「聖地巡礼」が頭をかすめたといいます。
本書発刊時点でもうすぐ300館に迫る勢いです。
それぞれの人物館で偉人のたどった足跡、業績を確かめ、久恒氏は偉大な言葉を自然に蒐集するようになりました。
本書は、久恒氏の蒐集した名言から130編を選び、それぞれの発言者から何を学ぶべきかを解説した一書です。
130編もあるので、いくつか紹介させていただきます。
私が気になった2編のほか、前回の「読書ノート」掲載本にも載っていた1編、今読んでいる本にも載っている1編、本書を紹介した別のメルマガから1編。合計5編引用します。
私が気になった2編
「今日も生涯の一日なり」―― 福沢諭吉
今日という日は、一生という長い時間軸の中にあり、生涯を構成する大切な一日である。この諭吉の考え方に久恒氏は共感し、自身のブログのタイトルにしています。
「われより古をなす」―― 杉田玄白
慶應大学の建学精神として「自我作古」の言葉を耳にしたことがあります。福沢諭吉の言葉だとばかり思っていましたので、杉田玄白が出典とは新しい発見です。
誰もやったことのないことを自分が「古」(はじめ)にやる。自分が先人として後輩に道をひらく気概を持て、という意味です。
私は仕送り無しで国立大学(北海道大学)へ行くことになった貧乏人の生まれですが、社会人になってから慶應大学の気風を知るにつけ、お坊ちゃん的風土とは違う意味で慶應大学への憧れを感じるようになりました。
慶應には「ノーブレス・オブリージュ」の精神があるようです。
エリートは嫌いですが(笑)、良い意味のエリート精神は大切なのかもしれません。
前回の「読書ノート」掲載本にも載っていた1編
読書ノート8月24日号で取り上げた岩崎俊一著『幸福を見つめるコピー』の序文に、次のように書いてありました。
「憂き事の
なおこの上に積もれかし
かぎりある身の 力試さん」
誰のものか思い出せないのだが、もう何十年も前に何かで読んだこの言葉が、
いまも胸を去らない。
岩崎氏が幸福を見つめるコピーを作る原点のひとつです。
「誰のものか思い出せない」というこの言葉は、山中鹿之助のものであることを久恒氏は本書で明かし、次のように紹介しています。
「憂き事の尚この上に積もれかし
限りある身の力ためさん」
漢字遣いが少し違いますが、ひらがなにすれば同じ。
岩崎氏の記憶の確かさ、「何十年も前に何かで読んだ」印象の強さを示しています。
今読んでいる本にも載っている1編
日垣隆著『怒りは正しく晴らすと疲れるけれど』の中で、対談相手の渡辺昇一氏が次の言葉を引用しています。
「少にして学べば、即ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず」――佐藤一斎
私はてっきり孔子の言葉と思っていましたが、渡辺氏はきちんと佐藤一斎(江戸時代の儒学者)の言葉ということを知っていました。
渡辺氏は、この言葉について、
「皆、仕事をしていると学んでいると思っているのですよ。だから定年退職すると
使い物にならなくなる」
と、手厳しい発言をしていますが、
久恒氏は、
「生涯学習の本質はまさにこの言葉の中にある。学び続けている人は、肉体は
滅びても、後世に何かを残すことによっていつまでも生き続けることができる」
と、オーソドックスではありますが、ひたすら前向きの捉え方をしています。
同じ言葉の解釈ひとつに人格が表れるものですね。
本書を紹介した別のメルマガから1編
土井英司氏の書評メルマガ「ビジネスブックマラソン」Vol.1818(2009/07/11発信)で、本書『KOKOROZASHI 志』を取り上げていました。
「ビジネスブックマラソン」で取り上げた本は、アマゾンの売上げがグッと伸びると言われており、実際、このときも版元から久恒氏に連絡が行ったほど伸びたそうです。
ただ、土井氏のメルマガは、毎回わざと一ヶ所けなすパターンを採用しており、「この部分は玉に瑕だけど、良い本ですよ」と締める構成です。
『KOKOROZASHI 志』の解説文でも、次のように「玉に瑕」を指摘していました。
ただ一点、残念だったのが、山本五十六の言葉。
本書では、「してみせて、言って聞かせて、やらせてみせて、それ
で誉めれば人は働く」となっているのですが、なぜこれを採用した
のか、土井にはちょっとわかりかねます。
一般的な言い回しではないので、もしこれを採用した理由があるな
ら、注釈があってもよかったのではないかと思います。
土井氏が言う一般的な言い回しというのは、きっと
「してみせて、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
のことでしょう。
確かに、久恒氏の引用は、一般に流通している内容と言い方が違っています。
しかし、久恒氏は、人物記念館を回って、展示物やパンフレットから言葉を集めているのです。
一般的な言い回しと違っていても、人物記念館の学芸員に敬意を表して、展示物やパンフレットから引用したと私は理解しました。
私の解釈、合っているかな?